あなたのいのちを守りたい―自殺防止―【体験談】
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高校生のときに同い年の従兄(いとこ)を、社会人になってからは職場の後輩2人を自殺で亡くしたSさん。自らも、職場での嫌がらせに悩み、自殺が頭をよぎる日々を過ごしていました。Sさんが絶望の淵から立ち上がり、自殺防止活動家になるまでの軌跡をお届けします。
ザ・伝道258号 より転載・編集
従兄や同僚の自殺―、
自らも「死にたい」と思う日々
私は1945年、静岡県の小さな町に生まれました。
私が7歳のときに父は結核で亡くなり、母が女手一つで私と妹二人を育ててくれました。
高校3年生のころ、衝撃的な出来事が起こりました。
同い年の従兄(いとこ)が父親を切りつけて重症を負わせた後、自ら命を絶ってしまったのです。
従兄は絵の才能に恵まれた繊細なタイプで、高校卒業後、海外で絵を学ぶことを夢見ていました。
でもその夢を父親から猛反対され、将来を悲観しての行動でした。
(だからって、なぜ……。なぜそこまでしなきゃならないんだ)
私の中に"なぜ"という疑問は消えず、しばらくは胸がかき乱される思いが続いていました。
そしてこの事件以来、ぼんやりと「人は死んだら終わりなんだ」と思うようになっていきました。
高校を卒業した私は、国鉄(日本国有鉄道。現JR)に就職し、神奈川県に引っ越しました。
当時、国鉄では労働組合が経営者側に対し激しい闘争を行っていました。
賃金上げなどを求めて、列車への落書きやストライキが行われ、列車が遅延したり運休することもしばしばでした。
労働組合には、「国労」(国鉄労働組合)や「動労」(国鉄動力車労働組合)といった組織があり、国鉄職員は何かしらの組合に所属するというしきたりがありました。
整備係として働き始めた私は、鉄道機関士に憧れていましたので、機関士が多く所属する「動労」に入りました。
毎日必死に働くなかで、県内での転勤があり、配属先では鉄道の機関助士を拝命。
25歳のころのことでした。
(このまま頑張れば、鉄道機関士の夢が叶うかもしれない。頑張ろう―)
ところが、左耳の難聴のため、鉄道機関士になるための身体検査に通らなかったのです。
私は中学時代に、友達が悪さをした連帯責任で教師から顔を叩かれ、左耳が難聴になっていました。
あと一歩のところで鉄道機関士の夢が絶たれてしまったのです。
(もう頑張っても無駄だ。仕事、やめてしまおう……)
辞表を出そうとしていたとき、職場の上司がこう言葉をかけてくれました。
「S、機関士になることだけが鉄道の仕事じゃない。縁の下の力持ちとして、鉄道の修繕や検査を頑張ってみないか」
上司の説得を受けて思い直し、機関車の検修係として仕事を続けることになりました。
その後、30歳になったとき、上司から紹介された女性と結婚。
2人の娘も誕生し、しばらくは幸せな家庭生活を送っていました。
ところが同じころ、「国労」と「動労」が"仲間割れ"を起こし、「国労」側の組合員から陰湿な嫌がらせを受けるようになったのです。
物を隠されたり、私が扱う整備機器に電流を流され両腕が感電し、うずくまることもありました。
私は何日も続く嫌がらせに次第に気が滅入っていき、どんどん追い詰められていきました。
そんななか、さらなる悲劇に見舞われました。
ある日、借金を抱えていた後輩が睡眠薬を飲んで自殺してしまったのです。
さらに数年後には、職場の同僚が女性問題を苦に自殺……。
二人とも20代でした。
やるせなく、胸が締め付けられる思いがしました。
追い打ちをかけるように、嫌がらせは来る日も来る日も続きました。
(死んだら楽になるかな。……もう、死んでしまおうか―)
自殺への衝動を止めたのは
自殺への欲求がふくらんでいたある夜のことです。
帰宅中、ふと空を見上げると、そこには赤や青にまたたく星がキラキラと輝いていました。
ぼんやりと星を見つめていたとき、ふと、7歳のときに他界した父の顔が浮かび、「S、死ぬな。頑張れ」と、そう言われたような気がしたのです。
(……生きなきゃ、だめだ)
自殺への衝動を思いとどまり、なんとか仕事を続けていきました。
ただ、仕事はきつく、石炭の上げ下ろしをしたり、鉄道修理のため油まみれとなる日々でした。
労働組合の争いも続き職場は荒れていました。
仕事のストレスからイライラが止まらず、私は次第に妻にあたるようになっていったのです。
帰宅すると酒を飲んで妻に怒鳴り散らし、お膳をひっくり返し……。
家庭は冷え切り、妻からは「別れてほしい」と言われ離婚寸前の状態でした。
運命を変えた一書
月日は流れ、50歳になったある日、上司の息子さんから大川隆法総裁の著書『太陽の法』 を献本され、読んでみました。
「私たち人間は、はるかむかしから、永遠の生命をもって生きております。そして、何度も何度も、地上に生まれかわっては、人生修行を積んでいるのです。」
(永遠の生命……肉体がなくなっても、魂は死なないのか!)
