第二弾!映画『二十歳に還りたい。』セリフから読み解く大川隆法総裁の教え
2023年9月29日に公開された映画『二十歳に還りたい。』 は、人生をやり直していく中で、「人生の意味」や「愛とは何か」という根源的な問いを情感豊かに描いた"映像詩"です。(現在、全国でロングラン上映中)
作中では、第二の人生を歩み始めた主人公に送られた、【人を愛し、人を生かし、人を許せ】という神様からのメッセージなど、印象に残るセリフがいくつもあります。
本記事では、「映画『二十歳に還りたい。』セリフから読み解く大川隆法総裁の教え」に引き続き、映画のセリフから大川隆法総裁の教えをひもとき、抜粋でご紹介いたします。
「今さら、父親風吹かすなよ。仕事仕事で、こっちにはまるで無関心だったくせに」
主人公・寺沢一徳に、留学先のオーストラリアから帰ってこいと言われた長男・司のセリフ 。
世間では「経営の神様」として有名だった一徳ですが、その晩年は孤独なものでした。
家族のため、社会のため、一生懸命に働き続けたにもかかわらず、なぜ家族や社員たちの心は、一徳から離れていったのでしょうか。
経営者に向けて数多くの教えを説いている大川隆法総裁は、著書『経営とは、実に厳しいもの』 の中で、一徳のように「自分にも他人にも厳しい」タイプの経営者は、「組織としてはしっかりして、業容は順調に拡大するかもしれないが、家庭が破滅することが多い」と注意を促(うなが)しています。
「家庭なんか関係ない。経営は経営だ」と思っていても、家庭のほうが落ち込んでくると、経営者の判断は間違いなく狂ってきます。
やはり、人間が正しい判断をするには、心境の安定が必要なのです。
しかし、これがグラグラすると、経営のほうは完璧に落ちてきます。
心労があると、判断の際に間違いが続出し始めるのです。
そういう意味では、「家庭の部分」が安定していることは、よい仕事をするために非常に大事であり、これも「経営の下部」部分、「下支え」なのだと思わなくてはいけません。
(中略)
実際、「会社は大きくなりました。しかし、家族はバラバラになりました」ということで、晩年になってから、「何のために俺は働いてきたんだろう」と感じるような人は非常に多いわけです。
(中略)
経営者として成功するためには、もう一つ、「人間力」も必要なのです。
(経典『経営とは、実に厳しいもの。』より)
本書で大川隆法総裁は、「夫のほうは、『給料も上がっているし、社会的な地位も上がったのだから、家族がうれしくないわけがない。自分の出世につながる仕事が、家族の幸福とイコールである』と考えがちなのです」と、家庭を持ちながら働く男性にとって"盲点"ともいえる、妻や子供の思いとのギャップを指摘した上で、家庭を護(まも)りながら仕事を成功させていくためのヒントを説かれています。
「若さは永遠に続くものと思っていた」
明香の祖父・茂雄が二十歳の頃はどうだったのかと尋ねられた際のセリフ 。
大川隆法総裁は、「この世に生きている人間には、『若さ』『健康』『生命(いのち)』の3つの驕(おご)りがあり、それゆえに、自分の人生というものを深く考えることなく過ごしてしまう」と指摘されています。
「若さの驕り」については、10代の半ばごろから「人間はこの世かぎりの存在であり、この世を享楽(きょうらく)的に生きればいいんだ」という浅薄(せんぱく)な人生観が始まり、そうした人生観に染まっていくことに対して警鐘(けいしょう)を鳴らしています。
たいていの人間は、十代、二十代、あるいはそれを過ぎた年代においても、若さということを驕るのです。
「自分はまだ若い。人生はこれからであり、前途は洋々であって、道は開けている。いかなる試行錯誤をしようとも、まだまだやり直しがきく」と考え、青春の花びらを散らすがごとく、さまざまな事柄や人間関係に熱中します。
そして、「自分はいま何をしているのだろうか」と気がついたときには、もはや人生の半ばを過ぎており、若さはどこかへと消えていて、人生の後半にさしかかっていたということがあります。
