【体験談】継母からの虐待、父への恨み…苦悩の中で掴んだ幸福

「人生のなかで起こることは、何一つ、ムダなことはない。」

そう語る多門 純子さん(仮名・30代)は、かつて継母からの激しい虐待を受けるなど、人生を諦めたくなるほどの出来事に遭遇していましたが、幸福の科学と出会い、その教えに救われ、悲しみと苦しみの荒波を乗り越えることができました。

そんな多門さんのかけがえのない体験談をご紹介いたします。

あなたの心に希望の光が灯りますように。

「人生のなかで起こることは、何一つ、ムダなことはない。」

そう語る多門 純子さん(仮名・30代)は、かつて継母からの激しい虐待を受けるなど、人生を諦めたくなるほどの出来事に遭遇していましたが、幸福の科学と出会い、その教えに救われ、悲しみと苦しみの荒波を乗り越えることができました。

そんな多門さんのかけがえのない体験談をご紹介いたします。

あなたの心に希望の光が灯りますように。

虐待の日々

私がまだ幼いころのことです。

私は怒り狂った母に服をはぎとられ、裸のまま表に引きずり出されました。真冬の空気が全身を突き刺します。

恐怖にかられて泣き叫ぶ私を、母は容赦なく、家の前を流れる用水路に突き落としました。

その後、どうやって家に入れてもらったのかは、よく覚えていません。しかし、それは一度や二度のことではありませんでした。

近所の子供たちが家に遊びに来ると、母はベビー用の風呂桶を持ち出して、私にそれを被せて中に閉じこめました。子供たちははしゃいで、その上に次々と飛び乗ります。

「やめて、やめて」

泣きながらもがいても、出られません。

息ができなくなったそのとき…。

「こらぁ!あんたたち、また何してんだ!」

その声は、隣のおばちゃんでした。当時、薄い壁で仕切られた長屋の一室に住んでいたので、近所の人たちは私が虐待されていることを知っていました。

危機一髪のときには、何度も助けられていたのです。

しかし、水を張った浴槽に沈められたり、定規で殴られるなどの暴力行為は毎日のことでした。

どうして私だけ?

やがて妹たちが生まれると、母は私にオムツ交換や台所仕事を命じました。

小学校の低学年だった私は流しに背が届かず、ビール瓶のケースを踏み台にして食器を洗いました。

どんなにひどい仕打ちをされても、私は母に褒められたくて、母の顔色を窺(うかが)いながら、命令を忠実に守っていたのです。

母は感情のぶれが激しく、何かにつけてすぐに暴力を振るいましたが、父の前ではあからさまな虐待はしませんでした。

朝食のときは父も一緒なので、私も食事を食べることができました。

しかし父のいない夜は、夕食を食べるのは母と2人の妹だけ。私の分はありません。

近所の人たちは、母がいないときに、塩おにぎりを差し入れてくれたり、時々、虐待のことを父に忠告してくれたりしましたが、父はまったく信じず、聞く耳を持ちません。

友達の家庭は、わが家とはまったく違います。

優しいお母さん、おやつに食事、楽しい会話。

私にとっては、どれも遠い世界のもの。

(どうして私だけ、お母さんに殴られたりいじめられたりするんだろう?)

妹たちが長(ちょう)ずるにつれ、母は私に、妹たちの勉強を見るように命じ、自分はパチンコに出かけました。

私は母に言われるまま、妹たちに命令しました。

「ちゃんとやって!私が怒られるから!」

母は妹たちに勉強させる一方、私には、「学校を休んででも家事を手伝え」と言いました。

捨てられ子

私が5年生のとき。妹たちの七五三で、神社へ出かけた日のことです。突然、母が私に言いました。

「あれが、あんたの本当のお母さんだよ」

参拝の列に並ぶ一組の家族連れが見えました。その家族の、母親らしい小柄な女性──。

(本当のお母さんは、あの人なの?あの女の子が、私のお姉さん?)

衝撃を受けました。

(お姉さんだけ連れて行って、私は置いて行かれたの?)

