幸福の科学"宗教二世"の素顔と本音

最近、何かと"宗教二世"という言葉を耳にする方も多いのではないでしょうか。

幸福の科学でも、二世会員と呼ばれる方は数多く活動しています。

「親が幸福の科学の信者だった」という家庭環境を持つ二世会員は、どのように幸福の科学にかかわって育ち、信仰についてはどう感じているのか、今回は宗教二世である3人の"素顔"と"本音"に迫ります。

座談会形式インタビュー!とある男性2人の本音とは。

お話をうかがったのは...

●A.Sさん(※24歳・男性・東京都)クリエイター。映画鑑賞が趣味で、好きなジャンルはアクションもの。
●H.Nさん(※25歳・男性・東京都)ウェブ制作者。エンジン音で車種がわかるほどの車好き。

※年齢はインタビュー当時のものとなります。

※こちらのインタビューは本サイトで公開中の
記事「幸福の科学・宗教二世の「本音」を語る【二世会員インタビュー】」
を編集したものです。

――いつから幸福の科学の信者だったのですか?

A.Sさん(以下、Sさん):両親が幸福の科学の信者だったので、「生まれたときから信者だった」というかんじです。

三帰誓願したのが8歳のときですね。

親から「3人兄弟みんなで(三帰誓願)しよう」って言われて…たしか小学校3年生だったと思います。

H.Nさん(以下、Nさん):あ、同じ。僕も小学校4年生のときで、兄弟2人揃って三帰誓願しました。

たしかその頃に制度の変更があって、小学生の僕たちでも三帰誓願できるようになったんじゃなかったかな?

Sさん:なるほど。だからNさんと似たタイミングなんですね(笑)

自分にとっては、三帰誓願がひとつの区切りだったかなって思います。

それまでも 支部 に行ったり、 法話 を聴いたりしてたんですが、特に宗教をやっているという意識はなかったんで、そのときに改めて「信者になったんだ」と思った記憶があります。

――ご家庭での信仰生活や活動はどのようなものでしたか?

Sさん:支部や 精舎 に、週1回車で通う、というのがうちのルールだったんです。

田舎だったんで、車で1~2時間かけて家族で行くのが恒例で。

お祈りは朝と夜、毎日ですね。家にご本尊(家庭用の祭壇)があったんで、そこで。

Nさん:我が家は、父が幸福の科学の職員でした。

父が地元の福岡で支部スタッフをしていたときは、支部が近かったし、母も活動していたので、ちょくちょく一緒に支部に行っていました。

行事というと、おもに"御法話拝聴会"に参加していたと思います。

大川総裁の法話動画を、信者が支部で拝聴する集いですね。

衛星中継がかかるような講演会はその頃はあんまりなくて…最近は講演会を衛星中継で拝聴できることが多いですよね。

僕としては「え、いいの? こんなに拝聴できて」と思っています!

――幸福の科学の信者であることは、人生にどんな影響がありましたか?

Nさん:僕は小学校でいじめに遭(あ)ったことがあるんですが、学校は根本的な解決はしてくれなかったし、加害者に直接「やめてよ」と言うしかなくて、つらい状況だったんです。

いじめは簡単に終わらないし、先生の見ていないところで色々あったりもしてすごくキツかった。

でも、幸福の科学の教えを学んでいた母は「あなたは"仏の子"だから大丈夫だよ」と、いつも支えてくれて、そのおかげで、僕は悲観的になり過ぎずに済んだんです。

だから母親を通して幸福の科学の教えに支えられていましたね。

ただ、親から「職員の息子だから恥ずかしくないようにしなさい」という言われ方をしたこともあって、それは正直プレッシャーだったし、嫌でしたね。

高校生の頃は一時期、親に反発したこともありました。

Sさん:信者だったことで何があったかなって考えると…自分は「グレなかったこと」かな。

学校で良く起きる葛藤、それこそ勉強や部活、人間関係の壁なんかを乗り越える方法は、自然と幸福の科学で学んでいたんじゃないかと思うんですよ。

幸福の科学の 月刊誌 とか本とかが家にいっぱい並んでて、その中にはマンガや小学生向けの冊子もあったから、教えに触れる機会は多かったし。

本は小学校の高学年くらいから読んでましたけど、たとえ話も多くて読みやすいなって思ってました。

気付かないうちに自分の中に教えが入っていたことで、すごく助けられてきたって思います。

――幸福の科学の書籍の中で、どの本が好きですか?

Sさん:『勇気の法』 『Think Big!』 ですね。もともと引っ込み思案な性格なんで、「これ、俺に必要かな」と思って手に取ったのがきっかけです。

初めて読んだのは高校生の頃なんですが、いい話がいっぱいあって。中でも『Think Big!』 に"体力は百倍にならなくても、勇気は百倍になる "っていうようなくだりがあるんですが、自分の人生観が変わって、すごいポジティブになれて。

自分のバイブルだなーって思います。

Nさん:僕は1冊挙げるとしたら、 『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』 です。

東京に出てくる前の、23歳頃にですね、自分の内面的にも金銭的にも苦しい時期があって。

そんなときに読んだのがこれだったんですが、人として基本的なことを思い出させてもらったというか、たくさんの人に囲まれて生きていたことを忘れていたなって思いました。

――「親の信仰」ではなく「自分の信仰」になったきっかけはなんですか?

