笑顔あふれる介護をめざして【体験談】

母さんの笑顔が私の幸せです

夫婦で力を合わせて、それぞれの両親4人の介護をしてきたH.Kさん。40年務めた医療現場での仕事を引退し、妻のKさんと介護生活に奮闘しています。介護を通して、Hさんがつかんだ幸せとは―。

夫婦二人で、それぞれの両親を介護して― 夫婦二人で、それぞれの両親を介護して―

介護の始まり

笑顔あふれる介護をめざして【体験談】現役時代のKさんロゴ入り

私は臨床工学技士、准看護師として40年に渡り医療現場で仕事をさせていただきました。
仕事では、常に患者様に寄り添い、心で向き合い、病気と共に生き抜く事のお手伝いを心得とし、長年続けてきました。

そのような私が、妻と一緒に家族の在宅介護を通し、少しの学びや気付きがありましたので、ご報告させていただきます。

私はこれまで、夫婦二人で、それぞれの両親4人の介護を経験し、5年前には私の父を、今年は義父を看取りました。
現在も夫婦で力を合わせ、自宅で私の母と、義母の介護をしています。

私は、両親が80歳を超えた頃から、日常生活に少しずつ支障が出ている事をうっすらと気付くようになり、折にふれて車で30分の所にある二人の住む実家に様子を伺いに行くことを続けていました。

両親の家に通っての本格的な介護が始まったのは、2013年、両親が86歳の頃です。
母は、パーキンソン病を伴うアルツハイマー型認知症、父は隠れ脳梗塞の診断を受けました。きっと、自分たちの頭にうっすらと雲や霧がかかっているような、やるせない思いを抱いていたのだと思います。
親として、人として……少しずつ壊れてゆく父、母。
私たちが両親のそうしたありのままの姿を受け入れるまで、かなり時間がかかったと思います。

壮絶な母の介護

そんななか、母が87歳の頃、自宅のベッドで転倒し、腰椎圧迫骨折をし、入院を強いられる事になりました。
病院での治療生活が始まった母は、環境の著しい変化と腰の強い痛みに翻弄されていました。
強制的に行動を抑制される薬を使う状態となり、結果、治療で心と体のバランスが壊れ、体調不良が続いたのです。
私は主治医と相談し、退院の方向を考える事にしました。

母は入院中、十分食事も取れず痩せ細りました。
覇気のない表情と、輝きを失った目……。
そして、認知症はスピードを増してゆきました。

母が退院した後、私と妻は、私の両親と同居をして介護をする事にしました。
妻にとっても大きな決断だったと思います。
妻は、女性誌『アー・ユー・ハッピー?』 ※(1)に書かれていた、大川隆法総裁の、「あなたがやらずして、いったい誰がやる」とのお言葉に押されて介護の覚悟を固めたそうです。
その事を私は随分後に知りました。

母の介護が始まり、私たちの日常生活に大きく影響を及ぼした出来事は、母の頻尿でした。
夜間に10分おき、一晩50回位トイレ介助が必要です。

(今すませたのに……また!?)

その連続でした。

3日過ぎ、一週間過ぎ、一カ月を迎える頃、私も妻も疲弊のため、体に支障が起きている事を感じ始めていました。

幸福の科学の信者である私は、毎朝の祈りの中に救いの御光を求めていましたが、(このままでは共に倒れる)、これが私の本音でした。

介護施設の入所は最終手段として、まずは精神科外来受診を試みました。
とても親切なお医者様に診察していただき、2つの治療のご提案を受けました。

1つ目は入院です。「入院すると退院は亡くなる時です」との事でした。

2つ目は「現在のお薬を一旦中止し、母を本来の姿に戻し、そこからまた必要な薬の治療を検討する」という事でした。

母の介護生活はかなり厳しいものでしたが、妻とも相談し、2つ目の方向の治療を選択しました。
「きっと明るい希望がある」と信じました。
そして、病んでいる母の苦しみを取り除く事を優先に考え、自分たちの日常生活はなんとか工夫を凝らし乗り越える事にしました。

母・Sさん(右)のそばで就寝し、毎晩、トイレの解除をしているHさん(左)

家族に美味しいご飯を食べてもらいたくて、妻Kさん(左)がお鍋でお米を炊きます

私は30年前、大川隆法総裁の経典『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』 を書店で手に取り、衝撃を受け、幸福の科学に入会し、三帰誓願(※2)をさせていただいていました。
その数年後に母も幸福の科学に入信していたので、神仏のご加護のおかげか、母は日に日に、日の光が差し込むように元気を取り戻してゆきました。
さらにはデイサービスやショートステイを取り入れた事で、専門のスタッフの皆様のおかげもあって、少しずつ規則正しい生活ができるようになってゆきました。