桜も、三分咲きのときには未来しかないわけですが、満開になれば、やがて散っていく運命にあります。若者に、「老いてのちのことを想像せよ」と言うのは酷かもしれません。
しかし、一日一日、その日は近づいています。
(経典『信仰告白の時代』より)
映画をご覧になった方々の感想では、「これからの人生をどう生きるか考えさせられた」「一日一日を大切に生きたい」という声も聞かれました。
この映画や、大川隆法総裁の説く仏法真理が、皆様の幸福な人生を設計するきっかけとなりますように。
「『君が欲しいんだ』って、どういう意味ですか?」
一徳が祈りながらつぶやいた言葉について真意をたずねる明香のセリフです。
映画を観て、明香と同じように思われた方もいらっしゃったのではないでしょうか。
様々な捉え方ができるセリフですが、今回は一つの参考として、大川隆法総裁が著書『アイム・ハッピー』 で紹介している、28~29歳の頃に 名古屋で占い師に呼び止められた際のエピソードをご紹介いたします。
易者さんが、通りがかりの私をつかまえて言うには、「あなたには欲がない。だから(結婚)できないんです。結婚したいという欲がありませんね。欲を出さなければ、結婚できないんですよ。女性というのは、『私をもらってほしい』と思って待っているんです。だから、『君が欲しいんだ』と言って、取りにかかって、奪わなければ駄目なんですよ」
(中略)
その分析は当たっており、私も、「まあ、そうですよ」と答えたのですが、なぜそうであるかの理由は、易者さんには分からなかったと思います。
その理由とは、次のようなものでした。私は、二十四歳で霊的覚醒を得て、天上界の霊人と交信し、自分の使命を告げられていたにもかかわらず、会社勤めをしていました。
そこには非常に遊離があったため、いずれ辞めて独立しなければいけないと思っていたのです。
(中略)
「僕は、もうすぐ会社を辞めて救世主になるけど、かまわないか?結婚するかい?」と、この一言を切り出す勇気は、どうしてもなかったですし、おそらく、それを受け止められる相手もいないだろうと思っていたのです。
易者には、「欲がない」と言われましたが、その意味では、非常に"無我"の状態ではあったのでしょう。
(中略)
「人を愛し、人を生かし、人を許せ。」という言葉を、いつも呪文のように、おなかのなかでつぶやきながら道を歩いている人間というのは、外からはそのように見えるのかもしれません。
(経典『アイム・ハッピー』より)
これは、救世主の使命を自覚していた大川隆法総裁の思いと、一人の女性を愛し、命を救おうとした主人公の思いの違いが感じられるエピソードではないでしょうか。
『アイム・ハッピー』 第2章で、大川隆法総裁は「私の場合は、『愛』について、『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』という言葉が一つの公案ではあったのですが、みなさんにお伝えしたいことは、『愛というものを抽象的にではなく、もっと具体的なものとして捉えていいですよ』ということです」とも言われています。
一徳への不信感を募らせた明香は、パニック状態に陥っていました。
そんな彼女に対して、一徳は「君を死なせるわけにはいかない」とか「30歳まで待ってくれないか」ということは一切言わず、ただストレートに愛の思いだけを伝えて、"現実"へと還っていきました。
最後の「君が欲しいんだ」というセリフは、一徳の気質や"実年齢"を考えると、「僕と結婚してください」と同じように、明香が10年間待ち焦がれていたプロポーズの言葉だったのかもしれません。
映画『二十歳に還りたい。』2023年9月29日公開
「もしも青春をやり直せたなら」
人生を振り返ったとき、誰もが一度は胸に抱く願いを一篇の映像詩とした映画『二十歳に還りたい。』 。
本作では、孤独な日々を送る80歳の男性が突然、20歳の青年に戻り、今度こそ悔いのない一生を送ろうと「第二の人生」を歩みはじめます。
夢のような日々のなかで自問する主人公の姿は、見る人の心にも"人生の意味"や"愛"について、問いかけます。