どん底の私を救ってくれた場所—

ある日、ご主人が病に倒れ、経済的に窮地に立たされたK・Tさん。不安と孤独でボロボロになってしまったTさんを支えてくれたのは・・・。

K・Tさん(50代・兵庫県・たこ焼き屋経営)

月刊「幸福の科学」206号より転載・編集

最愛の夫が倒れて・・・

2013年1月、パートに出ていた私に、お昼ごろ、主人から「調子が悪い」と連絡が入りました。「ゆっくり休んで」と返信したものの、なぜか胸騒ぎが止みません。

19時頃に帰宅してドアを開けると、大きないびきが聞こえてきました。

(いつもと違う・・・!)

慌てて主人に駆け寄り、何度か名前を呼びましたが、反応がありません。救急車で病院へ行くと小脳梗塞と診断され、すぐに手術が始まりました。

(どうか命だけでも・・・) 

祈りながら5時間が経ち、手術が終わりましたが、主人は意識不明のままでした。

1カ月半後、やっと主人が目を覚まし、喜んだのもつかの間、主人は体が動かず、現在と過去の記憶が混在していました。また、手術の後遺症で記憶が定着しづらくなり、新しい出来事を覚えられなくなってしまったのです。

「ご主人の職場復帰は期待できません」

(そんな・・・)

ただただショックで、街で年配の男性が歩いている姿を見ては、「なんで、あの人は元気なの」と怒りを覚えることも・・・。経済的に厳しくなっていたこともあり、私の心は荒んでいく一方でした。

思いがけず起きた仲たがい

ある日、主人が営む建材店をのぞくと、1階が改装されていました。主人は倒れる前に、仕事の片手間で、たこ焼き屋を始めようと準備をしていたらしいのです。

(・・・たこ焼き屋なら、夫が回復した時に一緒に働けるかもしれない)

中学生と高校生の娘たちを育てるために、慣れない商売を始めようと決意。親族も皆、賛成してくれて、慌ただしく開店準備を整えました。ところが—。

それまで良好な関係だった親族に、突然、開店を反対されたのです。

「夫がこんな大変な時に—!」

(え、急にどうして・・・)

お店はなんとかオープンさせましたが、先が見えない不安と孤独感、親族への恐怖心で、心はボロボロでした。

初めて感じた神仏の御光

3カ月後、そんな私を心配して幸福の科学の信者の幼馴染みが連絡をくれました。

「Tちゃん、ちょっと休んだほうがいいよ。1泊2日で大阪に行こう」

「大阪?どこに行くの?」

幼馴染が連れて行ってくれたのは、幸福の科学の研修施設である大阪正心館 でした。当時、私も幸福の科学の信者でしたが、活動はしておらず、幸福の科学に大きな施設があることも知りませんでした。

初めて礼拝堂に足を踏み入れると—。

(温かい・・・)

神仏の御光というのでしょうか。日常とは違う空間で、体が温かいものに包まれていくのを感じました。そして、なぜか涙が溢れて止まりません。

しばらく、礼拝堂で心を落ち着かせていると、不安や恐怖でギュッと小さくなっていた心と体が、ほどけていきました。

(この信仰にすがりたい—)

礼拝堂のエル・カンターレ像※を見上げながら、「主を信じよう」と心の底から思ったのです。

その日は、大阪正心館で静かな時間を過ごし、翌日、いつも私に幸福の科学の月刊誌を届けてくれているT・Kさんに連絡を取り、主人が倒れた後のことを話しました。

Kさんは親身に話を聞いてくださり、私はその日を境に、地元の支部に通うことにしたのです。

※エル・カンターレ像・・・幸福の科学の信仰対象である地球の至高神エル・カンターレを象徴する御本尊。

【支部でお祈り&御法話拝聴】毎日、礼拝室への参拝を習慣に

当時の支部長が、「いつでも支部に来てお祈りしていいですよ」と言ってくださったので、私は毎朝、主人のお見舞いに行った後、支部に寄って参拝してからお店に出勤しました。礼拝室で手を合わせると、心の奥にある悲しみやつらさがワッと噴き出してきますが、同時に、主の御光が心に差し込んでくるのを感じます。

(・・・これで大丈夫)

