植福
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植福とは与える愛の実践
幸福の科学では、お布施(ふせ)のことを「植林」になぞらえて「植福(しょくふく)」と呼びます。
植林というのは、将来のため、百年先のことを考えて、行っていくものです。
苗木を植えた人は、実際に、その木を伐採して材木にし、それを売ったり、家を建てたりすることはできず、決して自分のものにはなりません。しかし、植えた木は、その木が大きくなって緑なす山となり、また、材木となって、家やその他のものに変わっていきます。
宗教の行う伝道活動には、会社のような対価性がありません。
幸福の科学が会員信者のみなさまから植福を受けるときも、それは商品の対価、何かの労働の対価ではありません。対価性があれば、そこにすでに穢(けが)れがあり、それは植福ではありません。
たとえ、お経を読む、説法をするなどという行為がそこにあったとしても、それは一つの機縁、よすがであって、その対価として、植福をするわけではないのです。
植福は、「尊いものに、自分の持てるものを布施し、執着を断つ」という心の修行でもあります。
対価性がないものであり、だからこそ値打ちがあり、功徳があります。みなさまが差し出された尊い植福は、社会に幸福をもたらすための光なのです。
「布施」は、仏教の基本でもありますが、幸福の科学では、「植林」になぞらえて「植福」という言い方をしています。(中略)
植林というのは、将来のため、百年先のことを考えて、行っていくものです。
要するに、「植福」というのは、「将来の多くの人の幸福を願って、行っていく修行なのだ」ということです。そして、そうであればこそ、逆に、無限の功徳がわが身に降ってくるのです。
(経典『「エル・カンターレへの祈り」講義』より)
植福は、将来の多くの人々の幸福を願って行う、与える愛の実践です。
信者の皆さまの植福によって、全国・全世界各地に支部や精舎が建立され、幸福の科学学園やHSU(ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ)が創立され、政治活動や国際展開といったユートピア建設のための活動を推し進めています。
こうして活動の輪が広がることは、地域の方々や、未来の青年への贈り物です。
植福をすると、「この世的な価値観ではなく、神仏の願いのために大切なものを差し出した」という、見返りを求めないがゆえの喜びがあります。
植福は、執着を去る修行でもあります。心からの布施の気持ちで行う植福は、神仏に届く布施となります。
皆さまからいただいた真心の植福は、全世界の支部や精舎の建立をはじめ、真理啓蒙のための経典発刊、映画製作、さらには世界の貧困や自然災害、いじめ問題解決や自殺防止などの数多くの社会問題の解決のために、大切に使用しています。
植福の会
お電話またはメールで植福の会に申し込む
銀行もしくは、ゆうちょ銀行での自動引き落としとなります。参加をご希望の方は、下記幸福の科学サービスセンターまでお問い合わせください。
▶幸福の科学サービスセンター
TEL: 03-5793-1727
火~金:10時~20時
土日祝:10時~18時(月曜日は除く)
contactus.happyscience.me
植福の方法
植福の会とは別に、植福をしたいと思われる方は、直接支部や精舎でご奉納いただくか、インターネットでも植福していただくことができます。
【 支部・精舎での植福 】
幸福の科学の支部や精舎で、直接植福をすることができます。奉納箱の近くに奉納袋のご用意がありますので、そちらをお使いください。
※ 祈願や研修を受けられる際は、奉納目安のご案内があります。
【 銀行振込での植福 】
直接銀行にお振り込みいただくこともできます。
・三井住友銀行・五反田支店・普通8298348
・三菱UFJ銀行・東京営業部・普通105345
・みずほ銀行・東京営業部・普通1036119
・ゆうちょ銀行・00100-0-16889
上記のいずれかの口座にお振り込みください。
【 ネット植福 】
インターネットからも植福できます。