いろんな思いが錯綜(さくそう)し、胸が絞めつけられました。

私だけ、今の母、つまり継母に可愛がられない理由が、はっきりと分かりました。

その後、虐待に耐えきれず、思わず「本当のお母さんのところに行きたい」と口走った私に、継母はこう言ったのです。

「あんたの母親は、『煮るなり焼くなり好きにしろ』って言って、あんたを捨てて行ったんだ。今さら帰れるところはないんだよ」

その言葉が、グサリと胸を突きました。

(私が生きてても、誰も喜ばない。なんのために生きてるんだろう…)

自殺を迫られて…

中学に上がる前の、ある冬の日。

継母に呼びつけられて部屋に入ると、梁(りょう)にかけられたロープの輪の下に、椅子が置いてありました。

畳の上には、カミソリが…。

「中学に行けば金がかかる。あんたにかける金はないから、どっちか選びな」

鬼気迫るものを感じました。

(首吊りを選んだら、すぐ死んでしまう)

私は震える手でカミソリを手に取り、自分の手首に当てて、そっと切りました。

「それじゃ死なないよ!もっと強く!」

もうダメだと思ったとき、またもや近所の人が、止めに入ってくれたのです。

命はつながったものの、自殺を強要されたことは私の心に深い爪痕(つめあと)を残しました。

いつか継母に殺されるという恐怖が、心から離れませんでした。

中卒で美容学校へ

暗く憂鬱(ゆううつ)な日々を送りながら、中学2年生になったころ。突然、転機が訪れました。

継母が他の男性と駆け落ちして、行方が分からなくなったのです。

(やっと解放された!)

落胆する父を尻目に、私は心の底から喜びました。

しかしそれも束の間、継母が父の名前で数百万の借金を残していったことが判明したのです。

父はその返済のため、昼間の勤めに加えて夜は運転代行で働き、家も市営住宅に移りました。

私は高校進学をあきらめるしかなく、個人経営の美容院に住みこみで働きながら、美容学校に通うことになりました。

初めての他人の家での生活です。

先生には、私と同じ年の女の子がいました。

可愛い制服を着て女子校に通う彼女は、家族に守られ、経済的な心配もなく、高校生活を謳歌している――。

(どうして生まれつき幸せな人と、不幸な人がいるんだろう)

それを思うたび、継母の言葉が甦(よみがえ)ります。

――あんたの母親は、煮るなり焼くなり好きにしろと言って、あんたを捨てたんだ。

やり場のない怒りと悲しみが突き上げます。

(自分で産んだくせに、子供を捨てるなんて許せない!私を虐待した継母も、絶対に許せない!)

私はいつも、孤独でした。

「私は悪くないのに…」

やがて、人づてに継母の消息が分かり、妹たちはそちらへ引越していきました。

私は独力で美容学校を卒業し、働きながら国家資格を取得。一人前の美容師になりました。

その後は、3、4年ごとにお店を変わりました。どうしても、人間関係でつまづいてしまうからです。

私の生い立ちを知る店長が、何かと気を遣って下さると、うれしい反面、他の従業員からは嫉妬されます。

「先生に可愛がられてるから、いい気になってるよねー」

聞こえよがしにそんなことを言われて、胃がキリキリと痛みます。

病院に通う私を店長が心配して下さると、風当たりはもっと強くなりました。

私は中卒で美容学校に入ったため、年下なのにキャリアが長いことや、お客様からの指名が多いことも、嫉妬の種になりました。

(中卒で美容師になったのは私の意志じゃないし、指名が多いのも私のせいじゃないのに……)

"私は悪くないのに"という思いが渦巻きます。

(でも、私が身をひけば丸く収まる…)

