神社・仏閣で願いが叶う?狐、蛇、猿…ご利益信仰の落とし穴
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「苦しい時の神頼み」という言葉があるように、受験前などの大事な時期に、神仏のご利益を願った経験がある方は多いのではないでしょうか。
もちろん、何かを願うことは悪いことではありませんが、ご利益だけを求めるようになってしまうと、思わぬ罠に陥(おちい)ることに…。
では、「ご利益信仰」の一体何が問題で、どんな風に神様に願いごとをすればよいのでしょうか。
大川隆法総裁の法話をもとにご紹介します。
ご利益信仰の問題点とは
ご利益のみを求める人の特徴
ご利益のみを求める人というのは、自分に都合のよいときには信仰を語るが、自分に逆風が吹いてきたら、信仰を簡単に捨ててしまうのです。(中略)
ご利益信仰というのは、結局のところ、エゴのため、要するに自分が利益を受けるためだけの信仰であり、そういう人はすぐに仏神を捨てるのです。
(書籍『「信仰と愛」講義』より)
欲望の祈りは魔界へと通じる
高級霊には、「放っておけない」「黙っていられない」という性質があります。みなさんが祈った言葉は必ず霊界の誰かがキャッチしています。そして、その念いの性質、祈りの性質が仏神の心に適うようなものであるならば、高級霊たちは、「何らかの助力をしたい」と考えるようになるのです。こうして、その願いは、長い目で見て、叶えられていきます。
ただ、大切なことは、こうした祈りにおいても、執着心をあまり持たないことです。
(中略)
人間心で、「どうしてもこうしたい」とあまり強く念っていると、それが間違った念いである場合には、たいへん違った方向に進んでいくこともあります。祈りには、どうしても、自分の欲を伸ばす方向というものが入っているため、たいへん危険な面もあることは事実です。祈りが欲望の祈りへと化していったときには、魔界の者たちに魅入られることがありうるのです。
(書籍『愛の原点 』より)
現世利益の霊的真実
例えば、現世利益的なものを叶えるというものは、いろいろな所に祠(ほこら)があったり神社があったりして、祀(まつ)られていることもありましょう。
五穀豊穣(ごこくほうじょう)とか、結婚の成就とか、子孫繁栄とか、その他、いろいろなものがありますけれども、こういうものでは日本であれば稲荷の信仰もあります。
また、色情系の成就においては、稲荷、狐だけではなくて、蛇系統なども一部、力を貸してくれることはあります。すごく執着心が強いからです。
けれども、それが成就しないときには、今度は相手を呪い殺すような呪力になって現れることもあります。そうした恐怖心でもって、逆に男女を結びつけるようなこともあります。
こうした動物霊の変化身としての魔性もありますが、人間霊ではあったけれども、人間として生きていたときに何か強い欲望を持っていて、その欲望の権化のようなかたちで4次元界にとどまっている者も数多くいます。
このあたりから地上に転生を繰り返していることを、「欲界転生」というように一般的には言っています。
ただ、そうした欲界転生をしている者のなかにも、また、力の強い者が出てきたりもします。そういう者は、地獄界というところでの魔王とか悪魔とかになる場合もありますが、もう1つは、「裏側」といわれる世界のなかで、特殊な能力を身につけた者が神を気取って、自分特有の能力で人々を、彼らの言葉で言えば"信仰"させ、他の人々の言葉で言えば"惑わしている"場合もあります。
(書籍『メシアの法』 より)
蛇の延長に、滝つぼなどで竜神を祀るところも多いが、たいていは、ご神体なるものは、ただの蛇なので、ご利益信仰のつもりが、肩こり、腰痛、足の不自由さなどになって戻ってくることが多い。仏法真理でしか救われない。
(経典『妖怪にならないための言葉』より)
「裏側存在」の特徴と危険性
狐
日本などで特に多いのは、霊体的には「狐霊体」と思われるようなものです。
