優しさを教えてくれた生涯

ダウン症の長女と過ごした体験記

ダウン症の障害があり、20歳で亡くなったわが子。その生涯は、優しさとは何か、人として大切なことは何かを教えてくれました。ある女性の体験とともに、人生のヒントをお届けします。

(K.Oさん/女性/山口県/「ザ・伝道」第201号より転載・編集)

体験談 ダウン症の長女と過ごした日々

妊娠中のメッセージ

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「私は、障害を持って生まれます。お母さん、大変でしょうけれど、頑張ってくださいね」
その声は、私が妊娠4カ月のころ、お風呂に入っていたとき、突然、お腹のなかから聞こえてきました。
(もしかして、お腹の赤ちゃんは、障害児なの?)
その声は妙にリアルで、その後、偶然、テレビでダウン症を特集する番組を目にしたときも、なぜか、とても気になりました。そして10月、女の子を出産した私は、すぐに看護師さんに「赤ちゃんの顔を見せてください!」と言いました。
(やっぱり……!)
顔を見て、すぐにダウン症だと分かりました。私は、結婚前、当時暮らしていた静岡県で教師をしていました。その学校には養護学級があり、ダウン症の子もいて、いつも気にかけて見ていたのです。子供を学校に送り迎えする保護者の姿を目にするたびに、(お母さん方は、大変そうだなぁ。私には絶対できない)と思っていました。まさか、その自分が――。私は絶望感に打ちひしがれました。

度を越したイタズラ

長女・Iは、ダウン症の合併症で肺に異常があり、生後7カ月で手術を受けました。肺の状態はかなり深刻で、入退院を繰り返しました。「明日の朝、起きたら娘さんの息が止まっていた、という事態もありえます」という医師の言葉に、(いっそ、そうなってくれたら……)と、恐ろしい思いも心を過ります。
(世の中のお荷物にしかならない障害児を育てることが、私の人生? この子のせいで、私の人生、台無しだ!)
その後、少しずつ快方に向かい、入院の頻度も減っていきました。しかし、今度は、度を越したイタズラに悩まされました。砂糖をそこいら中にぶちまける。買ったばかりの靴に墨を塗る。歩けるようになると、勝手に外に出て行方不明になる。朝の5時によそのお宅に上がり込む……。一瞬たりとも、目が離せません。さらに、3歳と数カ月離れて妹のYが生まれてからは、私のストレスはピークに達しました。まだ歯もはえない妹の口に歯ブラシを入れてゴシゴシしたり、首もすわっていないのに体操をさせたりするので、妹の首がすわってからは、1日中、妹を背中におぶって家事をしました。
「もう、いいかげんにしてちょうだい!」。イライラが募り、ついつい手が出てしまいます。思いっきり平手打ちしたら、頬が赤く内出血してしまい、翌朝、保育園の先生に、「ほっぺ、どうしたんですか?」と、きかれたこともありました。(この子さえいなければ……)。何度そう思ったかしれません。一般に、ダウン症の子供は分別がつくのが遅く、長女も就学前は、ギョッとするようなことばかり、しでかしました。そのたびに、怒鳴り、叩き、自己嫌悪で落ち込む毎日でした。

障害を持って生きることの意味

201-2

(もう、このままじゃ、だめだ)と思っていた私に、友人のAさんが、1冊の本を届けてくれました。 大川隆法総裁 が書かれた 『太陽の法』 です。長女が6歳になったばかりの11月のことでした。
本には、人生の目的と使命や、苦しみや悲しみの意味などが、分かりやすく書かれていました。私は感動して、すぐにAさんに連絡し、大川総裁の本を20冊以上も借りて夢中で読みました。人間は永遠の生命を与えられ、「あの世」と「この世」を転生輪廻※している。親子や夫婦、親しい人との縁は偶然でなく、生まれる前にあの世で約束してくる――。疑問だったことの答えが、全部書かれていました。
(私とIも、約束して生まれてきたんだ。妊娠中に聞こえた声は、Iの声……。やっぱり錯覚なんかじゃなかった!)
ほどなく幸福の科学の信者となった私は、大川総裁の説法のテープを、家事をしながらずっと聴き続けました。総裁は、障害を持って生きることの意味も、はっきりと説かれていました。ながい転生輪廻のどこかでは、誰もが1度は障害や病気のある体で生まれてくること。すべての人には「仏性※」が宿っていて、障害があるからといって、決して魂として劣っているわけではないこと――。
(私、間違ってた――!)。涙が止まりませんでした。私は、娘のことを、「社会の役に立つこともなく、手ばかりかかる子」と、心の隅で思っていたのです。そんな自分を深く恥じました。

