この記事は、隔月発刊の機関誌 「ザ・伝道」 第144号より転載し、編集を加えたものです。
Mさん(40代・女性)
私はダメな子
私はダメな子なのかな—。物心ついたころから私は、自分のことをそんな風に思っていました。 なぜなら、母から私自身を「否定」されるような言葉を言われ続けて育ったからです。
「あなたはほんとにダメな子なんだから—」
私の両親は、父は新聞社の印刷工員、母も飲食店の店員をしていて共働きでした。そのため長女の私は、小学校の低学年の時から家の掃除をしたり、夕飯のしたくの手伝いをしたりと家事をしなければなりませんでした。私に少しでも落ち度があると、母は私を厳しく叱り、その度に「ダメな子」呼ばわりするのです。
父はそんな時、「言いすぎだ」と言って、私をかばってくれました。でも、父とは喧嘩が絶えなかった母は、父の言葉など聞く耳をもちません。ある時など、ちょっとお使いが嫌だと言っただけで、突然の体罰。私には何が理由でそこまで怒っているのか分かりません。それ以後、いつ叱られるかとびくびくするようになりました。
「なんでそんなに怒るの? 私、そんなにダメな子なの?」
恨み心を募らせて
それでも私は、母に優しくしてほしい一心で、子どもながらにいろいろな努力をしました。お手伝いは、掃除でも料理でも、自分なりに工夫。だんだん、手早くやれるようになっていきました。勉強の方は、通信簿が「2」ばかりでしたが、頑張った結果、高学年になると「4」や「5」をとれるようになりました。
運動も人一倍努力。生まれつき股関節に障害がある私は、他の子のようには走れません。
でも、毎日、夕方、家の周りを走りこむうち、マラソン大会で上位に入るようになったのです。そんな私を、母はほめてくれますが、至らないことがあれば、ものすごく叱責され、全人格を否定するようなことまで言われます。
「なんでそこまで私をひどく言うの?」
いつしか、私は母に反感を募らせていったのです。
早く家を出たい
中学生頃まではおとなしくしていた私も、高校生になると反抗するようになりました。
「いちいち、うるさいっ!」
そんな私に、母も怒りをぶつけてきます。私は高校を卒業し、一般企業に勤めた後、音楽教室の講師になり、子どもにピアノなどを教えるようになりました。アパート暮らしも始め、ようやく家を出ることができたのです。
そして24歳の時に、中学の同級生だったTさんと結婚。夫は国家公務員ですが、海外任務も定期的にあります。結婚してすぐアメリカに行くことになりました。長男が生まれると、母は英語も話せないのに、アメリカまで来て子育てを手伝ってくれました。でも、そんな母に私は、感謝の言葉も、ねぎらいの言葉も、かけたことすらなかったのです。私は依然として、母に心のわだかまりを持ち続けていました。
ほんとうの愛
結婚6年目に入ったころ、夫との関係が冷え切ってしまうということがありました。苦しんでいる私に、子ども同士が同じ保育園ということで知り合ったSさんが、幸福の科学の 『太陽の法』 という本を勧めてくれたのです。予想だにしなかった本の内容に私は引き込まれました。
「みかえりを求めることは、ほんとうの愛ではありません。ほんとうの愛とは、与える愛です。与える愛とは、すなわち、無償の愛です」「にせものの自分の筆頭とは、他人から愛をもぎ取ることばかり考えている自分です」 ( 『太陽の法』 より)
私は夫との関係に思いを馳せました。夫は、優秀な人なのに入省の経緯から出世コースからはずれていたことを、心の中で責め続けていたのです。夫にも伝わっていたに違いありません。私は、自分が「奪う愛」の塊だったこと、夫の愛情や優しさも見失っていたことに気づきました。
私、仏の子だった!
驚きはそれだけではありませんでした。
「人間の魂は、仏からわかれてきたものであり、仏の自己表現の芸術であると、言ってよいでしょう」 ( 『太陽の法』 より)
人間は「仏の子」であり、「魂の親である仏」を目指して無限に向上していけることが、理路整然と書かれていたのです。
「私、間違ってた! 私、ダメな人間なんかじゃない!」
私は、いつか「自分が素晴らしく変われる」という希望を胸に幸福の科学に入会したのです。
心はつながっていた!
まず夫への反省をしました。夫の出世に執着していた自分。私は、幼いころから抱いていた劣等感を、夫の出世で埋めたかったのです。家族のために身を粉にしている夫に、申し訳なさでいっぱいになりました。
すると不思議なことが起こりました。夫が単身赴任先のイランから電話してきて、「二人で出直そう」と言ってくれたのです。こんなにも心はつながっているのかと、驚くばかりでした。
親を選んでくる?