日本全国で稲荷神社があまりに多く、信仰が集まっていますが、信仰が集まると一定の霊力になることが多いのです。現世利益が度を過ぎると、そちらのほうに願いが行きすぎるので、ある程度の霊力を持っています。
稲荷信仰は日本にはすごく多いので、さまざまな神様を名乗って出るお稲荷さんというか、「狐系統」、「妖狐系統」のものはけっこういます。巷の霊能者や占い師、小さな宗教をやっている教祖等には、わりあい多いのではないかと思います。
(書籍『秘密の法』 より)
※稲荷大明神(いなりだいみょうじん)…6次元光明界の上段階で、本来、動物霊の指導を専門にする高級霊(諸天善神)の役職の1つであるが、現在、日本各地にある「稲荷信仰」は、いわゆる商売繁盛などを祈願する「ご利益信仰」になっており、「動物たちを護る役割の神」を祀るものではなくなっている。人間の欲に引かれて、死後に迷っている動物霊が集まり、障(さわ)りを起こしたり、畜生道に堕ちた人間の霊が稲荷大明神になりすまし、人を迷わせるなどということもある(書籍『不動心』 等参照)。
蛇
それから、「狐系」のほかに「蛇系」もいるのですが、「色情系」につながることがやや多いので、あまり関係すると、畜生道から色情地獄系のほうに追い込まれるというか、堕とされていくことが多いのです。
騙されると、そうなる傾向は強いので、あまり長く付き合うべきではなかろうと思います。
ただ、水商売系の人などには、お稲荷さんに祈願をしたり、お参りしたりしている人はわりあい多く、実際、そういうものは客をつかまえてくるのです。今も、いろいろな歓楽街等がたくさんあると思うのですけれども、その入り口あたりに霊的には来て、客をつかまえて店まで連れていくような仕事をけっこうやっています。呼び込みの人以外に、そちらの"霊体"のほうで、けっこう来ています。
サラリーマンたちは、そういうところに多く出入りしているので、影響は受けているのだろうと思いますが、普通はそう長いものではなく、せいぜい「1泊2日」ぐらいしか滞在しないことが多いことは多いのです。
酒を飲んで遊びに行き、霊を家に持って帰り、翌日、会社に出ていって、ほかの人に取り憑けて、それでいなくなるような感じです。
しかし、霊を憑(つ)けられた人のほうは、今度はまた、そちらのほうが引っ張られて、どこかへ行くような感じでしょうか。そのくらいの付き合いが多いのですけれども、あまりよく行きすぎると、霊にドンッと居座られるようなこともあります。
(書籍『秘密の法』 より)
天狗
日本には「天狗」もとても多く、それは山岳修行も関係はあるのではないかとは思いますが、そうしたフォース的な霊能力を使う人もたくさんいます。
こういった者は、たまにはよいこともするのですが、どちらかというと、自分サイドのほうの思い、利己の思いが強いので、なかなか、よいことばかりではありません。「天狗のいたずら好き」とも言われますし、高転びもします。
要するに、非常に念が強いので、会社でも急成長したり、政治家でもすごく偉くなったりと、一時期グーッと上がっていくような場合もありますが、高転びしてコロンと転んでしまうのです。
武士で言えば、平家などには天狗が多かったと思います。
(書籍『秘密の法』 より)
仙人
また、「仙人」というものもいます。
仙人になると、妖怪ほど無意味ではないかもしれませんが、天狗とは少し違います。
これはたいてい、修行僧というか、宗教修行をしたものの、肉体行に入るなどして、やや修行的に逸(そ)れてしまった人が多いのです。
仙人的パワーについては、みな持っていますし、インドの修行者などは、みな仙人といわれてはいるので、必ずしも全部が悪い意味ではありません。
ただ、王道系の修行のほうにまで届かなかった場合には、どちらかというと、人付き合いが悪い感じになりやすいのです。
「特殊な能力を持っていたり、この世的に見れば、技術者とか専門職とかで非常に突出した能力を持っていたりするけれども、人付き合いが悪い」というようなタイプで生まれてくることは多いのです。
(書籍『秘密の法』 より)
妖怪
