離婚、貧困、病気……人生のどん底で臨んだ奇跡

【体験談】幸せつかんだシングルマザーの物語

生活苦、5人の子供を抱えての離婚、夜の世界での仕事、そしてガン。数々の苦難のなかにあったかつての自分を、Yさんは「どん底にいた」と回顧します。しかし、幸福の科学の友人と大川隆法総裁の教えは そんな彼女の力となり、やがて転機が訪れます。一人のシングルマザーが辿(たど)った、人生の再建の歩みをお届けします。
(Y.Aさん/神奈川県/女性/ 「ザ・伝道」第218号 より転載・編集)

体験談 幸せをつかんだシングルマザーの物語

求め続けた家族の温もり

(体も家庭も、もうボロボロ。助けてくれる人なんて、誰もいない。私、落ちるところまで落ちたのかな)
今から10年ほど前、私はそんな気持ちを抱え、苦しんでいました。離婚、貧困、夜の世界の仕事、そしてガンの発病。そのどれもが、かつて私が望んでいた「理想の自分像」とはかけ離れたものばかりでした。
私は、5人家族の長女として生まれました。当時としては珍しく、両親は共働きをしており、休日にも家にいないことがしばしば。幼心に寂しさを感じていた私は、「お嫁さんになったら、私はずっと家族と一緒にいてあげよう」と、心に決めていました。
その願いが叶ったのか、私は21歳のときに優しい性格の夫と出会い、結婚。5人の子宝に恵まれました。妻として夫を支え、母として5人の子の世話をする充実感と忙しさのなかで、毎日を過ごしていました。幸福の科学の信者にはなったものの、大川隆法総裁の説く教えをなかなか学べなかったのも、子育てに翻弄され、忙しい日々を送っていたからでした。経済的には決して裕福ではありませんでしたが、私にとっては理想の家庭でした。

切れていく絆

シングルマザー1

円満だった家族の雰囲気が急に変わったのは、夫が転職してからでした。夫は家族を養うためにと、印刷工場の技術者から、給料のいい建築関係の仕事に転職しました。その結果、確かにお手当はよくなったものの出張が多くなり、月に一度しか帰ってこなくなりました。
子供たちの調子が次々とおかしくなったのも、ちょうどそのころからでした。長男・次男は反抗期になり、ろくに私と口を利かなくなりました。また、もともと幼稚園を休みがちだった長女は、小学校に上がると不登校になり、自室に引きこもる時間が多くなりました。

「ねえお父さん、最近いろんなことが続いて、ちょっとつらくて」
気落ちした心を一人では立て直せず、出張先の夫にSOSを出そうと、電話で相談しました。しかし……。
「そんな重たい話はするな、そんなのはお前の仕事だろ! 大体、俺は家にいないんだから、そういう役目はできないんだよ。父親の仕事ってのは、カネを持ってくることだ。子育てに不備があるなら全部お前に責任がある! こっちは仕事があるんだから、連絡を寄こして来るな!」
転職する前は、あんなに家族思いだったのに。夫との精神的な絆が、少しずつ切れていくような感じがありました。さらに夫は、何の前触れもなく、お給料を家に入れてくれなくなったのです。理由を聞こうと、必死で電話をかけましたが、夫は電話に出ません。途方に暮れ、夫への不信感が募っていきました。「そんなに出張が多いなんて、浮気してるに決まってる」という近所の奥さん方の陰口が、追い打ちをかけるようでした。

