大川隆法総裁

Ryuho Okawa

大川隆法総裁 公式サイト

ワールド・ティーチャー 大川隆法総裁の魅力に迫る公式サイトです。

大川隆法

幸福の科学グループ創始者 兼 総裁。

1956(昭和31)年7月7日、徳島県に生まれる。

東京大学法学部卒業後、大手総合商社に入社し、ニューヨーク本社に勤務するかたわら、ニューヨーク市立大学大学院で国際金融論を学ぶ。

81年、大悟し、人類救済の大いなる使命を持つ「エル・カンターレ」であることを自覚する。

86年、「幸福の科学」を設立。2016年には立宗30周年を迎え、信者は世界100カ国以上に広がっており、全国・全世界に精舎・支部精舎等を700カ所以上、布教所を約1万カ所展開している。

説法回数は2,500回を超え(うち英語説法100回以上)、また著作は28言語以上に翻訳され、発刊点数は全世界で2,100書を超える。
『太陽の法』(幸福の科学出版刊)をはじめとする著作の多くはベストセラー、ミリオンセラーとなっている。

また、これまでに、10作の劇場用映画を製作総指揮している。ハッピー・サイエンス・ユニバーシティと学校法人 幸福の科学学園(中学校・高等学校)の創立者、幸福実現党創立者兼総裁、HS政経塾創立者兼名誉塾長、幸福の科学出版(株)創立者、ニュースター・プロダクション(株)の会長でもある。

大川隆法総裁 2500回を超える説法

大川隆法総裁は、立宗以来、2500回を超える説法を日本・世界各地で行ってきました。その内容は、宗教、政治、経済、国際関係、教育、科学、医療、芸能など多岐に渡り、多くの人々の幸福への指針となっています。

大川隆法総裁 幸福の科学設立までのヒストリー

大川隆法総裁は、小学校2年生のときに担任の先生から「20歳の知能(IQ200以上)である」と言われるほどの天賦の才に恵まれながらも、おごることなく地道な精進の姿勢を貫く大変な努力家でした。現在でも、その偉大な霊能力のみに頼ることなく、自助努力の精神を大切にし、その精進の姿で数多くの人々を導いています。

幼少時~青春期 精進を重ねる日々

幼少時~青春期 精進を重ねる日々

大川隆法総裁は、1956年7月7日、朝7時ごろに、徳島県麻植郡川島町(現・吉野川市)に生まれました。精進に精進を重ね、小・中・高と一貫して全国トップクラスの成績を修めます。さらに、生徒会長、テニス部部長、報道委員長などのリーダーも務め、その懐の深さや高潔な人格によって、ご両親をはじめ、同級生や教師から絶大な信頼を得ました。「彼は約束を必ず守る」、「人が見ていないところでは、いっそうきちんとしている」、「彼がいると、不思議とクラスがよくまとまる」などと評される青春時代を過ごしました。

大学時代 霊的覚醒が始まる

大学時代 霊的覚醒が始まる

努力の結果、東京大学法学部へ進学した大川隆法総裁は、授業に関係することのみならず、広く学問の世界を渉猟(しょうりょう)すべく、夜を日に継いで勉学に打ち込みました。法学、政治学のみならず、社会学、歴史学、哲学、社会思想史、経済学、経営学、自然科学、国際関係論、さらに英語・ドイツ語の原書講読も重ね、20歳のころには1,000冊以上の書籍を読破します。さまざまな領野を納得いくまで学び、人類の叡智として光を放つものを徹底的に探究しました。そうした日々のなかで、1980年12月頃から霊的覚醒の予感を抱きます。

大悟の瞬間 大いなる使命に目覚める

大悟の瞬間 大いなる使命に目覚める

瞑想的な日々のなかで、至福の感覚を何度も体験した大川隆法総裁に、ついに大悟の瞬間が訪れます。1981年3月23日、午後2時過ぎ、「イイシラセ、イイシラセ」と、福音を告げる自動書記が始まりました。大川隆法総裁が、霊界と同通し、悟りを開いた瞬間です。さらに同年7月には、自らがエル・カンターレという存在であり、 全人類を幸福へ導く使命を持っていることを自覚します。24歳のときのことでした。その後、大手総合商社に入社し6年間の社会経験を積むなど、来たるべき日に向け、雌伏(しふく)の時を送ることになったのです。

社会人時代 初の霊言書籍を刊行

社会人時代 初の霊言書籍を刊行

商社では東京本社の外国為替部に配属、翌年にはニューヨーク本社の研修生に抜擢。世界貿易センタービル40階の事務所にてアメリカ人の女性秘書を部下に、国際金融の仕事に従事しました。また、そのかたわらで、ニューヨーク市立大学大学院で国際金融論を学びました。エリートコースを歩む一方で、天上界との霊的交流は続いていました。27歳のとき、社内報に寄稿した「愛の発展段階説」が大反響を呼び、当時の「日刊工業新聞」に転載されます。1984年には、社内の幹部養成コースの通例として、名古屋支社へと異動。このころから霊言刊行の話が進み、1985年8月、初めての書籍『日蓮の霊言』が発刊されました。

退社独立 すべてを捨てて空手にして立つ

退社独立 すべてを捨てて空手にして立つ

1986年6月17・18日に、大川隆法総裁のもとに、神々が次々とあらわれ、救世主として世に立つべき時が来たことを知らせます。これまで積み上げてきた地位や名声を捨て、空手にして立つことを決意し、7月15日に商社を退社。30歳にして全人類救済のためにその身を投げ出したのです。その後、8月20日~9月8日にかけて、当会の根本経典『正心法語』と、当会の基本法となる『太陽の法』を、9月22日~10月にかけて、『黄金の法』を自動書記にて記述。さらに、初の口述にて『永遠の法』が語り下ろされます。そして、1986年10月6日、幸福の科学が設立され、同年11月23日には初めての法話・講演が行われました。

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