【臨死体験】意識不明の重体の3週間に私が見たものとは?幽体離脱、三途の川、照魔の鏡は実話だった【体験談】

三途の川、照魔の鏡……本当にあった臨死体験

トラックにはねられ、意識不明の重体に陥ったYさんは、幽体離脱により、三途の川や、自分の人生を映し出される“照魔の鏡”を経験します。何も知らずに経験したその臨死体験は、なんと 幸福の科学で説かれる死後 の世界そのものだったと言います。霊界の真実を描いた 映画「永遠の法」 の世界そのままの、死後の世界の体験談です。

(Yさん/女性/ 月刊「幸福の科学」 第238号より転載・編集

体験談 映画「永遠の法」は“実話”だった

トラックにはねられ、意識不明の重体に

当時高校1年だった私は、いつものように自転車で通学路を走っていました。横断歩道を渡っていた時のことです。気がついた時には左からみるみるトラックが迫ってきていました。私は急いで右によけようとして――。
その後の記憶はありません。
あとで知ったのですが、私は自転車ごとはねられ、全身8箇所を複雑骨折。くも膜下出血と脳挫傷で、意識不明の重体に陥りました。救急隊が来た時には、瞳孔が開いてしまっていて、その場にいた誰もが「もうダメだ」と思ったそうです。
それから3週間。生死の境をさ迷った後、やっと意識がはっきりしてきました。気がつくと全身に激痛が走っていました。

蘇った事故の記憶

あの事故から歳月は流れ、社会人になったある日のこと。 大川隆法総裁 の本を読みながら、あの世に思いを馳せていると、不思議なことにあの事故の時の空白の記憶が蘇り始めたのです。さらに、映画「永遠の法」を観て、本当に驚きました。自分が体験した内容が、映画のシーンそっくりだったからです。事故に遭った高1当時の私は、死後の世界や魂について、はっきりとした知識はありませんでした。しかし、私が実体験したことは、大川総裁の説く仏法真理の通りだったのです。

私の手が母の肩の中に……幽体離脱

病院でふと気がつくと、私は、ベッドに横たわる自分を天井から見下ろしていました。 自分の横で母がひざまづき、私の名前を呼んで泣き叫んでいるのが見えます。私は母のそばに下りていって「ここにいるよ」と言いながら、肩に手をかけました。しかし、私の手は母の肩の中にすっと入ってしまったのです。その上、母は私に全然気づきません。(あれ、私、透明人間になってるの?)と思いました。それに、(私、ここにいるのに、なんで下でも自分が寝てるんだろう)とも……。
そればかりではありません。事故直後、救急隊員の方から「大丈夫ですか!」と聞かれ、「はい、大丈夫です」と何度も言っているのに、聞こえていないようで、おかしな感じがしたのも思い出しました。

川底にお金や通帳が……三途の川

気がつくと、大きな川の岸辺にいました。「これが三途の川なんだ」となぜか分かりました。川の色は澄んだ淡いブルー。ザブン! と入ってみました。水かさはひざ位です。ところが、周りを見渡すと、首まで浸かりながら苦しそうに渡っている人もいました。
周りには10人ほどいたのですが、皆、中腰になって何かを拾おうとしていました。よく見ると、川底にはお金や通帳が……。その中で1人だけ、川面を片足で滑るように渡る人がいました。その人は全身が輝き、渡った後は光がキラキラと尾を引いていきます。「あんな風に渡れたら」とうらやましく思いました。

行き先は地獄! 照魔の鏡

ふと気がつくと、鏡が置いてある静かな所にいました。映画「永遠の法」にあった“照魔シアター”のように、近代的な施設ではありませんでしたが、鏡の前に立つと、自分が誕生した時から高校1年生だったその時までに思ったことや行ったことが、洗いざらい映し出されていくのは同じです。映画「永遠の法」の中で、登場人物が病人の世話をしていて「なんだよ、こっちだって精一杯やってるのに……」と心の中でつぶやくシーンがありますが、あのように、私が友達のことを悪く思ったことや、両親にウソをついた時の心の動きなどが、再現フィルムのように映し出されていきました。私はどんどん青ざめていきました。
(恥ずかしい、このまま死んだら私の行き先は天国ではなく地獄だ――)
と、その時。前方が、まばゆく光っていることに気づきました。目を凝らしてよく見ると、黄金に輝く仏像です。なぜか私は、この方にお願いしなくては自分は死んでしまうと、とっさに思いました。「どうか、私を生き返らせてください」と、お願いしました。しかしその仏様は、穏やかな表情で目を瞑ったままです。

あの世で聞こえた、この世の祈り

「どうか、お願いです」
その時でした。遠くの方から、祈りのような声が聞こえてきたのです。それは、両親をはじめ、大勢の人が 私のために祈ってくださっている声でした。
「私が帰ることは、両親や皆さんの願いでもあるんだ。このまま死んだら絶対後悔する!」
後で聞いたのですが、私が意識不明の間中、両親が何度も 祈願 をし 支部 の皆さんも祈ってくださったそうです。「生き返らせてください、お願いです!」
私は仏様に土下座し、懇願しました。すると仏様は、ゆっくりと目を開かれました。そして、「分かりました」と仰り、「頑張ってきなさい」と言葉をかけてくださったのです。この後、意識がふーっとしたかと思うと、目が開き、とたんに体中が激痛に襲われました。あれが、幽体離脱していた魂が、この世に戻ってきた瞬間だったのだと思います。

死んだあと困らない生き方を

あの臨死体験から数年。その記憶は、 幸福の科学の教え を学び始めた今、ますます鮮明になっています。映画「永遠の法」も友達と観に行き、感想を語り合いました。やはり、関心の的は三途の川の渡り方。執着があると川を渡れないのだと、つい熱く語っている自分がいます。自分自身、あの体験を思い出すことで、「ガラス張りの心で生きていこう」と原点に帰れるのです。人はいつかあの世に帰っていく存在。誰もが体験することだからこそ、この真実を出会う人に伝えていきたいです。

書籍で学ぶ 死後の世界はごまかしの利かない世界

死後に下される判定は公平そのもの

あの世は、非常にフェア(公平)な世界です。この世では、フェアでないこともあります。実直に、正しく、一生懸命に生きたのに、この世では、それほど報われない人もいれば、うまいことをやって成功する人もいます。この世では、いろいろなケースがあろうと思いますが、あの世の世界というのは、かなりフェアに判定が出るのです。
神、仏の創った世界は、決して、人間の生き方を裏切るようなことはありません。この世で苦労したら、「損をした」と思うかもしれませんが、その苦労が、それなりに正しいものであれば、あの世で報われることになります。一方、この世で楽をして、「うまくいった」と思ったとしても、それが正当なものではない場合は、死後、あの世で必ず反省させられるようになるのです。

死後の世界は疑う余地なく存在する

こうした霊的人生観を受け入れて生きている人と、受け入れずに生きている人とでは、やはり人生に大きな差が出てきます。霊的人生観を持っている人にとっては、日々の仕事や生活が、学びの場になります。一方、「こんなものは信じられない」と思っている人にとっては、すべてが偶然の連続になります。「死後の世界など分からないから、考えても無駄だ」と思うのでしょうが、結局、あとで大きなつけが回ってくるのです。
このことについては、私自身の三十年近い経験から見て、「疑う余地はない」と述べておきたいと思います。

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