夜の仕事へ

手塩にかけて育ててきたと思っていた子供との関係は次々とおかしくなり、夫にも頼れない。下手をすると夫は、家族を裏切っているかもしれない。次第に、誰とも話さなくなる日が増えてウツになり、気づけばハサミを自分の胸やももに突き立てる自傷行為を、私は繰り返すようになっていました。しかしあるとき、もうろうとした意識のなかでふと、「子供には、私しかいない。父親も母親もいなくなったら、子供たちは生きていけない」ということに気づいたのです。
とにかく養育費を稼ごうと、私は募集がかかっている仕事に手当たり次第応募しました。ファミリーレストランのウェイトレス、レンタルビデオ店の受付、工場の製造工……。昼となく夜となく働きましたが、5人の子を食べさせるような収入は得られません。進退きわまって、やむなく選んだ仕事は、夜の仕事でした。夫や子供がいることを隠しながら、お店にきたお客さんと、慣れないお酒を浴びるほど飲む。すべては子供のためと割り切っていても、家に帰ると理想的な母としての役割を果たさなければならないというのは、精神的にはとてもつらいことでした。しかし、私と5人の子供が暮らしていけるだけの目途は立ちました。

「夫に頼らなくても、生きていける……」

(今の生活なら、もうお父さんに頼らなくても、生きていける)
もはや精神的に距離を感じるようになっていた夫への反発や拒絶。胸によぎる思いは、日増しに大きくなっていきました。そして15年の結婚生活に終止符を打ち、36歳でシングルマザーになったのです。その後、いっそうアルコールにおぼれるようにもなりました。幸せな家族も築けず、子供には苦労をかけ、信じていた人にも裏切られ、一人ぼっちの人生。

(もう落ちるところまで落ちちゃった)
そんな思いを抱えながら、夜の仕事に通い続けました。そんな生活で、慣れないお酒を口にし続けた代償でしょうか。体は常に倦怠感で覆われ、仕事が終わると急性アルコール中毒で倒れ、「目が覚めると病院にいた」という日もありました。

ガンと妊娠

シングルマザー2

そんな自分を変えようと、翌年に一念発起して介護のヘルパー職に転職。さらに働きながら専門学校に通って、看護師としての仕事を得ました。確かに以前より収入は減りはしましたが、精神的には安定し、充実した毎日を送れるようになっていました。
しかしそれも束の間、今度は、当時お付き合いしていた男性との間に子供ができていたことが分かり、同時に、末期直前の子宮頚(けい)ガンに冒されていることも判明したのです。40歳を過ぎての妊娠と、ガン。「そんな状態で、赤ん坊を生んで育てられるはずはない。自分のことを考えて、子供は堕ろすべき」。周囲は全員、中絶を勧めました。確かに現実は厳しく、妊娠とガンを告げると、交際相手とは別れることになり、実家からは勘当されました。職場からも解雇を告げられて収入がなくなり、ついには住んでいる家からも追い出されたのです。
お産するにもお金がかかるし、次の仕事もない。今の状態で新しい子供だなんて、現実的じゃない。そんな余裕はない。自分でも、そんなことは分かり切っていました。しかし、エコー検査で聞こえてくるわが子の「トク…トク…」という心音を聞いていると、何とも言えない愛おしさがこみ上げてきたのです。
(普通に考えれば、堕ろすべきなのは分かってる。でも……)

「この子は、天使よ」

途方に暮れた果てに、連絡を取った人がいました。かつて行っていた 幸福の科学の支部 で顔見知りだった、Kさんでした。「実は私、新しい子ができて、でも、周りはみんな、堕ろせって言ってて……」。今まで誰にも話せなかったことが、なぜか彼女の前では、素直に話せました。「今から、支部においで」と電話でうながされ、私は久しぶりに、支部に足を向けました。時間は、すでに深夜になっていました。そこには、Kさんと、もう一人の友人が、電気を灯して待っていてくれました。「まずは、お祈りしましょう」と言われ、支部に着くと、3人で「主への祈り」(※)を読みあげました。たったそれだけで、不安でいっぱいだった心が、穏やかな気持ちになりました。冷たかった体がポカポカと温かくなってきたのも不思議で、まるで〝何か〞に久しぶりに抱きしめられたような気がしていました。