Nさん:僕は大学に入って、1人暮らしを始めてからかな。

それまでの自分がだいぶ親に支えられていたことに気付いたし、「これからは自分で何でもやらなきゃいけない」と思うようになったあたりで、父に大川総裁の本を読むよう勧められて。

悩みがあったら自分で読んで問題を解決していかなきゃいけないなと思って、読み始めました。

その頃に、Sくんと同じなんですが『勇気の法』 と、あとは『Think Big!』 を読んで、「受け身でいるんじゃなくて、自分を成長させるためにハングリー精神を持たなきゃいけない」って、すごく背中を押されました。

学生時代に、心を鍛えていくのと、信仰が固まってくるのと、同時に起こっていたような気がします。

Sさん:自分は、就職してから青年部の活動に顔を出すようになったんですけど、自分たちでいろいろ企画して、未会員の人にも声をかけてイベントを開催していたり、みんな教えを実践しながら夢を語り合っていたりしていて、そんな先輩たちを「かっこいいな」と思ったことですね。

憧れの人たちに出会えたのが大きかったと思います。

――幸福の科学のいいところを教えてください。

Sさん:友達に困らないこと。

信仰という共通項があるからすぐ打ち解けるし、活動を通して全国に知り合いができるし、いろんな人に会えます。

Nさん:社会人になりたての人とか将来の不安を持っている人には、もうほんとに幸福の科学のことを知ってほしい。

こんなに価値観が混乱して、何をやったらいいかわからない時代に、学校で教えてくれない"生き方"を知ることができるのが幸福の科学です。

幸福の科学は教えのジャンルも幅広くて、現代の悩みにあったものばかりで、どんな人でも人生の指針が得られると思います。

言葉に出せる悩みも、自分でもわからないモヤモヤも解決できるし、その先にある未来を切り拓く力ももらえます。

もし幸福の科学に出会っていなかったら、自分はどうなっていたことか…。

本当に幸福の科学の良さが身にしみています。

インタビュー記事はコチラ

家庭内アンチが出家するまで。―どうして一度捨てた信仰を取り戻したのか―

お話をうかがったのは...

●Y.Tさん(※22歳・女性・東京都)幸福の科学職員。祖父母の代から信仰家庭に育ち、自身は三世会員。趣味はK-POP鑑賞。

※年齢はインタビュー当時のものとなります。

※こちらのインタビューはYoutubeで公開中の
動画「【素顔の幸福の科学3世会員】家庭内アンチ、出家する。新人出家者の愛と涙の波乱万丈ストーリー」
を文字起こしし、編集したものです。

――どのようにして信仰に出会ったのでしょうか?

まず私の祖母が霊言集を見て、入会して、その後に祖父も入会して、母と母の兄も入会しました。

信者だった父と母が結婚し、私の代まで信仰を継承したというかたちです。

――幼少期を振り返るとどうですか。

幼少期は一言で言うなら純粋、無邪気、無垢でした。神様がいるのが当たり前という価値観で育っていました。

――小学校時代はどうでしたか?

先ほどの純粋無邪気とはうってかわって、強烈な反抗期に突入しました。

小学校低学年くらいから宗教が嫌いな友人が増えてきて、教会を見たら「教会だ!怖い!逃げろー!」と言ったり、何か宗教の広告を見ると「気持ち悪い」といった反応をしているのを見て、宗教というのは「バレたらいけない」「悪なんだ」「新興宗教の信者というのは隠して生きないといけないんだ」と思うようになりました。

そこから、神様や教えを信じる気持ちはあるものの、周りに嫌われるかもしれない恐怖心から信仰を持っていることを人に知られないようにしていましたね。

でもついに隠せない出来事が勃発して。

私が小学校5年生のときの運動会だったんですけど、いつもは午前中から来てくれていた母が、珍しく午後に遅れてやって来て、「どうしたの?」と尋ねたら、「お母さん、選挙出ることになった」と突然告白されたんです。

それは、自分が"幸福の科学の信者"であることが友人たちに知られてしまうことを意味するので、告げられた時は全身の血の気が引いたのを覚えています。

そして隠していたものを友達はおろか世間に晒されたという怒りと反発心で、反抗するようになりました。

――母の出馬に対する周りの反応は?

「選挙出るんでしょ?幸福実現党 なんでしょ?」という好奇の目がすごかったです。

「お前の母ちゃんのポスターはがされてたよ」とか、無邪気で悪意がなかったとは思うんですが、だからこそそういう言葉を言われるたびに、結構メンタルがズタボロになりました。

今となっては申し訳ないし恥ずかしいんですが、その反動でクラスを荒らしたりしましたね…。

――信仰に対する葛藤があったということですが、そこから立ち直るきっかけは何だったんでしょうか?

