あなたが信仰を持つべき、たった一つの理由

「信仰」や「宗教」という言葉には、現代の学校教育や報道の影響もあり、あまり良くない印象を持たれている方も多いかもしれません。

あるいは、「偏見はないけど宗教の必要性を感じない」「宗教に興味を持っていても組織の中に入る一歩を踏み出せない」「神様を信じていたのに悲しいことが起きたから、もう信じられない」といった方もいるかもしれません。

しかし、宗教はすべての人にとって必要なものです。

仏神を信じることの大切さを、大川隆法総裁の法話をもとにご紹介します。

信仰とは「私は仏の子です」と言えること

少し逆説的で奇抜な言い方ですが、かつて私は「信仰とは事実の確認である」と述べたことがあります。

その言葉の真意は、「この大宇宙は根本仏が創ったものである。大宇宙のなかで、人間をはじめとした、いろいろな生き物を生かそうとする、根本仏の意志があって、生命が生まれた。根本仏が大宇宙を創り、そのなかに生命を生み、育んでいる。その生命が、現象界でのさまざまな魂修行をしている。そのなかで転生輪廻もある。その事実の確認をすることが信仰にほかならない」ということです。

この考えからすると、信仰とは、人間が地獄に堕ちるようになってから始まったことではないのです。もっと根本的なものです。

結局、信仰とは、「あなたは誰ですか。どこの家の子ですか」と訊(き)かれ、「私は○○家の子です」と答えているのと同じようなことなのです。

すなわち、「あなたは誰ですか」という問いに、「私は仏の子です。私の親は仏です。神と言われることもありますが、仏が私の親です」と言えることが信仰です。

したがって、「自分自身を知る」ということが、実は信仰の"馴れ初め(なれそめ)"なのです。

(書籍『信仰のすすめ』 より抜粋)

「信じる」ということは、「永遠の生命」である、自分自身をも「愛する」ということである。

(経典『信仰の法』より)

仏神との出会い

人間は、ある時点で仏神と出会うように仕組まれているのです。

仏神との出会いの契機として、一つには、この世で人間として成長していく途中における、大きな失敗、挫折ということがあるでしょう。大きな病、受験や就職の失敗、恋愛や結婚の失敗など、さまざまなかたちでの失敗、挫折が、人間を仏神のほうへと深く深く向き直らせる契機となっているのです。

苦難や困難、失敗、挫折というものは、世間では悪いことの象徴のように言われていますが、必ずしもそうとは言い切れない面もあるわけです。「失敗のなかに成功の因があり、また、悲しみのなかに喜びの種がある」という、ものの見方が非常に大事だと思います。

世の中を非常に単純に、二元論的に見る人は、「仏神が存在するなら、世の中には、なぜ不幸があるのだろうか。なぜ辛酸をなめるような経験があるのだろうか。なぜ死というものに出会う悲しみがあるのだろうか。なぜ別離という悲しみがあるのだろうか。なぜ貧乏という名の苦しみがあるのだろうか」ということを感じます。

しかし、そのような苦しみや悲しみは、単なる苦しみのための苦しみであったり、悲しみのための悲しみであったりすることはありません。苦しみや悲しみと見えるものは、実は、姿を変えた、仏神の大いなる愛であることが多いのです。

仏教では、さまざまな試練を観世音菩薩の方便であると言うこともあります。いろいろな試練と見えるもの、砥石と見えるもののなかに、実は、仏神との出会いがあるのです。

(書籍『幸福の原点』 より抜粋)

【信仰体験談】長男の自殺、その苦しみを乗り超えて

「お父さん、ここの梁の太さ、これでいけると思う?」
「計算でいくとそうだろうけど、こうした方がいいよ」

わが家の居間で図面を広げ、在りし日の長男と主人が会話を交わしていた、そんな光景が思い出されます。

設計士だった長男のTは、大工の棟梁だった父親に、よく仕事の相談をしていました。幼いころの長男は活発な子でしたが、大人になるにつれて口数が減り、物静かな父親によく似てきていました。

