【偉人伝】津田梅子―女性が教育を受けられる日本をつくった―
親子で学べる幸福の科学の小冊子 月刊「ヘルメス・エンゼルズ」No.285より、津田梅子の偉人伝を紹介します。
津田梅子(つだうめこ)(1864年~1929年)
7才でアメリカへ留学
明治時代に入り、日本は生活や文化がどんどん発展していました。しかし、当時は女性の地位が低く、女性が学校へ行ったり、仕事についたりすることは少なかったのです。
そんな時、「女性にも立派な教育をつけよう。」と、政府がアメリカに留学する女の子を募集しました。そこに7才の津田梅子がいました。
梅子はアメリカに着くと、日本語をほとんど使わずに生活することに。大変な時もありましたが、やがて生活になれていきました。
アメリカ文化を学んで帰国
アメリカの学校では、英語やフランス語、算数や理科などを学びました。梅子は、「男女が平等に教育や仕事ができるアメリカ文化」を学び、優秀な成績をおさめました。
18才で日本に帰ると、「日本女性が社会で活躍できるように、私が学んだことを教えたい!」と、意気込みました。しかし、日本では梅子の目指した教育をさせてもらえません。そこで、「自分で理想の学校をつくろう!」と、決意したのです。
女性のための学校をつくる
梅子は学校を開く準備を始めました。すると、話を聞いた日本やアメリカの友人が支援のお金を送ってくれたのです。
そして梅子が36才の時、現在の「津田塾大学」の前身「女子英学塾」を開校。梅子の厳しくも熱意ある授業を受けた女生徒は、次々と優秀な英語教師になりました。その実績が認められ、梅子の学校は有名大学になったのです。
梅子は64年の人生を「女性教育」に捧げ、日本の発展に貢献する多くの女性たちを誕生させました。
津田梅子クイズ! 偉人伝のなかに答えがあるよ。探して答えてね!
Q.梅子は何歳のときに、家族と離れてアメリカに行ったのかな?
答えはページの一番下にあるよ
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問題の答え:7歳