そんな思いで別のお店に移るのですが、新しい職場でも人の反応や顔色が気になり、私は自分の居場所を見出せずにいました。

気がつけば、もう26歳。

育った家庭が悲惨だった分、23、24で結婚して幸せな家庭を作りたいと思っていたのに、そんな希望も薄らいでいきます。

そんなある日のこと。父が、職場の女性と再婚することになりました。

「私はアパートでも借りて1人でやっていくから、好きなようにすれば」

けれども父は、再婚を機に家を建てようと計画しており、その1階を美容院にして私に店を持たせたいと言うのです。

父なりに、私に何か与えてやりたいと思ってくれたのでしょう。

八方ふさがりのなかで

父と再婚相手と私、3人の生活が始まりました。

しかし3番目の母は嫉妬深く、私と父が話しをするだけで不機嫌になります。

私がご飯を作ると「まずい」。家にお金を入れても「もっと出せ」。毎日お酒を飲んで暴言を吐き、包丁を振り回すことさえありました。

店は従業員を1人雇ってオープンしましたが、月々のローンの返済が、私の両肩に重くのしかかっていました。

従業員教育にも悩みました。仕事を教えて育てても、すぐに辞めてしまうのです。

(私の不幸は、お父さんのせいだ。ひどい人と再婚して、私に借金まで背負わせて)

心のなかで、父を責め続けました。

しかも、そのころ交際していた恋人との仲が破局。

(やっぱり私は、一生、不幸なんだ…)

たくさんの悩みに押しつぶされそうになっていたとき、美容学校で同期だった広宮久美子さんから連絡がありました。

広宮さんのお家に遊びに行くと、2階の大部屋に、幸福の科学の本やテープがずらっと並んでいます。

「純子ちゃん、この本、いいこと書いてあっからぁ、見てみぃ」

『幸福のつかみ方』『幸福への方法』など、「幸福」というタイトルに惹かれて何冊かお借りしてみたものの、読書の習慣がないのでなかなか読みきれません。

(難しいなぁ。でも、この言葉が気になる)

「人間は、転生輪廻を繰り返しながら、魂修行をしている」「誰にでも守護霊がついていて、その人の人生を見守っている」「他人の愛を求めるのは『奪う愛』。自分から他の人を愛する『与える愛』を実践すると、幸せになる」

教えの断片が心に残りました。

けれども、「人間は天上界で人生計画を立て、親となる人を選んで生まれてくる」という教えだけは、どうしても受け入れることができません。

(これは、私にだけは当てはまらないな。だって、あんな親を選ぶわけないもの)

「心が落ち着くなら…」

「純子ちゃん、支部で『経済繁栄・成功祈願』っていうのやってるから、受けてみる?」

久美子さんが、お店の資金繰りに悩んでいた私を誘ってくれました。

初めて支部で祈願を受けた後、副支部長さんが入会を勧めてくれました。

「入会すると、根本経典(きょうてん)である『仏説(ぶっせつ)・正心法語(しょうしんほうご)』※が授与されます。この中にある経文(きょうもん)を毎日読むと、仏の光が与えられ、心が落ち着いて、よい方向に導かれていきますよ」

けれども私は、宗教に対して抵抗感がありました。

(宗教は弱い人が慰(なぐさ)め合うところでしょ。私の人生は不幸だけど、おすがりしたくはないわ)

そう思っていたのです。

けれども、八方ふさがりの現状を何とか抜け出したいという気持ちもありました。

(本当に、「心が落ち着く」なら…)

入会してみると、幸福の科学は私がイメージしていた「宗教」とは違っていました。

会員さんは明るく前向きで、とても勉強熱心です。

「この本読んでごらん」「本が苦手ならテープがいいよ」と、学び始めたばかりの私をフォローしてくれました。

そんな先輩たちの姿を見習って、私も自分なりに目標を立てました。

毎日『仏説・正心法語』の中にある「真理の言葉・正心法語」を読み、仏法真理の本を少しでも読む。週に一度は支部に参拝する。月に一度は祈願を受ける。この3つです。

そうして半年近く経ったころ、支部の仲間と一緒に、総本山・日光精舎(しょうじゃ)※の宿泊研修に参加することになりました。

※『仏説・正心法語』…幸福の科学の根本経典。大切な7つの経文が収録されている。毎日読むことで、天上界と同通し、悪霊を遠ざけ、人生を切り拓く力がある。

※日光精舎…栃木県日光市にある幸福の科学の精舎(研修・礼拝施設)

仏の光が見えた

日光精舎は、清らかで荘厳(そうごん)な雰囲気に包まれています。なんだか、特別な場所なのだと感じました。

2日目の研修のなかで、瞑想の時間がありました。そのとき私は、とても不思議なビジョンを見せられたのです。

真っ暗な空間に、座禅を組んでいる1人の人影があります。

私はちょうど天井から見下ろすように、その人影を見つめていました。その人の全身は、墨で塗りつぶしたように真っ黒…。

(あれは、私だ)