小学校6年生の冬頃に、学級崩壊を起こす一因をつくってしまい、多くの人を傷つけ、人生を踏みにじってしまったという罪悪感と後悔に苛まれました。

自業自得とはいえ、自分の罪の大きさに2カ月くらい苦しんでいたのですが、じゃあ「今後どうやって罪を償っていったらいいのか」を見つめる機会になりました。

ちょうど3月に入った頃、罪悪感で眠れない夜に、たまたま寝室に『ストロング・マインド』 という書籍の帯にある「たとえ失敗しても何回でも立ち上がればいい」という言葉を目にした時、すごく救われた気持ちになって。

こんな私でも、人生をやり直していいんだと思い、涙が止まりませんでした。

信仰によって傷つけられた、人生をめちゃくちゃにされたと思っていたんですが、この信仰によって救われたという出来事から、信仰に向き合っていこうと考えるようになりました。

――そこから中学・高校時代はどのように過ごされたのでしょうか。

人間として高度成長期を迎えたというか、いろんな人に支えられました。

入学したときは小学校の先生から要注意人物として中学の先生に連絡が入っていたようなんですが、『ストロング・マインド』 を読んだときにやり直そうという強い決意があったので、生まれ変わろう!と思い…自分なりにですが徐々に更生していきました。

友人たちも「今のあなたを見てるよ」と言ってくれたり、先生も両親も見守ってくれて、復活して。

勉強も全然できなかったんですが塾にも通って、成績が爆上がりしました(笑)

高校では幸福の科学学園関西校 に進学して、ここでもたくさんの経験を積ませていただきました。

黄金期というか、楽しかった時代を過ごしましたね。

――高校時代は黄金期ということでしたが、大学時代はいかがでしたか。

残念ながら挫折しました(笑)

というのも学園時代「私は頑張ってきた」という自負があったんですね。

「信仰心もあるし、勉強も頑張ったし、伝道も出来る」という慢心があったので、外部の大学に進学しました。

大学では信仰告白をしたり、伝道をしたり自分としては頑張ったんですが、友人から「否定はしないけど自分に信仰は必要はないから深入りはしないでほしい」と言われてしまって。

打ち返す言葉がなくて、自分の勉強不足を痛感したんですよね。

すごい挫折感があって。勉強が足りないなっていう思いがありました。

でも挫折したけど何か努力するわけでもなく、むしろ流されに流され、遊び惚ける大学生活を送っていました。

――HSU に途中から編入されましたが、何か大きなきっかけは?

いろいろあったんですが、遊び惚ける中でどこかむなしさがあったんですね。

高校時代の友達は学生生活頑張っていて、勉強していて。

「あなたは最近どう?」って訊かれたときに「遊び惚けてる」なんて言えなくて、「まぁぼちぼち」って返したり(笑)、そういう偽りの自分っていうのが本当に苦しかったです。

また当時様々なニュースを見ていて「本当に私はこのままでいいのか」っていう気持ちも強くなって。

自分には何が必要かって考えたときに、「仏法真理の勉強が必要だ」って思ったんです。

HSU に再入学して一から勉強しなおすことが大切だなと思って、周りの方のおかげで再入学することができました。

――HSU 入学を経て出家をするきっかけは何だったのでしょうか?

正直、一般の企業に就職する気満々だったんですが、友人に勧められて何となく受けてみた、幸福の科学の精舎で開催されている研修の中で、自分が生まれてきた理由と天命がはっきり見えて。

主をお守りすることが自分の天命だとわかったときに、出家をしたいという思いが止まらなくなりました。

とはいえやっていける自信はなかったので、決心するまで時間がかかりました(笑)

でも未熟な自分だけどまずはやってみよう!と一歩踏み出して、出家のお許しをいただいたという感じです。

――出家に関して家族はどのような反応でしたか?

率直に驚いていました(笑)

いわゆる王道な宗教家という性格ではないので、家族は勿論、友人からも驚かれる反面、頑張ってと背中を押してもらいました。

――そもそも宗教をもっていなければ、苦しみなかったのではないかという声にはどう思われますか。

一言でいったら宗教を持っていたから苦しんだという感覚よりも、救われたという気持ちのほうが勝ったんです。

信仰がなければ幸せだったのではないかという声はありますが、逆に信仰がなかったらここまで生きてこれなかった。

どうして人は生きているのかなどが分からなくて、極端な話かもしれないけど自分の存在意義が分からず自殺している可能性のほうがあったと思います。

――あなたにとっての「信仰」とは何ですか。

情熱であり、生きる糧、生きる希望です。

信仰を通し、霊的人生観や使命を知ることは、本当の意味で人生が美しく輝くことに繋がるんだなあと日々実感するので、そういった意味で自分にとっての信仰は、希望ですね。

――ありがとうございます。それでは最後に、ご自身が感動された大川総裁の教えを教えてください。

大川隆法総裁著作『真実への目覚め』 の第3章「幸福への道」です!

霊的世界観など、幸福の科学の入門的な教えが書かれているので、是非皆様に読んでいただきたいです。

インタビュー動画はコチラ

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