さらには 支部 の皆さんと、 総本山の精舎 を巡り、研修にも参加するようになりました。精舎で瞑想していると、何ともいえないあたたかな光を心に感じ、魂が安らぎに満たされていったのです。
「私、仏と一体なんだ。仏とつながっているんだ—」
仏の偉大さ、教えの威力に感動していった私でしたが、一つだけ理解できないことがありました。それは、「生まれる前に親を選んでくる」という教えです。あの母を、自分が親に選んだということに、私は納得がいきませんでした。
ある日、支部で先輩会員と話していると、ある方が何気なく口にした、「親子関係の改善は『感謝』がキーワードよね」という言葉に心が留まりました。そこで私は、日中、家事をしながら、母がしてくれたことを一つひとつ思い出してみることにしました。最初は、いやな記憶ばかりよみがえりました。幼いころ、わけも分からないまま髪を引っ張られたこと、足蹴にされたこと・・・。でも、「お母さんも仏の子。仏を信じるなら、お母さんの仏性を信じよう」と思い、1週間、2週間とトライし続けました。
父に泣かされていた母
すると、私が小学生の時の母の姿を思い出しました。仕事から帰ってくると、私と妹をつかまえて、冗談を言ったリ、「ひょっとこ」みたいなおかしな顔をして、よく私たちを笑わせていた母。私は妹と二人、心から笑っていました。そんな合間、母はよく「私にはおまえたちが宝物なんだよ」と言っていたことも思い出したのです。
競馬にお金をつぎ込んでいた父に泣かされていた母。
「家計を支えるために、つらいことがあっても私たちのために、一生懸命働いてくれてたんだ。私につらく当たったのは、きっと夫婦仲が悪くて、さみしさのあまりだったからに違いない・・・」
私はさらに、母とのことを思い出していきました。
「星を授かった」
ある日の昼下がり。居間でくつろいでいると、ふと、私の誕生について、母から聞いた話を思い出しました。
「Mちゃんがお腹に宿る前、3度も流産してね。もう子宝は授からないって諦めてたら、おまえを身ごもったんだよ」
「それからは、心にいつも星が輝いているみたいな気がしてね。だから、私は星を授かったんだ、この子は私のスターなんだ、と思ったよ」
母はおだやかな笑みを浮かべ語っていました。
「ごめんね、Mちゃん」
しかし、そうして生まれてきた私には、股関節に障害がありました。「おまえの足は、私のせいだよ。ごめんね」と、ことあることに言っていた母。障害のことを医者から告げられたとき、母はどんなにショックだったことでしょうか。
私も母親になった今では、その気持ちが痛いほど分かります。幼いころ、母は私をおんぶして病院を回りました。診察室で「先生、どうかこの子の足を治してやってください」と頼みこんでいた母の姿が思い出されました。
また、別の光景もよみがえってきました。小学校の高学年で、運動会の応援に母が来てくれた時のこと。私は長距離走で、一番でゴールしました。
「Mちゃんが一番で戻ってきた!」
母はそう言って、大粒の涙を流しながら、子どものようにはしゃいで喜んでくれました。
その泣き顔を思い出した時、私が障害を持って生まれたことに母がどんなに負い目を感じ、どれだけ「ガンバレ、ガンバレ」と心で応援してくれていたか、心底分かりました。厳しい母だったからこそ、私もここまで頑張ってこられたのだと—。母も私を信じてくれていたのだと今は思えます。
どんなにつらい境遇の中でも、明るくエネルギッシュだった母。そんな母から私は、「強さ」を学び、引き継がせてもらったのかもしれません。
「そうだ! 私はこの母のもとで、努力の喜びを知るため、親になってもらうよう、生まれる前にお願いしてきたんだ!」
この母の子でよかった
ほどなくして、母が遊びに来てくれた日。私は心にあふれる感謝を、ありったけの気持ちをこめて伝えました。
「お母さん、私を生んでくれて、ここまで育ててくれて、本当にありがとう。今まで全然感謝もしないで、本当にごめんね」
突然の私の言葉に、あっけにとられていた母。やがて、ポタポタと涙をこぼしはじめました。
「私は、おまえから感謝してほしくて頑張ってきたわけじゃないんだよ。でも、そう思ってくれて本当にうれしいよ」
母と抱き合い、二人とも言葉もなく涙を流し続けました。
その日を境に、母とぶつかることはほとんどなくなりました。あれから数年。母は、孫の顔を見るのが何よりの楽しみ。二人の息子もおばあちゃんが大好きです。孫たちと一緒に幸せそうな母の姿を見ていると、私もとても幸せな気持ちになります。この母の子として生まれることができたことを、今では誇りに思います。
そして、こんなに素晴らしい幸福を授けてくださった仏に、心からの感謝を捧げます。
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