カルトと信仰の違いが分からない週刊新潮は「宗教を語る資格」がないことを知るべきだ
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別冊「週刊新潮」(8/25号)が反社会的事件を起こした問題教団と幸福の科学を同列に扱うことで尊い信仰を誹謗中傷している。大した見識も持ち合わせない彼らは、そもそも宗教について語る資格がないことを知るべきだ。
週刊新潮の「フライデー事件」への無見識
問題の記事では、「昭和末期の頽廃がカルト宗教の揺り籠」との見出しのもと、オウム真理教や法の華などのテロ事件や詐欺事件を起こした問題教団を列挙した上で、それらと同類であるかのように幸福の科学が取り上げられている。
しかし“当会が起こした事件”として挙げられている「フライデー事件」自体、講談社が発行するフライデーが事実無根の誹謗記事を乱発した事件であって、当会はあくまで「被害者」の立場である。「売れれば文化がついてくる」と称して聖なる信仰を誹謗し続けたフライデーに対して、当会が勇気ある抗議行動に立ち上がり、その悪徳商業主義を堂々と批判したことで、行き過ぎた「言論の暴力」に初めてチェックが入るようになった。同事件は、「マスコミ権力」という事実上の第一権力とその横暴に本格的なメスが入った戦後文化史の分岐点であり、戦後、漂流し続けてきた我が国の価値観に「神の正義」という背骨が入った瞬間でもあった。
週刊新潮は、何とかして幸福の科学を問題教団と同一視させたいようだが、こうした姑息な詐術を繰り返せば繰り返すほど、同誌の無見識ぶりの方が際立つことを知るべきである。
“バブル”と繁栄の違いが変わらない週刊新潮
また今回の記事では、80年代以降の宗教ブームは昭和末期のバブルの頽廃の産物であり、「資本主義的な自由や競争の広まりが誘発した利己主義や自己責任論の拡大によって、とりわけ弱い立場の人々への共感が後退した」ことが背景にあると指摘している。
しかし昭和末期の好景気を“バブルの頽廃”と切り捨てることは、戦後の荒廃から立ち上がり、我が国の復興と繁栄のために汗を流してきた戦後日本人に対する侮辱である。安保闘争を乗り切って我が国が「資本主義的な自由や競争」に踏みとどまったからこそ高度経済成長が成し遂げられ、本来であれば「弱い立場」に留まらざるを得なかった人々にも雇用の道が開かれて社会全体が「豊かさの平等」を享受できたと考えるのがフェアな見方である。
また冷戦末期の80年代から我が国がアメリカと肩を並べる超大国化の道を本格的に歩み始めたことは、人種主義撤廃を掲げて戦った大東亜戦争の正当性を裏打ちするものである。にもかかわらず「利己主義や自己責任論の拡大」という負の部分にばかり注目することは、国際政治経済のメカニズムに対する無理解と左翼的な自虐史観以外の何物でもない。
教団活動に対する偏見と時代遅れの認識を反省せよ
またこの時期に成長した教団がどれも未だに「一般社会と隔絶した特殊な連帯意識」で成り立っていると考えることも偏見と時代遅れな見方である。
記事中では、各教団が成長する理由として「社会的な絆が薄れていくなかで居場所が見つかられない人を仲間に引き入れるとき、一般社会と隔絶した特殊な連帯意識を作ることが有効に作用する」ことを挙げている。
しかし、そもそも魂を救済する宗教活動こそが宗教にとっての最大の社会貢献であり公益活動である。その意味で、一般社会で通用する宗教儀式や行事を超えて、目に見えない世界の尊い仏神との絆、そして信者相互の深く揺るぎない魂的な信頼関係を構築していくことこそ宗教本来の使命である。
また当会で言えば、具体的なユートピアを広げるためのグループ活動をはじめ、貧困や災害、障害や心の病で苦しんでいる方々にも、物心両面に渡り、あらゆる手段で手を差し伸べる努力を加速している。東日本大震災の復興支援をはじめ、不登校児支援スクールの運営、自殺防止活動、障害者支援、いじめ問題に取り組む一般財団法人の支援などを行っているし、国際支援として、ネパール、インド、マレーシア、ウガンダ、ガザ地区、スリランカ、ミャンマーなどの国で、学校建設や教材の寄贈、衣服・物品の寄贈など、さまざまなチャリティーに取り組んでいる。
同記事では、教団に入信することは「社会と隔絶する」危険性そのものであるかのように強調されているが、大きな間違いだ。宗教教団とは教祖を頂点とする垂直関係を有すると同時に、信者同士の連帯と救済機能が発揮される水平関係を有する。そして年数を経て大教団へと成長する過程で当会も、当初の各人が精神的成長を求めていく運動に加えて、水平的な連帯力が強い救済型宗教へと発展を遂げたのである。
公平な取材や調査を適宜行うことなく、数十年前の知見やジャーナリストと称するフリーライターの断片的な覗き見でだけで判断することは実像を歪める臆見以外の何物でもない。宗教に対する嫉妬と偏見に凝り固まった週刊新潮は、言論の背景には「正しい価値観」が不可欠であり、その究極には「神仏から降ろされる時代への価値判断」があることを知るべきだ。そして宗教的常識と教養を備えた人物による適正な取材を心がけるべきである。
※なお、週刊新潮に関しましては、『「週刊新潮」に巣くう悪魔の研究』 『「週刊新潮」編集長・悪魔の放射汚染』 『人間失格 新潮社 佐藤隆信社長・破滅への暴走』 『「仏説・降魔経」現象編―「新潮の悪魔」をパトリオットする』 (幸福の科学出版刊)が発刊されております。
幸福の科学グループ 広報局