その後、私の方に向き直ったKさんは、私の手を握り、真っすぐ目を見て、静かにこう言ったのです。
「この子には、この子の人生、この子の使命があるはず。この子は大切な子、〝天使〞よ。……産む方向で、考えてみたら?」
その瞬間、何かが壊れたかのように、涙がとめどなく溢れてきました。それは、妊娠が分かってから初めて聞いた、ポジティブな言葉でした。これまで言いたくても言えなかったこと、願いたくても口に出せなかったことを、初めて言ってくれる人がいたのです。
(この子は、生まれてきていい子なんだ。生きてちゃダメな子じゃないんだ……!)
私は、自分のそばに立って、自分の背中を押してくれる人に、初めて出会った気がしていました。「産みます」と、嗚咽(おえつ)しながら、私は決意しました。

※「主への祈り」:幸福の科学の会員信者に授与される経文

苦しみに寄り添う存在

Kさんは、アドバイスをするのみならず、私に付き添って生活の再建にも力を貸してくれ、生活保護を申請したり、新しい住居手配の手伝いもしたりしてくれました。久しぶりに訪れた、心も体も落ち着いた時間。私は、大川総裁の法話の映像をむさぼるように観ました。自分を立て直して、お腹に宿った新しい命を迎えるには、まず、自分の心を立て直すことが第一だと思ったからです。
ある日、「君よ、涙の谷を渡れ。」という大川総裁の法話を聴いていたとき、気づいたことがありました。
「私は、いつも、あなたがたと共にいます。あなたがたが幸福なときにばかり、共にいるわけではありません。
あなたがたが私を必要としているときにこそ、私は、あなたがたと共にいるのです。そのときのために私はいるのです。
あなたがたが一人で幸福に過ごせているときには、私の姿を見ることはできないでしょう。しかし、あなたがたが不幸のなかにあって、ほんとうに困っているときには、私に祈ってください。私のことを思ってください。私は、必ず、あなたがたと共にいます」

神さまは、いい子であろうが、悪い子であろうが、無条件にずっとずっと、私たちのことを愛してくれている――。今まで、誰にも頼れずに一人で生きてきたと思っていた私。しかし、苦しみのなかにいるときこそ、そばにいてくれる方がいる。そんなメッセージに感銘を受けていたとき、不意に気づいたことがありました。
(そういえば、私は今、一人じゃない)

わだかまりが流れ落ちて

離婚以来、私はずっと一人で生きてきた気がしていました。頼れる人は誰もおらず、文字通り身を削ってお金を稼ぎ、子供を育ててきました。世間を見れば幸せそうな人たちがたくさんいるものの、そういう人たちと自分との間には目に見えないフィルターがかかっていて、自分はいつもその外側に取り残されたようにも感じていました。しかし、よく考えてみると、今の自分がこうしていられるのも、寄り添ってくれる人がいたからでした。Kさんは、「子供を生むか、生まないか」で迷っている私の背中を押してくれました。「生むべきではない」という意見が常識的に聞こえるなか、たった一人「生むべき」と言うリスクは、どれほどのものだったでしょうか。また、彼女以外にも、支部に行けば、いつも私を気にかけてくれる友人たちがいます。何より、こんな自分でも抱きしめてくれる神さまがそばにいてくれると、心の底から信じられました。
(たくさんの方々がいてくれて、どれほど私は励まされたことだろう。私は実は、守られているんだ)

そんな思いが胸に宿ると、元夫への思いもいつしか変化していました。
(私はあの人から裏切られたと思い、ずっと許せないと思ってた。でもそもそも、夫婦不仲になったきっかけになったあの転職も、家族のことを思ってのことだった。結果的には上手くいかなかったけど、あの人もあの人なりに、家族を守ろうとしていたのかな)
実際はいろんな苦労があったけれど、本当は温もりに満ちていた、私の人生。でもそれに気づかず、自らをおとしめ、人生を諦めていた私。そんな自分の姿に気づくと、こらえ切れなくなって号泣しました。
(ありがとう、ごめんなさい……!)
その瞬間、今まで私の体の奥にわだかまっていた〝汚ないもの〞が、サーッと流れ落ちていった感覚がありました。