※1 『アー・ユー・ハッピー?』 …日常生活の中から「幸福の種」や「幸福のコツ」を見つけ出すヒントをお届けする、月刊女性誌(幸福の科学出版)。

※2 三帰誓願…仏・法・僧の三宝に帰依することを誓い、幸福の科学の信者になること。

最愛の父を失って

ほっとしたのもつかの間、私たちに次なる試練をいただきました。
父が夜、家の施錠を開き徘徊し、不慮の事故で亡くなったのです。91歳8カ月……。
衝撃は大きく、父の存在を失う事を、男として、大人として、一人の息子として深く考えさせられました。

私の介護の脇が甘かった事、想定外の事を考えておかなければならない事など、反省する事が多く、(父には本当に申し訳なかった)と思いました。

その後、幸福の科学で父の帰天式(※3)を終え、那須の来世幸福園に納骨させていただきました。
光の下、天上界へと導かれたと信じています。来世、また天上界での父との再会を楽しみに、新たに今世の精進を誓いました。

そして、父のお手伝いができなかった事を、高齢の義父・Rさん、また、義母・Hさんへのお手伝いが必要になった場合には、もう一度勇気を持ってチャレンジしていこうと決意させていただきました。

※3 帰天式…経文読誦、引導奏上、導師法話、喪主挨拶などを通じて、霊界入りした魂に自らの死を自覚させ、死後、光の世界への導きを与える、幸福の科学の葬儀。

義父の故・Rさん(右・享年92歳)と、義母・Hさん(左・93歳)

心の平静を心がけ 自分の仕事を再確認する

逆風の時、つらい時、また、一歩前進を決める時などに、思い出す一つの心得があります。
「医は仁なり。介護も仁なり。人は仏から創られた尊い魂の存在である。その事を十分自覚せよ。施しを受ける方によく寄り添い、心して向き合い、生きてゆくお手伝いをさせていただく事。勇気を持ち、明るく積極的で物事を建設的に考えよ」
―この言葉は、私が真理を学び深く考え抜いた時に書きとめたものですが、仏からいただいた言葉と思って、私の人生の指針としています。

特に、「明るく積極的に生きる」との言葉には特別な思いがあります。
以前、大川隆法総裁は、幸福の科学の東京正心館で、経典『感化力』 のセミナーとして、「愛・自信・そして勇気」と題した御法話を説かれました(2007年)。
その質疑応答で、私は誠にありがたい機会を賜り、仕事と活動の両立について質問させていただいたのです。

「考え方を変えて、積極的な明るい方向で、物事を建設的に考えてください」

つらい時、(明るく積極的に生きるぞ)と何度も自分に言い聞かせました。

また、介護の中で時には心乱れ、瞋(怒りの心)、慢(うぬぼれの心)が心の中を乱す事もありますが、その時は、「心の平静を取り戻し、悪しき思いを収めるために反省や瞑想を行う」という教えを思い出し、愛犬の散歩をする時間に大自然の景色を眺めながら自分の思いや行いを振り返るようにしていきました。
そして、介護生活のなかで心が波立ち、揺れ動いている時は、深呼吸をして心を調えるよう心がけていきました。

毎日、少しずつ反省を深めてゆくと、以前よりも心が波立つ事が少なくなりました。
介護を受け入れる事が尊く感じられ、母が愛おしくさえ思えるように心が変化していきました。

愛犬・マルティとの散歩の時間が心を見つめる時間にもなっている。

やっと見つけた幸せ

笑顔あふれる介護をめざして【体験談】支部でお祈りロゴ入り

ある日私は、暖かな日差しが差し込む日の午後に、母をお風呂に入れてあげました。

私の母は以前から糖尿病を患っていて、細菌や水虫への抵抗力が弱いため、体に傷がないか確認し、特に足は丁寧に洗ってあげました。
その後、湯舟につけてあげて、お風呂からあがった後は、体が冷えないよう急いでタオルで拭きました。
母に服を着せてあげながら、ふとこんな事を思いました。

(私も昔は、こうして母に風呂に入れてもらったんだな……)

幼少時代に思いを馳せると、さまざまな思い出が蘇ってきました。
子どもの頃、やんちゃで言う事を聞かない私に、「悪い事をしたらいけんよ」と叱ってくれた母。
私が二つ上の姉にいじめられて泣いていた時には、優しく涙を拭ってくれました。

また、神棚に手を合わせる母の後ろ姿から、子どもながらに信心する事の尊さを感じた事もありました。

(母さん、私を産み、育ててくれて本当にありがとう。この介護が恩返しになりますよう……)