娘の優しさに気付いて

あらためて思うと、娘は、とても優しい子でした。ほとんどの幼児は、オモチャやお菓子の取り合いなどをしますが、彼女は1度もお友だちのものを取ったことがありません。それどころか、誰に言われずとも、自分から他の子に分けてあげていました。また、私が疲れてソファでうたた寝していると、いつも枕を持ってきてくれたり、黙って毛布をかけてくれたりしました。私が妹を叱ると、彼女も悲しくなるのか、しくしく、しくしく泣きました。それに、一度もイライラしたり、怒ったりしたことがありません。いつも人を笑わせ、周囲を明るくするのです。
(私は、本当に大切なものを見失いかけていた。神様が考える人間の価値は、頭の良さや能力、見かけだけで測れるものじゃないんだ)
知能指数は30ほどしかないわが子。けれど、幸福の科学で学び、私は彼女の素晴らしいところを、より一層、発見できるようになりました。

※転生輪廻:永遠の生命を与えられた人間が、何度も生まれ変わって、魂を磨くために様々な経験を積むこと。
※仏性:すべての生命が宿している「仏の性質」「悟りの性質」。仏になれる可能性のこと。

規則正しい毎日

市立小学校の養護学級に入学した娘は、だんだん分別もつき、2年生になるころには、自分のことは自分でできるようになりました。娘は毎朝、7時に起き、朝食を摂り、きっちり7時55分には家を出て、私が運転する車で学校へ向かい、帰りは1人で徒歩で帰宅します。判で押したような規則正しい毎日でした。帰宅後は、ビデオを見たり歌を歌ったり、一人芝居をしたりします。その一人芝居は、こんな具合です。
「Iちゃーん! Iちゃんてば!」「はいはい、何ですか?」「Iちゃん、今日は何食べた?」「餃子! あ、餃子じゃない、シュウマイ。シュウマイだよ」
ダウン症の人は、一人芝居をする人が多いそうです。会話力が2、3歳児のレベルなので、人とふつうに会話ができないストレスを、一人芝居で発散しているのかもしれません。

大好きな妹

長女は、妹のことが大好きでした。小さいころから、どこへ行くにも、「ちゃん(妹のこと)、行くよー!」と声をかけ、手をつないで一緒に出かけていました。ところが、長女が小学校6年生、妹が2年生になったころ、彼女はパタリと妹と手をつなぐことを止めました。
娘は気付いたのだと思います。妹は、能力的には自分を追い越してしまったこと。だから、もう自分が面倒をみる必要がなくなったこと。妹には妹の世界ができたこと――。それで、自分から身を引いて、妹と関わることを止めたのだと思います。その少し前から、自分が他の人とは違っているということも、薄々気付いているように、私には感じられました。
彼女が、妹の下着や靴下を取るようになったのも、ちょうど、そのころからでした。「嫉妬なのかな?」と思い、妹のものと、まったく同じ色や柄のものを買ってあげても、やはり妹のものを取って、自分で身につけてしまいます。本当は、彼女はずっと妹と一緒にいたかったのです。それで、妹のものを身につけて、一緒にいる気持ちになっていた……。けれど、その本当の心が分かったのは、ずっとあとになってからのことでした。

