この記事は隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第108号より転載し、編集を加えたものです。

暗い家庭から逃げるように外で遊び回る

いまから20年ほど前のことです。

10代半ばの私は、よく深夜まで外で遊んでいました。友だちとロックバンドを組んだり、ゲームセンターで遊んだり、バイクで暴走族まがいのこともしていました。俗にいう不良少年でした。

自宅には、正直あまり帰りたくありませんでした。両親の仲が悪く、家庭のなかが暗かったからです。

私が小学生のころ、両親は大ゲンカしたことがあって、そこから2人は互いに口を利かなくなっていました。けれども、表面上は仲のよい夫婦を装っており、思春期の私の目には両親が建前や世間体のほうを大切にしているように映りました。

家のなかと外では違うんだ、と私はすごく醒めた気持ちで見ていたので、ことごとく親に反発していました。

悪霊を見る恐怖体験

そして高校1年の夏休み中、私は思いもよらないことに見舞われたのです。

例によって深夜に帰宅した私は、もう寝ようと思って眼鏡をはずしました。そのとき、ふっと視線を窓のほうに向けると、窓の外にボーッと何か見えます。近眼の私には見えるはずのないものでしたが、人の顔のようでした。

ちょっと異様な感じはしたものの、とにかく床に就きました。しばらくすると、急に体が固まったように動かなくなりました。いわゆる、“金縛り”でした。

それを契機に、私は四六時中、恐ろしいものが見えるようになったのです。人のような、鬼のようなものが、いきなり牙を剥いて襲いかかってきます。私は恐怖に震えました。それは夕方以降、周囲が暗くなると激しくなります。

幼いころ信心深い祖母から、仏神や天国地獄の話を聞いたことがありました。

そこで、もしかすると幽霊かもしれないと気付いたのです。

当時の私は、霊を見たくない一心で、そのころから家に帰らず、友だちの家を転々と泊まり歩くようになったのです。いまでこそ幸福の科学で、「霊的な悪影響から離れるには、まず悪霊を呼び込むような心のあり方を正すことが大切」と学んでいますが、あのころは霊現象への対処の方法が分からなかったため、とにかく恐くてしかたありませんでした。

霊が襲ってくることを分かってもらえない

私が家に帰らなくなったことを不審に思った両親に問い詰められました。

私は正直に、家のなかに幽霊がいて、自分に襲いかかってくることを話しました。しかし、信じてもらえません。そんなことあるわけないじゃない、と一蹴されてしまいます。

「ほらっ!いま隣で大きな音が聞こえただろう?」と言っても、「いや、何も聞こえないよ」と両親はまるで気が付かない様子。

私は必死になって自分の状況を何度も訴えました。しかし、あの世など信じていない両親に何度言っても、全く取り合ってくれません。それどころか、遊びたいからそんな嘘をつくんだろうと決めつけられてしまいました。

私は孤独でした。

唯一、気の休まるのは不良仲間といるときだけです。

どんどん生活は乱れ、ケンカは日常茶飯事。気持ちをまぎらそうと遊びに熱中するうち、ますます悪の道に入ってゆきました。そんななか高校のほうは出席日数が足りなくなり、結局、中退してしまいました。

霊能者のもとを訪れても精神世界の本を読んでも解決せず

「—Nには、悪いものが憑いてるのかもしれないよ」

私を案じた祖母は、人づてに聞いたという霊能者のところに何回か連れていってくれました。しかし効き目がなかったり、一瞬、よくなったかに見えても、しばらくすると元に戻ったりしました。

私自身も、何とか逃げ出したいと、精神世界の本を読んでみたりしました。ところが霊界の様子がいろいろ述べられていても、どうしたら悪霊から逃れられるかは、ついに分からないままでした。