そう、直感しました。すると上空から、仏の光がひとすじ、すぅっと降りてきて、真っ黒い体のなかに射(さ)しこみました。

光は途切れることなく降り注ぎ、漆黒の体のなかに、少しずつ、少しずつ、溜まっていきます。

やがて光でいっぱいになると、その体が、黄金色に輝き出しました。

そして次の瞬間、全身から仏の光があふれ出し、八方に流れ始めたのです。

(あぁ、これは私の姿だ…。私が孤独と不幸を抱えて、心が真っ暗闇になっていたときも、仏は私に、光を与え続けてくださってたんだ…!)

それまで感じたことのない、大きな安らぎに包まれました。

仏の掌(てのひら)で、何の心配もなく、限りない愛に包まれているような、絶対的な幸福感で満たされていったのです。

(私は、こんなに愛されていたんだ。それなのに、私が心を閉ざしていたから、仏の愛に気づけなかった…)

"生きてて良かった!"という思いが、心の底から湧きあがり、涙が次々と、頬を伝っていきました。

不思議な導き

日光精舎から帰っても、研修で得られた幸福感が続いていました。

その数日後。親戚のおばさんが店を訪れて、意外なことを言いました。

「あなたを産んだ本当のお母さんが住んでる場所知ってるかい?」

「え?本当のお母さんが?」

今まで何年も、産みの母の消息について話そうとしなかったおばさんが、実母の居場所を知らせてくれたのです。

お店を閉めた後、私は教えられた電話番号を握りしめて、広宮家に車を走らせました。

(本当のお母さんに会いたい。でも…)

産みの母への複雑な思いが、甦ります。

(産みの母に捨てられたから、私は継母の虐待を受け、地獄を味わった。産みの母が私を連れて行ってくれてたら…)

心の傷がうずきます。でも、もしかしたら実母は、私を思ってくれているのではないかという、一縷(いちる)の望み…。

小学生のころ、神社の人混みのなかで見た、産みの母とその家族の姿が浮かびました。

(私は、あの家族には入れなかった。産みの母は姉を選び、私は置いて行かれたんだ)

継母が言った言葉は、今も心に刺さったまま。

――煮るなり焼くなり好きなようにしろと言って、あんたを捨てて行ったんだ。

(電話なんかしたら嫌がられて、私はもっと傷つけられるかもしれない…)

広宮家に着くと、久美子さんの姑である"広宮のおばあちゃん"が迎えてくれました。

「なんだぃ、そんな顔して。どうした?」

ストーブの灯りに照らされて

ストーブにあたりながら、私は自分の身の上を、おばあちゃんにうちあけました。

虐待されたこと。中卒で社会に出て、苦労したこと。居場所がなくて、孤独だったこと。信仰に出会って、仏の愛に気づいた途端、産みの母の連絡先を教えられたこと――。

おばあちゃんに話すうちに、混乱していた心が、不思議と穏やかになっていきました。

おばあちゃんは私の話にじっと耳を傾け、そして、ぽつりと言いました。

「大変な人生、選んできたねぇ。あんたはそうやって、魂磨いてきたんだぞぃ」

そう言われたとき、それまで納得できなかった「親を選んで生まれてくる」という真理が、心に深く沁み入ってきたのです。

(そうだ。私は苦難のなかで魂を磨くために、今世の人生を、自分で選んできたんだ。この人生でしか、得られない宝を得るために――)

目が覚めた瞬間でした。

「私、今までずっと、『自分は悪くないのに不幸に巻きこまれてしまう』って、被害者意識で生きてきたの。でも、自分で選んだ人生なんだから、被害者じゃないんだよね。これからは私、もっと明るく前向きに生きていけそうな気がする」

