夫の浮気、子どもの失踪【体験談】

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夫の浮気、離婚、子どもの失踪を経験して

「理想の家庭」の姿を追い求めるも、家族が次々と自分の元を離れ、「なぜ自分の求める幸せはすべて壊れ、愛する人が苦しむのか」と苦しみもだえる日々。そんな苦悩のなかで、自分の心を変える決意をし、本当の幸せをつかんでいった、一人の女性の体験談を紹介します。
(A.Kさん/神奈川県/女性/「ザ・伝道」第213号より転載・編集)

夢破れた私がつかんだ「幸せな居場所」 夢破れた私がつかんだ「幸せな居場所」

幸せな家庭を築きたい

私は、若いころから「幸せな家庭」を強く夢見ていました。2人か3人の子どもがいて、何でも話せる、仲良く明るい家庭にしたい。そんな期待に胸を膨らませ、私は22歳で優しい銀行マンの夫と結婚しました。実家の父は、私が幼い頃に外で女の人をつくり、母が苦労する姿を見て育ってきただけに、「幸せな家族」というものが、私にとって譲れない夢だったのです。結婚の翌年には長男が、そしてその2年後には長女が、さらに次男も誕生しました。産後の肥立ちもよく、無事に産婦人科を退院して自宅に帰った夜。3 人の子どもの安らかな寝顔を見ながら、「こんなに早く夢がかなうなんて!」と、私は胸の奥からあふれてくる喜びに浸っていました。私は専業主婦として家事育児をこなし、ご近所からは「いい奥さんね」と評判になり、主人は仕事に全力を注ぐ――。しかし幸せな時間は、長くは続きませんでした。

夢破れて

「お前以外に大事な人がいる。その相手に、子どももできた」
次男が生まれた3カ月後、突然、夫から一枚の紙を突きつけられました。そこには、「離婚届」の文字が。主人は結婚3年目から外に女の人をつくり、浮気を重ねていたというのです。思いもよらない話に、私はがく然となりました。しかし、幼い子どものことを思うにつけ、「せっかく築いた幸せを壊されたくない」という思いがこみ上げてきたのです。私は、時間をかければやり直せるのでは、というわずかな望みにかけ、離婚届に判を押しませんでした。しかしそれ以降、主人はわが家と愛人宅を堂々と行き来するようになりました。

「いつかは戻って来てくれるはず」

(とにかく明るく笑顔でいよう。いつかは絶対戻って来てくれるに決まってる)
すべてを胸の内にしまい込み、私は一人で関係修復の糸口を探ろうとしました。しかし主人は、たまに家に帰って来ても、妙によそよそしかったり、気に入らないことがあると「うるさい!」と怒鳴ったりして、私の努力はいつも徒労に終わりました。
(何でこんな生活をしてるんだろう……)
普段は「もとの家庭を取り戻したい」という思いで頭がいっぱいでしたが、ときおり耐えがたいほどの虚しさを感じることもありました。「もし今、私が死ねば、主人は私の苦しみを分かってくれるかな」と思い、主人の運転する車から飛び降りようとしてドアに手をかけたとき、長男から「お母さん」と声をかけられ、われに返ったこともありました。何日も眠れぬ夜が続きました。

12年越しの離婚届

「あなたには、この教えが絶対に必要だから」
追い詰められていた私が、姉の勧めで幸福の科学の教えを学び始めたのもそんな時期でした。そして、姉から渡された『 不動心 』という本をむさぼるように読み続けました。特に「どのような苦難や困難のときでも、日はまた昇るのです」という一節には、何度枕を濡らしたか分かりません。しかし、主人との関係改善は、一向に進みません。身も心もすり減らした私は、離婚を切り出されて12年後の39歳のとき、子どもの親権を私が引き取ることを条件に離婚届に判を押しました。