地獄霊が見える原因がわかった

霊が見えるようになって3年が過ぎ、私が18歳になった冬のある日。

「Nちゃん、これ読んでみて。いい本よ」

私のことを心配してくれていた従姉妹が、大川隆法総裁『太陽の法』を貸してくれました。その本を何気なく読み始めたのですが、やがて全身に衝撃が走りました。

あの世と心が連動しているという教えは、これまで読んだ本とは全く違っていました。

地獄の霊が見えているのも、僕の心が地獄の方向に向いているからなのかと気付きはじめた私は、むさぼるように読んでいきました。

これで救われる!と感じました。

暗闇のなかで苦しんでいた私に一条の光が射してきたようで、涙がボロボロ流れます。

不良の道に入り、とても短気で、よく怒鳴ったり、ケンカしたりしていた自分がすぐに思い当たりました。

それまでは襲ってくる霊が悪いとか、理解してくれない親がいけないとか、恨む気持ちがありました。けれども、本当は自分の心のあり方が問題だとわかりました。

自分を変えていく努力を始めた

『太陽の法』は、それからも毎日ていねいに読み返し、内容を心に叩き込んでゆきました。

自分を正さないと悪霊は見えつづけるのだと肝に銘じ、何か言われて一瞬カッとしたときも、冷静になるよう自分に言い聞かせ、すぐに言い返さないようにしました。しばらく我慢すれば、怒りは自然と鎮まってゆくものだと分かりました。

悪霊を見たくない気持ちでせっぱつまっていた私は、一つひとつ行動に起こして、自分の心のあり方を確かめていきました。

実家の両親にも、『太陽の法』の感動を伝えずにはいられませんでした。でも全然相手にされず、ガックリきました。

ちゃんと生活を立て直さなければ話を聞いてくれないんだとわかり、反省した私は、実家に戻ることにしました。両親はそんな私に戸惑ったようでしたが、黙って迎えてくれました。

実家に戻った私がまず取り組んだのは、父や母への言葉遣いでした。ただ、言葉や表情、生活の仕方は意識して少しずつ変えていけても、問題は“心のなか”でした。波立つ心は、自分自身、なかなか思うようになりません。

心をおだやかにするにはどうしたらいいんだろうと思っていると、あるとき、大川隆法総裁の本に、こういう一節があるのを知りました。

「幸福にならんとする人は、まず、みずからの心のなかに、静かなる湖面のごとき、平らかで光り輝く水鏡を持っていなくてはなりません」『人生の王道を語る』第2章「平静心」

私は以前、友達と何度も遊びに行った近くの湖を思い出しました。

明け方ごろに見たその静かな湖は本当にきれいなものでした。

それからはイライラすると、「湖面のような心」という言葉を思い返し、あの湖の静かな湖面をイメージするようになりました。そのうちに、心が落ち着いた状態という感じがだんだん分かってきました。

自分が変わると、両親の様子にも変化が

1年が過ぎると、私はひんぱんに悪霊に攻撃されることがなくなってきました。

仏法真理への信頼が深まりました。

私は次第に道を踏みはずすようなところへは近づかなくなり、不良仲間とも自然に疎遠になってゆきました。そして大学入試資格検定の勉強に積極的に取り組むようになりました。その後、大検に無事合格することができたのです。

私が落ち着き始めると、「お前、なかなかいいこと言うじゃないか。なんか変わってきたな」と言って、父が私の話に耳を傾けてくれるようになりました。

やがて思いがけないことに、父も幸福の科学の本を熱心に読むようになったのです。父は、知人からも幸福の科学を勧められ、最初は半信半疑ながら読み出したようです。

もともと読書好きの父です。ほどなく過去の古今東西の聖賢からのメッセージである霊言集の多様さと内容の高度さに、夢中になりました。「人間として生きる道をきちんと教えてくれるな」と言って、家に仏法真理の本がみるみる増えていきます。

私はうれしくなり、父と感想を話し合ったりするようになりました。唯物論だった父も、目には見えないけれどもあの世の世界があり、人は死後に霊となってあの世で生きていることを信じるようになりました。

そして書店で購入できる幸福の科学の書籍を全部揃えた父は、地元の支部に通うようになり、私より先に入会してしまったのです。しばらくすると母も入会しました。

幸福の科学で活動するようになった両親の仲がどんどん良くなり、家庭の雰囲気が変わっていったのには驚きました。ほどなく自宅に御本尊を安置し、書籍やテープ、ビデオがズラッと並ぶようになったのです。

あるとき母が、「あなたが高校生のころ、苦しんでいたのに信じてあげられなくてごめんね」と言ってくれました。

やっと理解してもらえた嬉しさで胸がいっぱいになりました。

「お前も三帰しなさい」

今度は、両親からたびたび三帰誓願の勧めを受けました。けれども私は、以前は霊を全く信じてくれなかった両親が、先に入信してしまったことで、ちょっと意地になっていました。