※植福は返金・返品の対象にはなりませんのでご注意ください
植福の功徳仏に差し出すもの
幸福の科学は信者のみなさまからの植福、お布施、寄進を受けていますが、信仰にもとづく植福、寄進は、信仰の対象である仏神に向けられたものです。
そして、それはまた、宗教修行や宗教環境を支える行為でもあります。
貧者の一灯
仏典に「貧者の一灯」という有名な話があります。
お釈迦さまが弟子たちに、「たくさんの人が布施をしたが、このなかでいちばん多くの布施をした人は誰だと思うか。それは、なけなしのお金をはたいて一本のロウソクを寄進した、貧乏なおばあさんである。その布施がいちばん尊いのだ」と語ったとされる話です。植福においては、金額の問題ではなく、「その思いが大事なのだ」ということを表しています。功徳を求めて行うのでなく、心からの植福をすることが大切です。
「これを布施したら、どれだけよいことがありますか」というような気持ちで行っても、それほど値打ちは高くありませんが、心からの植福をすれば、それは仏神に届く植福となります。
宗教を支える
宗教は「信仰を護り広げていく」という仕事を担っています。
そのような仕事のなかには、瞑想状態を維持したり、霊的環境を護ったりする部分が出てきます。
これは、この世的な実業部門、実務部門とはまったく違う部分です。
「仏神のために生活している」「霊域を護っている」というような人は、会社生活をしている人から見ると仕事をしていないようにも見えますが、実は非常に尊い部分を護っています。この部分を、会員の方をはじめとするみなさまが尊い植福で支えます。
宗教には非生産的な部門のあるのが常識であり、そうした聖なる修行をしている人たちの生活を支えるために、対価性のない植福をお受けするのです。これはとても尊い行為です。
三輪清浄(さんりんしょうじょう)
正しいお布施として成り立つためには、布施する主体(施者)、布施する相手(受者)、布施する物品(施物)に汚れがないこと、執着がないことが必要です。これを仏教では「三輪清浄(さんりんしょうじょう)」といいます。
この三つのどれかに穢れがあると、お布施は成立しません。
植福をする人は、信仰心を持って、「これを心からお布施したい」という気持ちであることが大切です。与えるほうが、非常に清々しく爽やかな執着のない心で与え、そして受け取るほうも、感謝の心で受け取り、与えるもの自体も、清浄であることが大切です。
幸福の科学ではこうした考え方にもとづいて、会員信者のみなさまを中心に植福の功徳をお伝えしています。
植福した方の声
初めは勇気が必要でしたが、植福の実践をすると、なんともいえない感動と感謝がわき上がってきました。不思議と涙がこみ上げて、本当に価値あるお金の使い道がはじめてわかった思いでした。(40代・男性)
病気をきっかけに真剣に幸福の科学の教えを学ぶようになった私は、「神仏のお役に立ちたい」という思いがつのり、植福をさせていただくようになりました。仕事ができて、お給料をいただけて、さらにその中から神仏に植福を捧げることができることを、とても幸福に感じています。植福を重ねるたびに、信仰心が磨かれていくようで、「神仏のお役に立てますように」と、ワクワクする気持ちをもっています。(20代・女性)
2009年に幸福実現党が立党され、「北朝鮮のミサイル発射実験に対し、きちんと対策をしなければいけない」と訴える姿を見て、本当にその通りだと思いました。日本と世界を守るための活動を支援したいと思い、「今しなければ、きっと後悔する」と、精一杯の植福を決意すると、「あなたが信じるなら私も協力する」と、親族が協力を申し出てくれたのです。その後も、「人々の幸福の貢献したい」と、植福を重ねていると、思いがけない援助や幸運に恵まれることが何度もありました。「神仏のお役に立ちたい」という思いは必ず聞き届けられる、ということを実感しています。(50代・男性)
【おすすめ経典】
『エル・カンターレへの祈り』には、「エル・カンターレへの祈り」のほか「伝道参加のための祈り」と「植福功徳経」も収められています。本書では「植福功徳経」についても説かれており、布施の精神や植福の意味について学びを深めることができます。