感謝の思いでお風呂上がりの母の体に保湿クリームを塗っていると、母は私の手を握り、ほほ笑んでくれたのです。

「気持ちよかったよ。ありがとうね」

頬が赤く染まり、幸せそうな母を見た途端、言葉にできない幸福感や、母への愛おしさが心の底から溢れました。

(……神様、尊い介護の機会をいただき、心より感謝いたします)

その後も、感謝の思いで日々介護を続けてゆき、2022年6月頃からは、母の介護に加え、義父母との同居も始まりました。
義父は肝臓癌で、義母は心臓疾患の持病があるので、悪化させないよう、日々健康面を観察し、栄養バランスにも配慮。
心も安定するよう気にかけ、信仰生活を取り入れて生活を工夫しました。

そして今年の1月2日には皆で一泊で、幸福の科学の湯布院正心館の新年大祭へ参加させていただく事ができました。
義父も義母も本当に喜んで、幸福の科学の素晴らしさを心から魂で感じていただけたと思います。

母・Sさん(左)の入浴介助をするHさん(右)。

2カ月に1回、妻・Kさん(右)が両親たちの髪をきれいにカット

幸せな「快護」をめざして

私は幸福の科学で、あの世の世界がある事や、人はこの世とあの世を何度も生まれ変わって、魂修行をしている事を学んでいます。
将来、私たち家族が帰天し、あの世で再会したときには、「一緒に暮らせて良かった」と言ってもらえるように、これからも日々の介護に心を込めたいと思います。

そして、介護は与える愛の実践です。私たちと同じように介護に携わっている皆様は本当にご苦労されていらっしゃる事と思います。
しかし、必ずうまくゆくと信じる事が大切です。
「介護」から「快護」へと思いを切り替え、どうか、たまには自分の成長をほめることも忘れないでください。
「快護」という言葉には、介護を受ける方、介護を施す方、両者が本当に心から快い思いがあって、初めて良い介護が生まれるという意味を込めています。
私は、「快い介護をしていく事は日々の心の修行である」と思うのです。

また、幸福の科学の信者の先輩からこのようなお話を聞かせていただきました。

「Kさんね、『介護とは、親が体が不自由になってまで体を張って、自分の子を本当の大人に成長させる事だと考える』と言った人がいたわ」

素晴らしい事だと思いました。

この世的な介護と、神仏からご覧になって喜んでいただける"霊的な介護"が一つになった時、私の介護を通しての答えがあったと思います。
親から育まれ、育てていただき、愛をいただき、今、現在の環境へといざなわれた事。
両親は、私に大きな生きる基礎をくださった存在だと改めて感じさせていただきました。

心から両親へ感謝するとともに、さらに、私たち人間を創られた仏への感謝の思いを深める事ができました。

信仰心を強く持ち、今日も家族と過ごせる一日をかみしめてゆきたいと思います。

他人に対する献身の心を学ぶ

心と体のほんとうの関係。

病人が出たからといって、
それを自分の不幸の言い訳にすることなく、
それによって自分が魂の修行の機会を与えられたことに感謝し、
そのなかで自分の心を磨いていこうと思うことが大切です。
家庭に病人が出たときには、
「与える愛、尽くす愛、奉仕とは何か」ということを
考えさせられもするものですから、
これは、まさに、
他人に対する献身の心を学ぶ機会ではないかと思います。

(書籍『心と体のほんとうの関係。』より)

【解説】Kさんが、介護のなかから幸せをつかめた理由とは

〈ポイント 1 〉反省や瞑想を通して、心の中の思いを正した

介護で母への怒りが収まらないとき、幸福の科学の支部や精舎で心を見つめるなかで、Kさんは自らの怒りの傾向性に気づきました。
「怒りを収めるには、反省行や瞑想行が大切」と学び、散歩をしながら一日を振り返って反省したり、イライラしたときには深呼吸をして心を調えるよう心がけました。
すると、だんだんと穏やかな心で過ごせるようになったのです。

〈ポイント 2 〉母からいただいた恩を思い返した

Kさんは母の介護をしていくなかで、幼少時代にお風呂に入れてもらったことや、優しく叱ってもらったことなど、母からいただいた数々の恩を思い出していきました。
すると、自分を育ててくれた母への感謝の気持ちがあふれだし、幸福感に包まれていったのです。
そして、「母に恩返しがしたい」という思いが、介護を続けていく大きな力になりました。

介護のヒントを学べる一冊

心と体のほんとうの関係。

「やがては自分も介護される日が来る」ということかもしれませんが、それも愛の実践です。耐えることも愛の実践なのです。

(書籍『心と体のほんとうの関係。』より)

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