それから、妖怪系の人は、どちらかというと、見つかって正体がバレることを非常に嫌がる気があるため、「二重性を持つ人」が多いのです。外に見えている面と、本人の本心や隠れてやっている行動等に違いがある場合が多いという気がします。
こういう人たちは、天国にも、この世の地上界にへばりついている霊界にも、地獄界にも、行ったり来たりできる力をけっこう持っています。
このあたりが大事なところです。
(書籍『秘密の法』 より)
妖怪の例は多すぎて書き切れない。おそらくは昔の信仰が、仏教や儒教、キリスト教らの思想の高さに裏側に追いやられて、天上界とも地獄界とも言いかねる「恐怖」と「こっけいさ」が同居した民間信仰として残ったのだろう。
(経典『妖怪にならないための言葉』より)
本当の神はひとりひとりの幸福を願っている
すべての人に幸福を
だれかを愛することが、だれかを愛さないことにつながるような愛は、まだ相対的なる愛なのです。絶対的なる愛は、その愛のあまりの強さゆえに、その光の輝きのあまりの強さゆえに、強弱さえも分からぬほどの光に包まれています。それがほんとうの愛なのです。
私は数多くの書物を世に問うています。それは、「一人ひとりの人を、救いたい。悟らせたい。幸福にしてあげたい。そして、無限にその愛を広げていきたい。隅から隅まで一人残らず、また、この時代のみならず、後世の人びとをも潤していきたい」という、大いなる愛のあふれる姿にほかなりません。
(書籍『愛から祈りへ 』より)
神仏の願い
一人でも多くの人が、真実に目覚め、神への信仰心を持って生きられますように。
今後どのような不幸が人類を襲おうとも、今、同時代に救世主が生きていることを、希望の光としますように。
人類の罪が赦(ゆる)され、愛が地に満ちますように。
数多くの天使・菩薩たちが、現代にも育ちますように。
(書籍『自分を鍛える道』 より)
天はみずから助くる者を助く―「幸福の生産者」になろう
大いなる他力が臨む時
人間が自助努力をしているとき、同時に、それを超えた大いなる他力もまた救いの手を差し伸べているのです。
大きな慈悲がいつも臨んでいることを忘れずに、その慈悲と手を結ぶような自助努力をしていくことが大切です。このような世界観を持つべきだと思います。
したがって、信仰と成功は対立するものではないのです。信仰を否定すれば成功するわけではありませんし、反対に、何らの自助努力もせず、成功の方法論をまったく無視して、信仰だけで成功できるわけでもありません。
人間が修行の目的でこの世に生まれてくることを考えれば、自助努力はやはり必要であり、創意工夫し、智慧を磨くことが大切です。
しかし、同時に、地上の人間を助けようとする力が働いていることも忘れてはいけません。
ただ、「自分を助けようとする力が働いているから、何も努力しなくてよいのだ」という甘え心では、高級霊の波動も近寄ってこなくなります。「天はみずから助くる者を助く」という言葉のとおりなのです。
天は、自助努力の精神、セルフ・ヘルプの精神を持っている人をこそ、手助けしたいのです。そのような人は、指導者になるべき人であり、多くの人々に幸福を分配し、多くの人々に成功を与えていける人なのです。
だからこそ、天はそのような人に手を差し伸べるのだということを忘れないでいただきたいと思います。
(『奇跡の法』 より)
霊的世界をリアルに描き出した衝撃作として、大きな話題となった映画『夢判断、そして恐怖体験へ』 (2021年公開)。
その続編となる映画『レット・イット・ビー ~怖いものは、やはり怖い~』 (2023年5月12日公開)は、稲荷神社での出来事など、実際に起きた5つの心霊恐怖体験を実写映画化しています。
楽曲「だまされたくなくて」
「神社も夜中は怖いよ。
稲荷大明神なんて、
本当にご利益をくれるのかな。」
(楽曲「だまされたくなくて」※歌詞より抜粋)
※ 本楽曲は「映画『レット・イット・ビー ―怖いものは、やはり怖い―』(夢判断、そして恐怖体験へ2)オリジナル・サウンドトラック 」 に収録されています。