本物の霊言とは何か
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霊言現象とは「あの世」の霊存在の言葉を語り降ろす現象のことですが、この霊言を安易に考え、大川宏洋氏のように、あたかも“役者が役を演じる”のと同じであるかのように主張する誤りも近ごろ見られます。そこで、霊言について改めてご説明いたします。
霊言は宗教の根幹
仏教、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教などの世界の大宗教の成立にはどれも、神の啓示、つまりは高級霊界からの「霊言」が大きく関わっています。イスラム教のコーランもムハンマドが伝えた神(アッラー)の言葉の集大成であり、いわば霊言そのものです。また、今から約3000年前、エジプトの地で羊飼いをしていたモーセは、ホレブ山で燃えるしばの中から神の声を聴き、これがユダヤ教の始まりになりました。これまで大川総裁は900回以上の公開霊言を行い、500書を超える公開霊言シリーズ(累計発刊点数は全世界で2500書以上)を発刊していますが、これだけ多くの霊言が、これほどまでに多彩な霊人から降ろされたことは歴史上全く初めてのことです。霊言は、神の心を知り、真実の人生を歩むうえで欠かせないものです。
降りてくる霊の違いが正邪を分ける
霊言が、あの世の天国にいる天使・菩薩と呼ばれる霊存在の言葉を語り降ろすような教えや法が入っている霊現象となるには、自分自身の自我や、思い込み、刷り込みが入らないように、絶えざる精神修行を必要とします。2600年前に釈尊が難行苦行の末、大いなる悟りを開き、梵天と呼ばれるインドの神々とコンタクトできるようになるのに、約6年の修行を要したことからも、その難しさがしのばれます。つまり、霊言とは宗教的修行を重ねて高度な人格を磨き、神仏と一体になることで可能となります。その意味で、真に悟った方が降ろされる霊言に巡り合うのは稀有なことと言えます。
一方、悪魔や悪霊と呼ばれる地獄の存在に翻弄される霊体験も後を絶ちません。日頃、家族や社会への恨みや憎しみを燃やしていたり、他人を踏み台にして個人の欲望をどこまでも膨らませていくと、悪霊、悪魔といった邪悪な霊に取り憑かれてしまいます。いったん取り憑かれると、なかなか離れてくれませんし、さらには、心の中に浮かんだ考えが、その霊が送ってきたインスピレーションなのか、自分がそう思っているのかの区別もつかなくなってしまいます。
これを“霊障状態”とか“憑依”などと呼びます。最近の事件で、被害者に重傷を負わせた犯人が、調べに対して、「私のやったことではありません」と容疑を否認していましたが、これなどは悪霊に憑依されているものと思われます。憑依状態は、凶悪な犯罪の真相でもありますし、地獄の悪魔のささやきを真に受けてしまうことでもあります。この地上は地獄の影響を受けやすく、霊障が原因の不幸な事件には事欠かないとも言えます。
また悪魔や悪霊が取り憑き、邪悪な言説を流布するケースもあります。ナチズムの理論的根拠となったニーチェの著作などがその典型であり、キリスト教に対する聞くに堪えない誹謗中傷、虚偽の流布、あの世や神の言葉の否定などを含んだ言説には、注意が必要です。
このように霊現象には、自らの自我我欲を抑えつつ、悪霊のささやきに騙されないよう、信仰心を深めつつ、社会的見識や宗教的教養を積んでいくなかで得られる天使・菩薩からの霊言と、悪霊や悪魔に憑依され、誹謗中傷を繰り返したり、非行や犯罪などの社会悪の原因となる霊障・憑依とがあるのです。
霊能者にもレベル差がある
また、霊言が出来ると称する霊能者にも、様々なレベルの差があります。霊能者ではあるものの、信仰心が薄く、教学もせず、社会教養もなく、思い込みが激しいタイプであると、その思い込みが、さも事実であるかのように、霊言に出てしまいます。これなどは、霊言として信頼性が低いものです。
一方、精神統一や体調を万全に整え、悪霊波動の混入を完全にシャットアウトして行われる大川隆法総裁の霊言のようなものもあります。大川総裁の行う霊言は、入った霊にしっかりと本心を喋らせることができ、トランス状態になって意識を失い、霊が一方的にしゃべる「霊媒現象」とは異なり、自由に霊現象をコントロールできる最高度のレベルです。大川隆法総裁は、世界最大の霊能者であり、どんな霊でも呼び出せます。これは高度な悟りを開いている人にのみ可能なものです。また、大川総裁は、霊を降ろす霊媒であると同時に、霊人が語った内容について、その正否や真意を解釈して判断を下せる審神者(さにわ)の役割も務めています。さらに霊言の全体を見ているマスター(導師)の役割をも務めていて、総裁自身がその霊に対して質問することも可能です。
大川総裁の霊言には、人格向上のヒントや社会のあるべき姿、未来予言的要素がふんだんに含まれ、繰り返し読むたびに新たなヒントが得られます。幸福の科学では、中国の習近平氏がまだ副主席だった2010年から、その独裁者としての危険性を警告していました。一方、アメリカのトランプ大統領については、候補者の段階で初代大統領のジョージ・ワシントンの生まれ変わりであることを明らかにし、「強いアメリカの復活」を成し遂げることを予測していました。霊言はその人物の本性を探り当て、時として未来に対して警鐘を鳴らすものともなります。その意味で、高い公益性を有しているとも言えるでしょう。
霊言は“演技”ではない
また、実際には、霊など降りておらず、事前に仕込んだ知識で、対象となる人物のフリをしているかのように霊言を説明する人もいますが、これは全くの誤りです。霊言は、あの世の霊の都合で突然始まり、全く準備する暇もない状態で始まることすらあります。
かつて、大川総裁が中曽根康弘元首相の守護霊の霊言を収録しようとした際、突然、ジャーナリストの故・筑紫哲也氏の霊が割り込んで来たということがありました。また、現代では使われていない古代の言語による霊言や史料が全く存在しない人物の霊言があったり、ジョン・レノンなどの有名アーティストからの楽曲のインスピレーションもありました。これまで大川総裁は多くの公開霊言を行い、多数の公開霊言シリーズを発刊していますが、そのなかには、事前に準備して、役者の演技のように振り付けることなど不可能なものがいくつも存在します。通常の霊言の場合は、イエス・キリストやカント、毛沢東、蒋介石、トランプ大統領や金正恩委員長の守護霊などの霊人が、それぞれ2時間前後にわたってその本心を語っており、それぞれ独立した個性が霊として存在していることを強く確信させるものです。たとえいくら準備したとしても、質問者を相手に2時間近くも対話することなど、演技として出来るものではありません。
「自由で民主主義的な社会」を守る防波堤
結局、霊言は、人間がこの世限りの有限な存在ではなく、永遠の生命を持ち、神仏に向かって無限に向上し続ける尊い存在であることを立証するものだと言えます。人間が神の子であることを実証するものであり、信教や言論の自由などの基本的人権の根拠ともなるものです。即ち、「自由で民主主義的な社会」を無神論や唯物論、全体主義から守る防波堤であるとも言えます。
幸福の科学の霊言は、一人でも多くの方が霊的世界の真実に触れ、尊い導きのもとで人格向上の道を歩むことができるようにと願って刊行されているのです。