知能指数は低くても

養護学級の中学部に進んだ娘は、学級委員にもなって、クラスのリーダー的存在になりました。また、みんなを笑わせる人気者でした。けれど、高等部に進学した9月、娘は不登校になりました。先生に様子をたずねると、高等部になってクラスの人数も増え、娘よりも軽度の障害の子も入学してくるので、クラスで自分の役割がなくなり、居場所を失ったように感じたようなのです。ダウン症の人も、ウツになることがあるのですが、一般的には、「知能が低く自己認識ができないのに、どうしてウツに?」と思われがちです。しかし、私は幸福の科学で、「障害があっても魂は完全」と学び、きっとダウン症の子も、一定の発達段階に至ると、自分のことを悟って、落ち込んでウツになるのではないかと思っていました。そこで、娘に、次のように話してみました。
「Iちゃん、学級委員にはなれなかったかもしれないけれど、Iちゃんは優しいし、おもしろいし、誰にもない持ち味を持ってるんだよ。だからIちゃんは、Iちゃんのままでいいんだよ」
すると、どうでしょう。娘はその翌日から、学校に行けるようになったのです。私の話を理解したのだと思います。それまでは、「魂は完全」といっても、肉体に入れば限界もあるのでは、と思っていましたが、きちんと話せば、難しい話も理解できることが分かりました。
また、娘と私は、ある障害者と保護者のための会に参加していました。ある日のこと。娘は、会のボス的存在だった、年上で障害のある女性に「豚!」とののしられ、「豚じゃないよ! 河童だよ!」と切り返しました。その絶妙な切り返しに、その女性は娘に一目置くようになり、それからは、とてもかわいがってくれるようになったのです。そのやり取りを見ていた私は、(知能指数は低くても、Iは本当は、とても賢い子なのかもしれない)と思いました。

障害があっても魂は完全

高等部を卒業すると、長女は作業所※に通い始めました。ある日の夕食時。テーブルを囲んで妹と私が他愛ない会話を交わしていると、ふと、彼女が、自分が会話に入れないことを、とても寂しく残念に思っているのが伝わってきました。「Iちゃんも、お母さんとYちゃんのように話がしたい?」ときくと、娘は「うん」と言いました。私は彼女に、初めて本当のことを伝えました。
「Iちゃん、あなたはね、『ダウン症』っていってね、普通の人とは違う体を持って生まれてきたんだよ。でもね、『あの世』の天国に還れば、普通の子に戻って、何でも分かる人になって、お母さんともたくさん話ができるんだよ。全部、Iちゃんが、自分で決めてきたことなんだよ。Iちゃん、頑張って生きてるよね。だから、あの世に還ったら、きっと神様が、たくさん、たくさん褒めてくれるよ」
娘は、黙って聴いていましたが、とても吹っ切れたような表情をしました。
(ああ、この子は、やっぱり分かってる……)
「障害があっても魂は完全」という教えを、私は強く確信しました。

※作業所:障害によって働くことが困難な人の活動をサポートする福祉施設。

心が通じ合った涙

長女は作業所でも、いつもおもしろく、人気者だったそうです。けれど、18歳になったころから、もともと悪かった肺の状態が悪化し、ふだんから、酸素をつけて生活するようになっていました。秋、IとYとを連れて、幸福の科学の 中部正心館 を参拝しました。私は、なぜか、「どうしても、今日、伝えておかなくてはいけない」と思い、話し始めました。
「Iちゃん、ごめんね。お母さん、幸福の科学の教えを知る前は、Iちゃんのこと受け入れられなくて、いじめちゃったよね。本当に悪いお母さんだったね。ごめんね、Iちゃん。でも、Iちゃんが生まれてきてくれて、お母さんの人生、変わったんだよ。お母さん、Iちゃんのこと、こんなに、大好きだからね」
すると、娘は、私の肩のところに顔を埋ずめて、大きな声で、オイオイ、オイオイ泣きました。私もオイオイ泣きました。彼女は、生まれて以来、こんな泣き方をしたのは初めてでした。肺が悪いので、大声で泣くことはできないと思っていたのです。