くしの歯が欠けるように

せめて、子どもたちと幸せになろうと、主人と別れて以降、子どもには特に思いを注いだつもりでした。しかし中学生だった長男は、生活態度が悪化していきました。無断外泊が多くなり、高校に入ってからは深夜に自室で大音量のギターをかき鳴らします。注意すると、人が変わったように暴れ始めました。玄関にある下駄箱を台所に投げ飛ばし、冷蔵庫をひっくり返し、ガラス窓を割り、家中が滅茶苦茶になりました。不安になった近所の人から、警察に通報されたこともありました。なぜ、私ばかりこんなつらい目に遭うのか……そんな思いが、長男へのいら立ちをさらに強めました。また、成長した長男が、主人の面影と重なるように感じられ、私はある日、思わずこう口走りました。
「お兄ちゃんはどんどんお父さんにそっくりになってきて、嫌だ!」
それが引き金になったのでしょう。長男は20歳で家を飛び出し、音信不通になってしまいました。主人がいなくなり、長男も逃げ出し、くしの歯が欠けるように、家族が私の元を去って行きました。

娘の病変

幸いなことに、家族で一番私を理解してくれていた長女は、申し分のないほど誠実な男性との結婚が決まりました。
(せめて、娘だけでも温かい家庭で幸せになってほしい)
しかし間もなく、娘は原因不明の疼痛(とうつう:突き刺さるような痛み)を発症。結婚後1年も経たないうちに療養のため実家に戻って来たのです。「痛い、お母さん助けて!」と、夜となく昼となく、転げ回って苦しむ娘の声が家に響き渡ります。どんなに有名な大学病院に行っても、治療は奏功しません。私は苦しむ娘の姿を、ただ見ていることしかできませんでした。10カ月が過ぎると、ようやく疼痛が起きる頻度は減り、娘は自宅へと帰りました。しかし、「また痛みがぶり返すんじゃないか。そのときはもっとひどくなるんじゃないか」という恐怖が娘をさいなみ、実際に、しばしば疼痛に見舞われました。

変えるべき「何か」

なぜ私の求める幸せはすべて壊れ、愛する娘が苦しむようになるのか。そもそもの発端となった主人が恨めしく思われてなりません。主人が目の前にいない分、その思いは張り裂けんばかりに膨らみます。たまりかねた私は、幸福の科学を通じて知り合った友人に話を聞いてもらいました。すると――。
「Kさんは人一倍家族思いだから、つらいなか、よく耐えてるよね。でも、今のKさんの思いを、例えば娘さんが真似したとしたら、娘さんは幸せになれるかなあ。もしかしたらKさんの心のなかに、変えるべき何かがあるのかも。一緒にそれを探してみない?」
彼女はそう言って、幸福の科学の仏法真理塾「 シニア・プラン21 」を私に勧めました。そこでは、人生の歩みを見つめる「生涯反省」という講座があるといいます。わらをもすがる思いで、「シニア・プラン21」に通うことにしました。変えるべき「何か」とは、きっと主人とのことの違いありません。私は、「シニア・プラン21」の講座に参加し、主人との関係を振り返っていきました。

「実は、愛されていた?」

しかし主人との思い出をいくら手繰り寄せようとしても、記憶に出てくる主人の表情が、なぜか母や私を苦しめてきた父と重なって仕方ありません。当惑しながら参究を続けると、一つのイメージが浮かびました。それは昔母から聞いた、出生直後の私の光景でした。
「馬鹿野郎、テメエ、女なんか産みやがって!」
男の子を欲しがっていた父は、出産直後の母に向かって、手近にあったものを投げつけたといいます。記憶のなかの父は、気に入らないことがあると、鬼のような形相で言葉を荒げる「怖い人」でした。
(外に女の人がいるだけでも嫌だったのに、そもそも自分は、生まれたときから愛されていない生い立ちだったのか……。でもそもそも、なんでお父さんのことが思い浮かんでしまうんだろう)
そのことが心に引っ掛かり、私は講座から帰った後も、父とのことを振り返っていきました。すると2週間後に参加した講座で、ふいに浮かんできた記憶がありました。
「お前たちは、どんなことがあっても俺が絶対に守ってやるからな!」
それは、地震が起きたとき、幼かった私たち姉妹を両脇に抱えて、とっさに家の外に飛び出してくれた父の姿でした。抱きかかえられて見上げた父の顔には、いつもの鬼のような怖さはありませんでした。
(そういえば姉はよく、「お父さんは、Aちゃんのことを『優しくて頑張り屋な子だ』とよくほめていたよ」って言っていたっけ。もしかして私は、お父さんから愛されていたの?)

