体験談あなたに幸せを届けたい ―地域の幸福実現を目指して―

私は、地元・栃木県下野しもつけ市の市議会議員"一年生"として、「障害のある方も暮らしやすい町づくり」を目指し、役所の手話サービスの普及や、地域のバリアフリー化などに取り組んでいます。私がそうした町づくりを目指すようになった原点は、今から40年以上前の、青年時代の体験にありました。

僕は"偽善者ぎぜんしゃ"なのか?

当時私は、町役場の厚生課の職員として、町民の相談を受けたり、地域医療を進めたりする仕事に従事していました。ある日、地元の障害児施設を訪れた私は、人生で初めて障害児と身近に接する機会を得ました。

「ノブちゃん、ノブちゃん」

私の名前を呼び、なついてくる子供たちの純粋無垢じゅんすいむくな姿に心を打たれ、(この子たちの力になりたい)と心底思ったのです。

私は高校時代の同級生に声をかけ、バンドを組んで障害児施設を慰問いもんしたり、ボランティア団体を設立して、重度障害児をバーベキューや映画などに連れ出してあげたりする活動を始めました。子供たちや、そのご家族が喜ぶ姿を見るのは、何よりもうれしいことでした。一生懸命生きる彼らに接していると、逆にこちらがはげまされます。

(ハンディの有無に関わらず、皆が幸せに生きられる社会をつくっていきたいなぁ)

私は独学で手話を学び、聴覚障害者の方とも交流を深めるようになりました。

しかし、自分と同年代の方たちを世話していると、(仕事とか恋とか、健康だったらしてみたいことがたくさんあるだろうな…)と思い、胸が痛むこともありました。

(こんな純粋でいい人たちが、なぜ、障害を抱えて生きなければいけないんだろう)

一緒に遊ぶことはできても、それが"根本解決"にはならないことを痛感しました。また、「障害のある方を助けたい」という気持ちについても、(もしかして、ただの偽善なのでは)と、思い悩むこともありました。

求め続けた「答え」との出会い

ボランティア活動を続けて16年ほどち、私が34歳になったとき、一冊の書籍と出合いました。それは、知人から手渡された、大川総裁の『 太陽の法 』でした。

「地上界というのは、ひとつの修行の場なのです。天上界で自由自在に生きていた霊にとっては、肉体に宿るということは、すなわちこれ、自らの霊性れいせい仏性ぶっしょうが試されるときなのです」※

(この世が修行の場? そんなこと、考えもしなかった…)

今まで学んだことのない「人生の意味」。ページをめくるたびに言葉が心にみて、胸が熱くなり、不思議と涙があふれてきます。私は幸福の科学に入信し、大川総裁の書籍を次々と学んでいきました。

特に、「人は、この世とあの世を何度も生まれ変わり、たましいを磨いている」「人生修行のために、あえて障害を選んで生まれてくる人もいる」という教えは、私が求めていた「答え」そのものでした。

(どんな境遇でも、それぞれの人生には尊い意味があるんだ…)

また、「無償の愛に生きることこそ、自分も周りも幸せにする道である」と学んだときには、心の底から喜びがき上がってきました。ボランティアをしたいという思いは、"偽善"ではなく「愛」なんだと、教えていただいたように感じたのです。

(この真理を知れば、障害がある方もない方も幸せになれる。皆に伝えよう!)

※ 『太陽の法 』第4章「悟りの極地」より(大川隆法 著 幸福の科学出版)。

もっと、幸福な人を増やしたい

早速、ボランティア仲間や障害児の親御さんたちに、自分が感動した教えを伝えていきました。ところが、必ずしも皆が私と同じように感動するわけではなく、「宗教」というだけで拒絶し、距離を取る方も。今思えば、私の伝え方が性急すぎたのかもしれません。

(まずは"自分づくり"が必要だ)と実感した私は、幸福の科学の支部活動に参加し、自分の心を磨く修行を始めました。また、このころ信仰を同じくする現在の妻と結婚。 (もっと多くの人に教えを伝えたい)という思いから、役場をめ、時間の自由がきく米菓べいか販売の自営業を開始。日々、地域の方に伝道しながら、教えを深く学んでいきました。

大川総裁の教えは、宗教的真理をベースに、仕事や経営論、教育、政治・経済など、非常に多岐にわたり、日本の政治のかじ取りについても、多数の提言をされています。

例えば、北朝鮮の核開発問題については、90年代からその危険性を指摘され、「憲法九条改正」や「国防強化」の必要性を訴えてこられました。また、政府の増税政策に対しては、国民の自由を守るために「安い税金、小さな政府」を目指すべきであると、政治のあるべき姿を示されてきました。

こうした教えを学ぶなかで、国民を本当に幸せにするためには、政治を正していく必要があると知り、視野が大きく広がったのです。

"幸せな町づくり"

2009年5月に大川総裁は、国民の幸福を実現するために、「幸福実現党」を立党されました。私も、幸福の科学のメンバーとともに、幸福実現党の政策を伝える政治活動に汗を流すようになりました。

そして、17年の秋には、(自分の人生をけて、地元の皆さまのお役に立ちたい)という思いから、翌年の下野市議会議員選挙に、幸福実現党の公認候補として出馬することを決意したのです。

選挙戦では、支部の仲間をはじめ、地元の友人・知人やご縁のある方々が多くのご支援をくださいました。また、疎遠そえんになっていた障害児や親の会の方々も、「信夫ちゃんが出るなら応援するよ」と協力してくださったのです。

多くの皆さまのお力で、私は18年4月の下野市議選で初当選させていただきました。

今は毎日、地域の皆さまのお声を聞くために歩いていますが、「道路がガタガタで、車いすの嫁が墓参りに行けない」「市営のデマンドバスが使いにくい」など、さまざまなお困りごとをうかがいます。障害者の方々には、手話や筆談でご意見をお聞きし、町役場に働きかけたり、皆さまのご意見・ご要望を市議会で議題に取り上げるなど、一つひとつ改善をはかっています。

市議として、地元の皆さまと触れ合い、お役に立たせていただける毎日が、本当にありがたく生きがいに満ちています。残りの私の人生を懸け、皆さまに幸せを感じていただける町づくりに励んでいきたいと思います。