「人は死んだら終わり」と思っていた私にとって、「永遠の生命がある」と知ったことは大きな衝撃でした。
父も、そして自殺した従兄も後輩も、どこかで生き続けているように感じました。
もっと教えを学びたくて幸福の科学に入信。
書店で経典『日蓮の霊言』を購入し読んでみると、「人生は一冊の問題集」との言葉が心に残りました。
(どんなに苦しいことも、私に与えられた問題集なのかもしれない)
職場での嫌がらせも、何か大切なことを教えてくれているような気がしました。
そういえば、嫌がらせを受けていた私に、そっと「頑張れよ」と声をかけてくれた先輩もいたことを思い出しました。
(あの一言に、救われた思いがしたなぁ)
苦しい時も、どこかで支えてくれる人がいる―。
身近なところに救いはあり、仏はいつも大いなる愛で私を見守ってくださっていたのだと気づきました。
人生は勉強であり、この世は修行場であると深く感じました。
私は、幸福の科学の支部や拠点に通い、教えを学ぶようになっていきました。
夫婦の関係が修復
そんなある日、幸福の科学の根本経典『仏説・正心法語』の「解脱の言葉『仏説・八正道』」を自宅で読んでいた時のことです。
「まず煩悩の炎を鎮め
執着の思いを除きはじむべし
執着とは
心の中のこだわりなり
貪・瞋・癡の三毒なり
貪とはむさぼりの心なり
瞋とは怒りの心なり
癡とは愚かな心なり」
(「瞋とは怒りの心」……私のことだ!)
仕事のストレスを妻にあたり散らしてきた数々の悪行が思い出されました。
怒りのままに妻に「この野郎!」と暴言を吐いたことや、ご飯をひっくり返したこと……。
(すまないことをした……)
家庭不和の原因は、短気な自分にあったのだと気づかされたのです。
そのとき、重苦しかった肩がスッと軽くなった気がしました。
今思うと憑きもの(※1)が少しばかり剥がれたのかもしれません。
また、幸福の科学で、労働組合について、正当な権利の行使ではなく、単なる闘争のための闘争をやっていると、心が乱れてきて、阿修羅霊に取り憑かれるようになると学びました。
賃金上げなどの権利ばかりを強く主張する組合闘争は会社を傾かせ、悪を生んでいく「奪う愛」の行為なのだと知りました。
組合闘争に参加するうち、私の瞋の心に阿修羅霊が取り憑き、怒りが増幅されていたのだと思います。
(心を入れ替え、短気な自分を変えたい)
妻に今までの行いを土下座して謝りました。
それから、幸福の科学で心を鎮める「数息観(すそくかん)」(※2)という観法を知りました。
カッとなったときは、趣味で通っていた太極拳で培った呼吸法も思い返して呼吸を繰り返し、心を調える努力をしました。
すると怒りがだんだん収まっていったのです。
さらに、妻が食事を作ってくれることなどへの感謝を日々伝えるなかで、少しずつ夫婦関係が修復。
数年後、妻も幸福の科学に入信しました。
※1:憑依…悪霊(天国に還っていない不成仏霊や地獄霊)が取り憑くこと。悪霊憑依を避けるには、マイナスの心を止めて心を調和することと、健康管理を行うことが大切。
※2:数息観…心がよく乱れる人が修する観法。吸う息、吐く息を数えて深呼吸をし、心を鎮めていく方法。
「私は絶対自殺しない」
私が58歳のとき、幸福の科学で「自殺を減らそうキャンペーン」が始まりました。
私は定年退職をした60歳ころから、駅で自殺防止のチラシ配布を行うようになりました。
同じころ、幸福の科学で、自殺すると、原則、天国に上がれないことや、自分が死んだことに気づかず、天国にも地獄にも行けないまま地縛霊となり、何度も自殺を繰り返してしまうという霊的真実を学びました。
自殺しても楽にはなれず、霊となって遺族の悲しむ姿を見ながら、生前の何倍も苦しむことになるというのです。
(自殺すれば大変な苦しみが待っているのか。死ななくてよかった……)
また、人は、だいたいの「人生計画」を立てて生まれてくることも学びました。
両親や国なども自分で選び、「素晴らしい魂修行をしよう、主のお役に立とう」と決意して生まれてくるそうです。
その後は無事に生まれるかも分からないなか、勇気を出して母親のお腹に宿り、あの世での記憶をいったん忘れてゼロから人生修行をスタートするということも学びました。
(自殺は、生まれる前の自分に対しての"反逆行為"だ。
一時でも「死にたい」と思ったことは間違っていたんだ)
そう気づくことができました。
そして毎週、駅前で自殺防止活動を続けました。
自殺を減らそうキャンペーン
幸福の科学では、日本での自殺者が年間3万人を超えていた2003年から、「自殺を減らそうキャンペーン」を全国で展開しています。不幸をなくすため、街頭でのチラシ配布や広告などの取り組みを行ってきました。2020年には「自殺防止相談窓口」を開設し、電話やメールでの相談を受け付けています。
そんなある日、中年女性からこんな言葉を投げかけられたことがありました。
「偽善活動だわ。自分だっていつ自殺するかも分からないじゃないの!」
(何でそんなこと言うんだ。こっちは自殺する人を減らしたくて活動しているのに!)
