心臓の難病「突発性拡張型心筋症」が奇跡の回復!医学の常識を超えた「病気平癒」の力

(最終更新:

2010年に「突発性拡張型心筋症」という難病にかかり、生命の危機に見舞われたM・Sさん。大川隆法総裁の言葉を信じて宗教修行に取り組むなかで、人生が変わる奇跡が臨みました。
(M・Sさん・神奈川県・60歳・外資系企業 顧問)

月刊「幸福の科学」391号より転載・編集

「信じる力」で、心臓の難病が治った! 「信じる力」で、心臓の難病が治った!

突然の「病の宣告」

2010年9月のことです。私は会社の健康診断で不整脈が見つかったため、精密検査を受けに、地元の大病院を訪れました。

するとエコー検査の最中、医師や看護師が騒然としはじめ、私の妻が電話で呼び出されました。私はなぜか車いすに乗せられ、夫婦そろって診断結果を聞くことに…。

「Mさん。あなたの心臓は通常の倍の大きさに膨(ふく)らんで上手く収縮していません。予断を許さない、非常に危険な状態です」

「え、本当ですか…!?」

告げられた病名は「特発性拡張型心筋症」。心臓の筋肉が拡張してぺらぺらに薄くなり、血液を送り出す機能が低下する、原因不明の難病でした。一度罹(かか)ると完治することはなく、患者の約3割が5年以内に亡くなってしまうと言います。自覚症状がなかった私はとても驚きましたが、緊急入院することになり、空いていた個室に移されました。

大川総裁の法話で得たヒント

(「拡張型心筋症」か。この間、大川総裁がこの病気のことを語っておられたな…)

私は幸福の科学に入信して30年ほどになりますが、入院するちょうど3週間くらい前、大川隆法総裁が地元・長野の上田支部に来訪され、私も隣接する諏訪支部からボランティアとして参加し、法話を聴くことができたのです。演題は「奇跡のヒーリングパワー」(※1)。そこで語られた内容を思い出しました。

大体、『心臓移植をしなくてはいけない』と言われているのは、『拡張型心筋症』という病気です。

医者の常識では、『心臓というのは、いったん大きくなったら変わらない』という考えですが、実は心臓も縮めることが可能なのです。

これは医学の常識には反しているのですが、実際に縮むことは間違いありません。信仰心のある人は、実験をしたらよいと思いますが、実際に縮みます。

だから、『縮めよう』と強く念わなければ駄目です。『縮んだほうがよくなるのだ』と心臓に話しかけるわけです。

大川総裁はその日、「『思いの力』で、病気も健康もつくれる」「信仰心が立ち上がると、あらゆる奇跡が起き始める」というお話をされました。

以前、別のご法話のなかで、大川総裁ご自身も、手術なしで大病を乗り越えられたと伺っていたので、「これは大川総裁の実体験から説いておられるのだ」と感じ、非常に印象的でした。

(よし、今日からやってみよう!)

希望を感じた私は、その日から、毎日、自分の心臓に「小さくなれ」と語りかけたり、「動いてくれて本当にありがとう」と感謝したりするようにしました。また妻も、見舞いに来るたび、「小さくなれ」と声をかけてくれたり、幸福の科学の精舎で病気平癒(びょうきへいゆ)のための祈願を受けてくれたりと、私の快復を祈って支えてくれました。

※1:2010年8月11日に、幸福の科学上田支部精舎で行われた支部巡錫説法。『奇跡のガン克服法』 (大川隆法 著 幸福の科学出版刊)の第2章に収録。

自分の生き方を振り返って

入院中、私は、朝晩『仏説・正心法語』(※2)を読み、神仏にお祈りする時間をしっかりとったり、大川総裁の書籍を深く読み込んだりして、とても宗教的な時間を過ごしました。

(そういえば、こんなにゆっくりとお祈りしたのは初めてかもしれないなぁ…)

当時、大手精密機器メーカーに勤務していた私は、病気になる前まで、開発センターのトップとして、重責(じゅうせき)を負って新規事業の立ち上げに心血(しんけつ)を注いでいました。しかし、なかなか事業化のめどは立たず、ストレスは募(つの)るばかり。毎日、夜遅くに帰宅してから夕食をとるため、体重もどんどん増えていきました。

その後、結局、事業化できないままプロジェクトは解散し、私も解任。病気になったのは、そんな矢先のことだったのです。

(ストレスが心臓に来たかなぁ。自分の生き方を考え直すときが来ているのかも…)