家族問題解決、ガン消滅、就職…… 次々と開いた「扉」

シングルマザー3

すると、不思議なことが次々と起こってきました。長年続いていた長男・次男の反抗的な態度は、年齢が上がったせいもあるのか治まり、次第に「母さん、今まで苦労をかけたね。ありがとう」とにこやかに話しかけてくれるようになってきました。特に、引きこもり状態になっていた長女は、10数年ぶりに外に出て仕事を探し、パートタイムとして仕事ができるようになったのです。「こんなに長く社会と交流を絶った人が働き出すなんて、奇跡だ!」と、長女の姿を見た役所のソーシャルワーカーは、そう漏らしていました。そして、お産直前の検査で、産婦人科に行った私は……。
「ガンは、なくなっていますねえ。もう、治療は必要ありませんよ」
子宮頚ガンは、いつしか消えていたのです。そして、Kさんに立ち会ってもらい、第6子を無事出産することができました。
さらにそれから半年が経ったころ、ハローワークで見かけた求人募集に応募したところ、看護師として新しい職場で働き始めることができました。ありがたいことにその職場は、以前勤めていた病院の2倍近くのお給料をいただけるため、申請していた生活保護も1年ほどで打ち切り、今は家族6人、誰のご厄介になることもなく、自立して生活しています。

人生はやり直せる

幸福の科学には、 「人生は一冊の問題集である」 という言葉があります。それは、「生きていく上で出てくる苦難・困難は、乗り越えられる」ということであり、「神さまは乗り越えられない課題は与えないし、希望はいつでもある」ということです。離婚したり、夜の仕事をしたり、ガンになったり、生活保護を受けたり、私はもしかしたら、ある意味で波乱万丈な経験をしたのかもしれません。しかしだからこそ、確信を持って言えることもできました。
「どんなときでも、やり直せる。人生に、絶望はない」
私は、幸福の科学で説かれているこの教えが真実であると、身をもって学びました。それは、私一人で得られたものではなく、Kさんをはじめ幸福の科学の友人たちがいてくれたことや、何より、主エル・カンターレ 大川隆法総裁がどんなときも私を見守り、教えを説き続けてくれていたからこそ、克服できたことだと思っています。
今度は私が、人を助け、人を癒せる人になりたい。傷つく人に寄り添い、人生を立て直すお手伝いをしたい。「本当は、素晴らしい人生を歩んできた」と実感している今、私は、そう強く願っています。

書籍で学ぶ 一つのドアが閉まっても、別のドアが開く

『朝の来ない夜はない』(大川隆法 著/幸福の科学出版) より抜粋したメッセージ

宗教には人間を根本的に変える力がある

『朝の来ない夜はない』(大川隆法著/幸福の科学出版)

宗教には、そういう素晴らしい力、人間を根本的に変えていくだけの力が、実はあるのです。宗教は、そういう仕事もしているのです。もちろん、病気を治す力もありますが、人間そのものを変える力が宗教にはあります。
どうか最後まで希望は捨てないでください。
どんな苦境にあっても、必ず、立ち直るチャンスはあります。
すべてに道はあります。
一つのドアが閉まっても、別のドアが開きます。
信仰は、本当は、すべてを解決する力を持っています。
ただ、あなたがたにも努力を要請します。
信じることの大切さを決して忘れないでください。
決して順風満帆のときばかりではありません。追い風ばかりではありません。逆風のなかであっても、いつも、船出をする準備をしていなければなりません。しかし、どんなに苦しくても、朝の来ない夜はないのです。たとえ、病院に入院していて、夜中に目が覚めて、涙を一人で流すときにも、「主はあなたと共にある」ということを、どうか忘れないでください。

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