夫と向き合っていなかった

父に対して抱いていた気持ちが変わり始めると、主人との関係についても、これまでは思いもしなかった、別の見方が浮かんできました。
(そう言えば私は独身のころ「子どもはほしいけど、ダンナは要らない」って、面白半分で公言していたっけ。結婚生活でも、よくよく思い出せば、主人と向き合うことを避けていたとこがあった)
当時を顧みると、私は、家事や育児の忙しさを理由に、夫と関わるのを避けていました。疲れて帰ってきたのを知りながら、ねぎらいの言葉一つかけたことがありませんでした。私は、家事や育児をしっかりする「いい奥さん」の仮面をつけながら、主人の心に寄り添っていなかったのです。立場を変えて主人の側から見てみれば、家庭のなかに主人の居場所などなかったのかもしれません。
(それでも、「夫は私を愛し続けるのが当然」と思っていた。それが、私の目指していた「幸せな家庭」の姿だった……)

後悔の涙

家を出た長男に対しても、猛烈な後悔が湧いてきました。「主人と面影が似てきた」という理由で、つらく当たってしまった長男。どんなに悲しかったことでしょう。でも、長男はじっと一人で黙って耐え続けてくれていたのです。
(主人を恨むあまり、あなたの優しさが、全然分かってなかった。本当にごめんね)
父を誤解し、主人をないがしろにし、息子を傷つけていたことに、私は初めて気がつきました。自分の「不幸」は、本当は私に原因があったのに、それでも私は、人から幸せにしてほしいという、身勝手な思いでいっぱいだったのです。
(お父さんは本当はいい父親だったのに、私はずっと疎ましく思っていました。本当にごめんなさい。あなた、私は冷たい妻でした。あなたを幸せにしてあげられなかった。本当にごめんなさい。お兄ちゃん、優しいばっかりに、つらい思いをさせてごめんね)
後悔の気持ちは涙となって、頬を伝いました。
「大多数の人々は、愛ということを、『奪う愛』、あるいは『もらう愛』という観点から考えていることが多いように思います。その観点を変えないかぎり、ほんとうの意味で、心の安らぎというものは現れないのです」 (『幸福の原点』より)。
大川総裁 の教えが胸に迫り、講座が終わった後も席を立つことができずにいました。

取り戻した温もりのなかで

その講座を境に、思いがけないことが次々と起きてきました。父は認知症を発症し、私のことすら分からなくなり、ケアセンターに入所していました。しかしそんな父に、せめて感謝を伝えられたらと思い、見舞に行ってみたときのことです。
「……A、来てくれたのか」
わずかな時間、父は正気に戻っていました。
「お父さん、今まで、お父さんを悪く思ってました。ごめんなさい」
そう謝ると、父は意思のこもった目で私を見つめてきました。そして、「Aのことを愛しているよ。俺こそ本当に申し訳ないことをした」と幼な子にするように、私の頭をなでながら、何度も言ってくれたのです。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい……」
温かい手を感じながら、私は子供のように泣きじゃくり続けました。