クリスマス・イブの朝

それから数カ月後の12月16日。長女は呼吸不全で入院しました。病室に見舞いの人が来ると、娘は息が苦しくてハアハアしながら、「お茶を出してあげて」と言いました。医師や看護師が病室に来るたびに、一回一回、「ありがとうございます」とお礼を言いました。
(自分が、こんなに苦しい状態なのに、Iちゃんらしい……)
医師からは、もう2、3日の命だと告げられました。12月24日、クリスマスイブの早朝――。
「Iちゃん、もし、天国から、天使のお姉さんが迎えにきたら、そのときは、お母さんじゃなくて、そのお姉さんについていくんだよ」
私がそう諭すと、彼女は素直にうなずきました。
「もしかして、もう来ているの?」
娘はうなずき、ここに来ている、と近くを指しました。
――ああ、もう逝っちゃうんだね。もっともっとあなたと過ごしたかった。でも、あの世で、お母さんといっぱい話そうね。さよなら。Iちゃん。
私は心のなかで、何度も娘にお別れを言いました。その日の午後、娘は安らかに天国へと還っていきました。あえて厳しい人生を選び、ダウン症という体で一生懸命に生きたあなた。いつも優しかったあなた。人として本当に大切なことは何かを教えてくれたあなた。20年間、本当に、ありがとう。

書籍で学ぶ ハンディを背負う子供たちへ

『幸福へのヒント』 (大川隆法 著/幸福の科学出版) より抜粋したメッセージ

魂の勉強のためのいろいろな経験

幸福へのヒント

人生は今世限りではなく、誰もが、この世に何度も生まれ変わってきています。しかも、生まれ変わる際には、順調な人生ばかりを選ぶわけにはいきません。それでは魂の勉強にならないからです。そのため、ときには、いろいろと極端な経験もすることになります。人間は、数多くの転生のなかで、1回ぐらいは、肉体のどこかが不自由な姿で生まれてきます。誰もが必ず、どこかで一度はそれを経験します。そして、いま、その段階にある人たちもいるわけです。
もちろん、障害には、特に魂修行的に予定はなかったのに、事故や病気などの後天的要因によって生じるものもあります。しかし、人生計画というものは一直線ではなく、ある程度の幅があり、人間はそのなかで生きていくようになっているのです。

障害を言い訳の材料にしない

何らかの障害がある人にとっての基本は、「障害を言い訳の材料にしない」ということです。障害があっても、それをむしろプラスに変えていく生き方が大事です。言い訳のみの人生を生きても、絶対に本人のプラスにはなりません。
障害のある子供には、「あなたは素晴らしい人生を生きるために選ばれた人なのだよ。マイナスからのスタートになるけれども、逆境をバネとして生き、道を切り開けば、素晴らしい人生を生きられるのだよ」と教えてあげてください。アメリカの光明思想家に、デール・カーネギー(1888~1955)という人がいます。『道は開ける』『人を動かす』などの著書で有名です。この人は、子供のころ、窓から飛び下りた際に指輪が釘に引っ掛かり、左手の人差し指がちぎれしまったのだそうです。しかし、彼は後年、次のように述べています。「私は手の指が1本ないのを悩んだことはない。指が1本ないという事実に気が付くのは、月に1回あるかないかである」彼は、前向きに、積極的に仕事をして生きていたので、指が1本ないことなど、ほとんどの時間、忘れていたのです。
どこか具合が悪くても、そればかり考えていては、しかたがありません。むしろ、積極的な生き方を展開することに情熱を注いだほうが、人生を終わる時点では絶対に得なのです。
人間は2つのことを同時には考えられません。この特性を使って、「よいほうに、よいほうに」と物事を考えていってください。

ハンディがあることが不幸とは言えない

自分の子供が何かの障害を持っていたとしても、決して落胆してはいけません。「ハンディがあるからこそ、あなたは頑張れるのだよ」という話を子供にしてあげてください。
人生は、いろいろなあやがあって、でき上がっているのですから、ハンディのあることが不幸だとは決して言えないのです。
最後に、肉体的には障害はあっても、霊的には完全であることを忘れないでください。実在界に帰天したあとは、自由自在です。そのときに、人生の問題集の意味を悟る人もいるのです。

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