そんな長男が、まさか自ら命を絶ってしまうとは…。

あの事件からどう乗り越えてきたか、道のりをお話しします。

悲しみの時も主は共にある

悲しみの時に最も大切なあり方は、「主と共にある」という思いを忘れないことです。主との一体感なくしては、悲しみの時を生きる意味がありません。

どのような不幸があろうとも、その不幸を、主を見るための望遠鏡、主に接するための手綱としなくてはなりません。主は意外と近くにいるかもしれず、その手綱を引けば、それによって主を引き寄せることができるかもしれないのです。

人間は、喜びのなかにあって主を知ることは少ないものです。なぜなら、人間を超えたものに対する感謝をしないからです。

しかし、悲しみの時にあって主を知ることは、そう難しいことではありません。そこでは、人間はみずからの力の限界を感じ、みずからの外にあるもの、人間を超えたものに対して、祈らざるをえないからです。すなわち、人間を超えた大いなる力に祈ることによって、悲しみを乗り越えていくことができるのです。

(書籍『愛から祈りへ』 より抜粋)

私は、あなたがたと共にある。私があなたがたを背負って歩いているということを、忘れてはならない。

(経典『永遠の仏陀』より)

神はすべての人を愛している

宇宙は、本当は、「目に見えるもの」ではなく、「目に見えないもの」によって出来上がっています。

その「目に見えないもの」とは何であるかというと、それが「霊的なる存在」です。さまざまなものが「霊的なるもの」で出来上がっています。

その「霊的なるもの」の正体、本質とは何であるかといえば、それが「愛」であることを、私はあなたがたに伝えたいのです。

宇宙は「神の愛」によって創られました。また、地球を含む、さまざまな銀河系、惑星系のなかには、人類型や動物型、植物型など、さまざまな生き物がいますが、万象万物すべてに「神の愛」が宿っています。

あなたがたの目に見せることはできなくても、あなたがたの心のなかには、私の言葉を感じられるところがあるはずです。

なぜ感じられるのでしょうか。それは、あなたがたの内に「神の愛」が宿っているからです。

だから私は、「人間は神の子だ」と言っているのです。

私はあなたがたに言います。「他の誰からも自分は愛されていない」と思っている人が、もし、みなさんのなかに一人でも存在しているとするならば、私はあえて言います。

私は、そんなあなたも愛しています。

あなたがた一人ひとりを愛しています。

(書籍『青銅の法』 より編集・抜粋)

霊的世界をリアルに描き出した衝撃作として、大きな話題となった映画『夢判断、そして恐怖体験へ』 (2021年公開)。

その続編となる映画『レット・イット・ビー ~怖いものは、やはり怖い~』 は、信仰に関連する"女性の脚に残る「謎の手形」"のエピソードなど、実際に起きた5つの心霊恐怖体験を実写映画化しています。

会員限定の経典となります。お近くの支部や精舎 までお気軽にお問い合わせください。

「現在ただ今がすべてではない。

「苦しみは必ず苦しみしか生まない」と思っているなら、それは間違いだ。

(中略)

だから、苦しみのなかに信仰を見いだせ。

あなたとともに苦しんでくれている天使もいるのだ。

天使の涙を感じたならば、あなたの苦しみが聖なる安らぎへと、昇華していくことだろう。」

(楽曲「苦しみと信仰」※歌詞より抜粋)

※ 本楽曲は「映画『レット・イット・ビー ―怖いものは、やはり怖い―』(夢判断、そして恐怖体験へ2)オリジナル・サウンドトラック 」に収録されています。

おすすめの本

PICK UP

『小説 揺らぎ』大川隆法書き下ろし小説
『小説 とっちめてやらなくちゃ-タイム・トラベラー「宇高美佐の手記」』大川隆法書き下ろし小説
『十年目の君・十年目の恋』(作詞・作曲:大川隆法)