※2:幸福の科学の根本経典。般若心経の一万倍以上の光が込められており、三帰誓願者に授与される

「信じること」を心でつかんで

入院から2週間が経ったころ、私は担当医に「通院に切り替えたい」と相談してみました。医師からは「重篤(じゅうとく)な症状」「治らない病気」と言われていましたが、私自身は自覚症状もなく、大川総裁の教えに従っていれば必ず良くなると信じていました。むしろ、これ以上病院で"重病人扱い"され続けると、よけいに悪化しそうな気がしたので、早く退院して、前向きな人生を送りたいと思ったのです。

医師は「こんな病状で退院するなんて、とんでもない!」と反対しましたが、何度も頼み込むうち、しぶしぶ承諾(しょうだく)してくれました。

退院後、私はすぐに仕事に復帰し、休日には妻と共に、各地の幸福の科学の精舎を訪れ、祈願を重ねていきました。

今まで私は、精舎研修に参加して大川総裁の教えを学ぶことは多かったのですが、自分から祈願を受けることはまれでした。しかし、命に関わる病気になって、「祈願で神仏のご加護(かご)をいただきたい」と素直に願う心境に変わっていったのだと思います。

(祈願の結果は御心(みこころ)にゆだねます。もし私に使命があるなら病をお治しください―)

また、祈願を重ねつつ、大川総裁が『超・絶対健康法』 という書籍のなかですすめられている「病気に効くダイエット」に取り組みました。妻の協力で食生活を改善し、約3カ月で10キロの減量に成功。そのように、心身の改善に取り組んでいくうち、ふと、こんな思いが湧きました。

(今まで自分は、こんなに真剣に神仏に祈ったことがあっただろうか…)

思えば、私は信仰を持っていたものの、忙しい職場や日常生活のなかでは、神仏の御心をあまり意識せずに過ごしていたように思います。しかし大病(たいびょう)を患い、大川総裁のお言葉を信じて毎日心臓に語りかけたり、反省行によって物事を悲観的にとらえがちな性格を修正したり、祈願を通して神仏に願いを聞いていただく宗教修行を重ねたりするうち、「信仰って、こういうことなんだ」と、何か心でつかんだ実感がありました。

(30年も教えを学んできたけど、本当の意味で「信じる」ということが分かっていなかったのかもしれない。この病気は、私が「信じる」ことをつかむために神様が与えてくれた機会だったんだ―)

神仏の慈悲(じひ)を感じ、「自分は生かされていたんだ」という喜びが心に満ちていきました。

信じる心に臨んだ転職と病気平癒の奇跡―

"病気のおかげ"で、以前より神仏のご存在を身近に感じながら毎日を送るようになった私に、ある日、思いがけない転機が訪れました。知人の紹介で、韓国の大手精密機器メーカーに、かなりの好条件で転職することになったのです。

(こんな道が拓けるなんて、神仏のご助力のおかげだ。ありがたい…)

韓国企業に転職するに当たり、改めて病院で心臓の検査を受けました。すると―。

「あれ? Mさん、膨らんでいた心臓が、元の大きさに戻ってます。これは一体…」

なんと、元に戻らないはずの心臓が縮んでいることが分かり、担当医も驚いていました。

(本当に、大川総裁が説かれた通りだ!)

喜びと感謝で、胸が一杯になりました。

心臓が元に戻った私は、2年半の韓国勤務の間も健康に過ごすことができました。そして3年前、理事に昇格して日本の現地法人に転勤した後、症状として少し残っていた不整脈をカテーテルで治療。医師から「もう異常ありません」と、太鼓判(たいこばん)を押されて「完治」しました。

病気を通して「信じる心」をつかんだ現在は、人生のすべての出来事のなかに「神仏の愛」を感じられるようになり、感謝と幸福感に満ちた日々を送っています。

今年秋には、大川総裁ご自身が、瀕死の病から「奇跡の復活」を果たされた体験を元にした映画「世界から希望が消えたなら。 」が公開されると聞いています。私も、実際に奇跡をいただいた一人として、多くの方に映画を見ていただき、「信じる力」の素晴らしさを伝えていきたいです。

Mさんは現在、毎週ウォーキングやジムでの筋トレなどで体を鍛えながら、支部の仲間と一緒に、地域に光を広げる活動に励んでいる。

DOCTOR'S COMMENT

ここまで悪化した心機能が回復するのは奇跡です。「拡張型心筋症(DCM)」は進行性の疾患のため、心不全を繰り返しながら悪化していくのが常です。そのため、Mさんのように、一度は入院治療が必要なほど落ちた心機能が、ほぼ完全な状態まで回復するというのは、普通では考えられない奇跡だと思います。ご本人の深い信仰心に脱帽です。

伊皿子坂医院(東京都)
河野克典 院長
(専門:内科、循環器科、小児科、アレルギー科)

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