毎朝5分の祈りは、揺らいだ心を調整するために大切な時間になりました。

Kさんは、毎週火曜日に一緒にお祈りをしてくれて、前の週の出来事を聞いてくれたり、心の面だけでなく、仕事の相談にも乗ってくれたり・・・。また、毎日、大川隆法総裁の経典を読んで、メールで感想を送り合うなど、仏法真理の学びが進むように支えてくれたのです。

私にとって、幸福の科学の教えには、他の宗教にはない「発展の教え」があることが印象的で、学ぶほどに前向きな考え方になっていくのを感じました。

支部の法友(※)の皆さんも、私を温かく受け入れてくれて、大川総裁の御法話を見せてくれたり、主の御光を受ける瞑想を一緒に行ってくれたりしました。こうして信仰生活を続けていくなかで、人間はこの世とあの世を生まれ変わっていて、苦難や困難は魂を磨く砥石であるという「霊的人生観」を学んでいったのです。

(今の苦しみにも、意味があるんだ)

少しずつ新しい視点を得ていきました。

※法友:同じ法を学び、学びについて語り合える仲間のこと。

【支部で法談&反省】法友が教えてくれた反省のコツ

3カ月ほど経ったある日。Kさんが、一冊のノートを買ってきました。

「Tちゃん、心の中に詰まってるつらい気持ちとか、悲しい気持ちを、全部このノートに書き出してみて」

「え!それは絶対に嫌!」

私は、昔読んだ自己啓発本に「悪い言葉を出すと実現する」とあったので、否定的な言葉は言わないようにしていたのです。

「でもね、Tちゃん。溜め込んでいるより、一度、出してみたらいいと思うよ」

私は渋々、ノートを持って帰り、試しに書いてみました。すると、「なんで私だけがこんなひどい目に遭わないといけないの?」「もう全部やめたい」など、あれよあれよという間に、ノート一冊分、びっしりと埋まったのです。

(私、こんなことを思ってたんだ—)

【法友の励ましで自己変革】みるみる変わっていった運命

怒りや妬み、評価を求める心が露(あら)わになって、自己嫌悪に陥りそうになりました。しかし、そんな時もKさんは「嫌な自分もいったん受け止めてから、どうやって自分を変えるのか考えたらいいよ」と前向きに励ましてくれました。

そうしてノートを使った反省を続けていくと、あることに気づきました。

親族はよくできた方ばかりなので、私には「“いい嫁”でいなきゃ」と焦る心があり、外面だけを取り繕って、自分をがんじがらめにしていたのです。

(もう、自分をごまかすのはやめよう)

そして、自分の心の奥にある劣等感や、嫌な部分を「いったん受け入れて見つめる」ということを続けていると、逆に他の人の気持ちも考えられるようになったのです。次第に、開店を反対した親族の感情も理解できるようになりました。

(信ちゃんが倒れて、私と同じようにつらかったんだろうな・・・)

思いを巡らせていると、親族が優しくしてくれたことや、反対しながらもお店に来てくれたことなどが浮かんできます。

(本当は心配してくれてたんだ・・・!)

心から感謝が湧いて、恐怖心が消えました。すると、それに呼応するように、親族との関係も調和し、心を開いて素直に話せるようになったのです。

今度は、私が幸せを届けたい

宗教修行を通して私の心が落ち着いていくと、不思議と、主人もリハビリを頑張り始めました。今では自分で歩けるようになり、記憶も少しずつ定着してきて、お店に顔を出せるようになっています。

お店のほうは、主人の励ましのおかげで、コロナ禍でも順調に続けることができ、地域の交流の場になっています。

主人が倒れてからの経験は、自分を強くするために必要だったと思いますし、「心の幸せ」が何よりも大切だということを教えてくれたと感じています。

もし、この信仰をつかんでいなかったら、私は未だに苦しんでいたことでしょう。私を救ってくださった主エル・カンターレと、いつも支えてくださる法友の皆さんに心から感謝しています。今度は私が、多くの人に主の御光をお届けします。

【法友の声】Tちゃん、よう頑張ったね!|Kさん

Tさんが支部に来るようになったときは、オロオロして弱っていて、「なんとか力になりたい」と思い、できることをさせていただきました。法友が元気になっていく姿を見られて、私もとても幸せです!

Tさんが伝道した方

Tさんは明るくて裏表がなく、いろんな話ができる存在です。私もTさんのように、他の人を幸せにしていきたいです。(E・Kさん)

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