悩みの種だった霊現象もはるかに少なくなっていたので入会しなくても、本を読むだけでいいと思ってもいました。

交通事故をきっかけに入会を決めた

ある日、私は不注意で交通事故を起こしてしまいました。

猛スピードで走っていた車。急カーブを曲がったところまでは覚えていますが、そこで記憶は途切れてしまいました。車のエンジン音でわれに返って目を開けると数センチ前に家の門柱が倒れてきていました。

朦朧(もうろう)とした意識のなか、交通事故を起こしたことがわかりました。

後になって知ったことですが、私はカーブで急ハンドルを切ったとたん、頭を強打して意識を失ったのです。車は制御不能となり、200メートル先の民家に飛び込んだのでした。

警察では「生きていることが信じられない」と驚かれました。普通は即死だそうです。

しかし実際の私は幸いにも、頭が切れて骨が見えている状態でしたが、3日間の入院と1カ月の自宅療養で済みました。

「きっと“助けて”もらったんだよ」とみんなが口々に言い、私も目に見えない存在に守ってもらったんだと思いました。その事故をきっかけに、私は入会を決意。初めて『太陽の法』を読んでから、7年が過ぎていました。

入会後は、支部活動や仏法真理の学びがとても新鮮に感じられました。「意地を張らずに、もっと早く入っていればよかった」というのが本音です。

自分が生まれてきた意味を知る

入信から半年ほど過ぎたころです。私は以前の事故の夢をみました。

それは、私が意識を失ってから民家に飛び込むまでの200メートルのシーンでした。意識を失った瞬間、私の身体がフワッと上方に持ちあげられています。

そのとき霊人が現れ、私に問いかけました。

「地上に降りたお前は、やらなければいけないことがいっぱいある。だけどこのままではとうてい駄目だ。お前のためにもならないから、このままあの世に還るか。それとも、もう一度やり直して、仏の役に立つか。どうだ、どっちなんだ?」ときびしく問い詰めてきます。

「僕は、地上に残って人々のお役に立ちます。仏のお役に立ちます」

そう叫んだとき、私の体はスーと地上に降りてゆきました—。

目覚めたとき、忘れていたとても大事なことを思い出したようでした。

今世、生まれてきたのは不良をするためでも、自分勝手に生きるためでもない。仏弟子として自分の命を燃焼させて生きるためだと、霊現象や事故で助けられたことの意味がようやく納得できました。

幸福の科学のさまざまな活動に参加して毎日が充実

それからは支部の青年の取りまとめ役として、いっそう活動に励みました。仕事との両立はたいへんなところもありましたが、毎日が充実していました。

昔の仲間にも伝道していき、そのなかで入会する人が出てきました。同じ信仰を持つことで、両親とも共通の話題ができ、会話が増えていきました。

その後、私は支部の青年部で知り合った女性と結婚して、いま2歳になる長男と共に幸せな家庭生活を送っています。

総本山・日光精舎研修を受けたとき、私は親の心に気づいて涙が止まりませんでした。

10代の頃、仲間と夜中まで遊んでいた私を、父と母は何度も迎えに来ました。当時、あまり仲がよくなかったはずの両親が手を取り合って、私の居場所を探してくれたのだと思います。

うちの親は世間体が大事だからだと思っていたのですが、私も経験を積み、自分が親になったいま、あれは両親の愛の強さだったんだとわかりました。

あの愛があったから、私は最終的に道を踏みはずさずに済んだと思います。何より、仏に出会えて、私の人生行路は幸福の方向に大きく舵を切ってゆきました。

「あれっ?そういえば、全然見てない」

あるとき、気づいて驚きました。入会後、私は悪霊を見ることが全くなくなっていたのです。悪霊におびえていた日からすっかり抜け出せ、いまでは普通の人と変わりません。

もし仏法真理と出会うことがなかったら、私はいまごろどうなっていたかと思います。

大川隆法総裁の生まれた今の時代に、同じく生まれることを許されたことに感謝して、これからも幸福の科学の学びに活動に、力の限り精進していこうと誓っています。

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