10年ぶりの再会

また、その直後の5月の連休には、失踪以来、音信不通だった長男から、ひょっこりと連絡があったのです。私たちはファミリーレストランで、約10年ぶりに食事をすることになりました。
「母さんと一緒に食べるのって、高校……いや、もっと前以来かな」
久しぶりに見る息子はかなり痩せていました。介護士として就職し現在は立派に働いているといいます。
「仕事のとき、自分の心が乱れていると、患者さんも落ち着かなくなる。本当に心って大事だよね。母さんの言ってた通りだ。自分は今まで、たくさんの人に支えられて生きてきた。とっても感謝してる」
「大好きだよ」と言おうとした矢先に、息子から言われた一言。
(こんなに立派になってくれて……。どれほど苦労してきたんだろう)
そこから先は、「本当に偉いね」と褒めるのが精いっぱい。ただただ涙をこらえるのに必死でした。食事を終え、近くのスーパーに立ち寄り、好きなものを買って持たせてやりました。「じゃあね」と言って別れると、長男はいつまでもスーパーの前に立ち、私を見送ってくれました。子どもたちに本当に幸せになってほしいという気持ちが、強く胸の内にわいてきました。娘の疼痛も、旦那さんの助けもあり、徐々に治っていきました。

「幸せ」は自分次第

この20年近い経験から私が学んだこと。それは「すべての出来事は自分の心の表れであり、心を変えれば環境も変わる」ということです。かつての私は、父への嫌悪感を契機として、男性への不信感を募らせていました。その一方で、「幸せは、誰かが私に運んできてくれるもの」とも思っていました。男性に不信を持ちながら幸福だけは求める――。考えてみれば、とても都合のいい話です。そしてそんな心が、自分だけでなく、主人や長男といった大切な家族までも不幸にしていたのです。しかし、大川総裁の教えと出合えたことで、私はたくさんの人から愛されていたことにようやく気づけました。私は今、その幸せをしみじみと噛みしめながら、毎日を過ごしています。
「幸せな居場所」は、すでに与えられていたのです。すべては、大川総裁の教えの通りでした。今、私は、家族や友人など身近な人たちに、大川総裁の著書や 布教誌 などをお渡しし、この「幸せの秘訣」をお伝えし始めています。今後、私と同じような境遇の方がいれば、その方の気持ちに寄り添い、心が変わったこの奇跡を少しでもお伝えし、「奪う人生」から「愛を与える人生」へとかじを切っていただきたい。心からそう願っています。

与えられているもののなかで最善の生き方をしよう 与えられているもののなかで最善の生き方をしよう

『ストロング・マインド』 (大川隆法 著/幸福の科学出版)より抜粋したメッセージ

人を許す努力を

「人を許し、自分の過去についても許す」という努力が大事です。今、憎んだり恨んだりしている人がいたなら、その人を許す努力、許し続ける努力をしてください。過去に、あなたを攻撃したり、辱めたり、恥ずかしい思いをさせたり、誹謗中傷をしたり、からかったりした人などは、たくさんいるでしょう。しかし、それをずっと覚えていて、そのことを言い続けても、幸福にはなれません。そういうことは言わないほうがよいし、忘れたほうがもっとよいのです。むしろ、相手のよいところを思い浮かべるぐらいになれば、さらによいと言えます。

「許し」の持つ本当の力

ストロング・マインド

みなさんを苦しめているもののなかに、もし、人に対する裁き心や憎しみ、怒りなどの感情があったなら、どうか、それを乗り越えてください。「許す」ということは、抽象的なことではないのです。言葉だけのことではないのです。あなたが幸福になるために必要な条件なのです。許すということができなければ、大勢の人間が生きていく、この世の中において、幸福に生き切ることはできません。みなさんは、自分の思い通りにならない人がいたり、思い通りにならない過去があったりするでしょうが、許すという行為によって、それを乗り越え、安らぎの世界に入ることを願ってください。
許すことによって初めて、夜、ぐっすりと眠れるようになります。許すことによって初めて、家の外を歩くと、空気をおいしく感じ、日の光を暖かく感じ、人々の真心が分かるようになるのです。

(書籍『ストロング・マインド』より)

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