一神教と多神教はどちらが正しいのですか?【霊的世界のほんとうの話】
Q.一神教と多神教はどちらが正しいのですか?
A.どちらの考え方にも足りない部分があります。至高神(大宇宙の根本仏)を中心として、たくさんの神々や天使が存在しているのが真実です。
一神教といっても、ほんとうの“一神”ではない
一つの宗教が起きるときに、そのなかで中心的な指導霊となる、神格を持った魂が一人であることは、確かによくあることです。特定の人が中心的に指導していることがあります。そのため、「私の教えに基づいて行動しなさい」と言うことはあります。しかし、それは、「その人以外に他の神がいない」ということを意味してはいません。本当は、「根本仏」と呼ばれる宇宙の至高神がいて、その根本仏を中心にたくさんの神や天使が存在しているのが、神々の世界の真実なのです。 人類がこれだけの人口を持っているところを見ても分かるように、多くの神がいなければ、大勢の人たちを幸福にすることはできません。数多くの方々がいて、役割分担をしているのです。そして、それを取りまとめている人たちもいます。そのようになっており、その時代において、その地域において、「誰が担当して、その宗教を起こすか」ということが決まる場合がありますが、それは、同時に、「神は一つだから、自分のたちのところ以外に出た神が偽物であった」ということではないのです。
『旧約聖書』には、ヤハウェ以外の神が出てくる
例えば、一神教で有名なのは、もちろん、ユダヤ教でしょう。ヤハウェの神の一神教です。このヤハウェは妬む神であって、「自分以外の神を崇拝することは許さない」と言っています。しかし、このユダヤの神がほんとうの一神か、神は一つなのかというと、『旧約聖書』を読んでみると、そうではないことがはっきりしています。旧約に出てくる神には、ヤハウェと、もう一つ、エロヒムという神がいます。これはヤハウェとは違った神なのです。この両者が指導しているのです。したがって、『旧約聖書』に載っているだけでも、早くも二人の神が出てきていて、一神ではないのです。そのときに熱心に指導した神が、邪教を信じている人などに対して、「自分のみを神とせよ」と言ったことはあるかもしれません。しかし、それは、「自分以外の神の存在を許さない」という意味ではなかったわけです。 もし、ほんとうに間違った宗教を信じている人がいたら、「その邪神を崇めるのはやめなさい。われのみを信ぜよ」と言うことは、方便としては、もちろん、正しいことではあります。しかし、その教えが「他の宗教は全部間違いである」「他の神がすべて間違いである」というなら、これは大変な混乱を生みます。
マホメットを指導していた霊人は複数いた
同じく一神教としては、イスラム教もそうでしょう。『コーラン』は、終始、アッラー神を讚えた内容で出来上がっていますが、マホメットは、このアッラーの言葉を霊言のかたちで伝えているのです。そして、面白いことには、アッラーが自分のことを言うときに、「われは」と言うだけではなく、「われわれは」と複数形で言っているところが、何回も出てくるのです。「われは」と出たり、「われわれは」と出たりして、複数形が何度も何度も出てきます。それに対して、アラブの人たちは、よく分からないので、「われわれは」というのもアッラーの自称なのだと考えているのです。しかし、この「われわれは」というのは、指導霊団がいることを意味しているわけです。アッラーといっても、代表で出ているのがその霊人であり、それ以外にも指導霊がいて、交替でいろいろな指導をしていることを意味しているのです。それが真相です。したがって、一神教といっても、ほんとうの一神ではないのです。たとえ主たる担当者が一つの霊存在であるとしても、指導霊は、その霊だけではありません。
参考文献:『霊的世界のほんとうの話。』