おばあちゃんは、私の目をまっすぐ見つめて、うんうんと頷いてくれました。

「私を産んだお母さんも、虐待した継母も、3人目の母も、みんな、魂修行の途中なんだよね。それぞれの人生で、魂を磨いているんだよね…」

産みの母には産みの母の事情があって、私を置いて行くしかなかったのでしょう。

「子供を置いて離婚し、別の家庭を持つ」という人生のなかに、産みの母に必要な魂修行があったのかもしれません。

私を虐待した継母の立場に立って考えてみれば、「先妻の子を育てる」という"重荷"を背負うのは、やはり大変なことだったに違いありません。

父との不仲や経済的な不安もあって、ストレスのやり場がなかったのかもしれません。

そのなかにまた、お互いの魂修行の材料があったのだと思います。

そして、父と再婚した3人目の母も、今の生活に理不尽さを感じて、彼女なりに葛藤を抱えているのでしょう。

――みんなみんな、頑張って生きているんだ。

「こんなふうに思えるなんて、思ってもみなかった。信仰に出会わなかったら、私はずっと、不幸なままだった」

30年以上も抱き続けてきた恨み心が、解けていくのを感じました。

(本当のお母さんに電話しよう。そして、私の気持ちを伝えよう)

自宅へ向かってハンドルを握りながら、私の胸には、温かい光が灯っていました。

「今は、幸せなのかい?」

次の日。産みの母に電話をかけました。

「はい、もしもし」

(お母さんだ…!)

初めて耳にする実母の声に、言葉が出ませんでした。

「…」

「…純子かい?」

思いがけないことに、実母が名前を呼んでくれたのです。

「…うん。純子だよ。お母さん」

「純子。純子は、28になったんだよね。…今は、幸せなのかい?」

実母は言葉を詰まらせながら、とぎれとぎれに語ってくれました。どうしても、私を連れて行けなかったこと。いつも私のことを、思い出していたこと――。

幼少時からのいろいろな場面が、心を過ぎりました。

でも、そんなことは、もういい。私が伝えたいのは、この幸福感だけ――。

「いろいろあったけど、今は幸せよ。お母さん。私を産んでくれて、ありがとう――」

受話器を置いたとき、長年背負い続けてきた荷物を降ろしたような安堵感と、清々しい気持ちが心に広がりました。

この幸福感を

精舎での体験を通して苦しみから救われた私は、3人目の母との関係も、私に与えられた魂修行なのだと思い、「仏法真理を知っている私の方から、与える愛の実践をしよう」と努力していきました。

心が通じ合うまでには3年ほどかかりましたが、今は、私と3番目の母の関係は父が驚くほど円満になり、仏法真理の偉大さを実感しています。

そして、信仰に出会って9年後、私は、入信以来ずっと支え続けてくれた、男性と結婚しました。

同居している姑には、認知症の症状があります。毎日の介護では悩むこともありますが、心をこめて接すると、子供のように素直に応えてくれます。

ここでも、心を磨くありがたい機会をいただきました。

信仰との出会いを境に、私の人生は急展開していきました。

「人生の計画は、自分が生まれてくる前に立ててくる。親も自分が選んで、約束して生まれてくる。この世の人生は魂修行のためであり、どんな苦難があっても、それは永遠の転生輪廻のひとコマなのだ――」

その仏法真理を知ったとき、自分の人生を心の底から愛おしく感じられたのです。

このような人生を選んで来なかったら、私は、仏の愛に気づけなかったでしょう。

苦しい経験をしたからこそ、他の人の痛みが分かり、同じ悩みを持つ方に自分の経験をお話しすることもできます。

すべては「愛」を学ぶために必要な経験だったと思います。

人生のなかで起こることは、何一つ、ムダなことはない。

苦しいときにこそ、仏はすぐそばにいて、見守ってくださる。

それに気づいたとき、どんな不幸も必ず乗り越えていけるのだと分かりました。

人生の苦しみのなかにある多くの方々に、仏法真理をお伝えして本当に幸せになっていただきたい。私は今、そう願っています。

一人で悩まないで、「自殺防止相談窓口」にお電話ください

仏法真理に基づいた心の救済を目指して、2020年5月8日(金)より幸福の科学「自殺防止相談窓口」を開設しています。電話やメールにて相談することができます。

幸福の科学「自殺防止相談窓口」

◇電話番号 03-5573-7707
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この記事は、「自殺防止サイト―あなたに贈る真理の言葉」 より転載し、編集を加えたものです。また、プライバシー保護のため、文中の名前は全て仮名にしています。

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