悔しくて、情けなくて、腹が立ちました。
しかし帰宅後、冷静になって考えてみると、その女性の言葉が、天からの、ある"問いかけ"に聞こえてきたのです。
"あなたは、自殺防止の活動をしているけれど、自分はどうですか。何があっても、自分が本当に「自殺しない」と言い切れるのですか―。"
そのとき、腹の底から、ぐっと強い思いが湧き上がってきたのです。
(……私は、たとえ病気になろうが、体が不自由になろうが、絶対に、自殺しない!)
なぜなら、幸福の科学で、自殺は人生修行の放棄であり、どんな苦しみも魂を成長させてくれると知ったからです。
そして、どこか上っ面の自殺防止活動になっていたことを反省しました。
何を言われても動じない強さを得、「生命ある限り、自殺防止活動をする」という信念が定まりました。
気づきをくれた女性に、そして何より、主エル・カンターレに、感謝があふれました。
「生きてほしい」―。
18年の活動に込める魂の願い
自殺を考えるほど思いつめている方は、なかなか自分からは言い出せないものだと思います。
表立っては分からないですが、自殺防止チラシを受け取ってくださる方がいるということは、この活動を必要としてくれる人がいるということだと思うのです。
幸福の科学で、人間の魂は創造主である主エル・カンターレによって創られたと学んでいます。
肉体は先祖や両親からのいただきものですし、肉体に宿る魂、心も、主からのいただきものです。
自分の生命であって、自分の生命ではない―。
多くの方のご恩によって生かされている大切な生命ですから、自殺してしまえば、いずれ後悔や罪悪感を抱え苦しむことになると思います。
自殺を考えている方がおられたら、「人は死んだら終わりではありません。自殺しても楽になれず、もっと苦しむことになってしまいます」とお伝えしたいです。
また、私は、70歳のときに神奈川県の公園内を走るミニ蒸気機関車の運転士として雇っていただき、「機関士になりたい」という長年の"夢"も叶いました。
毎日とても幸せです。
大川総裁の教えに出合えたこと、主より生命を与えられ、魂修行を許されていることに心から感謝しています。
口幅ったいですが、「一人でも多くの方を救いたい。どうか生きてほしい」。
そんな思いで、18年間、自殺防止活動を続けています。
主への信仰を深め、いつ生命絶えようと、自殺防止活動を続けること。
それが主からいただいた「天命」と思って、これからも生涯現役で活動をしてまいります。
Sさんが、「絶対に自殺しない」と決意できた理由とは
苦しみにも意味があると思えた
Sさんは大川隆法総裁の教えに出合い、「人間には永遠の生命があり、人は転生輪廻をして魂修行をしている」ことや、「人生は一冊の問題集である」ことを学びました。「苦しいことも自分の魂を成長させてくれる材料」とプラスに受け止めることができるようになり、どんな出来事にも意味を見い出せるようになりました。
自殺の霊的真実を知った
経典で、「自殺をしても天国には還れない」ことや、「自殺者は死んだ場所にとどまり、自殺を何度も繰り返して苦しみ続ける」ことを知ったSさん。「人は人生計画を立てて生まれてくる。自殺は人生修行の放棄である」と学び、どんな理由があろうと自殺は悪であることが腑に落ちて、「何があろうと絶対に自殺しない」と決意することができました。
(経典『生命の法』より)
一人で悩まないで、「自殺防止相談窓口」にお電話ください
仏法真理に基づいた心の救済を目指して、2020年5月8日(金)より幸福の科学「自殺防止相談窓口」を開設しています。電話やメールにて相談することができます。
幸福の科学「自殺防止相談窓口」
◇電話番号 03-5573-7707
◇メールアドレス withyou-hs@happy-science.org
◇時間 火曜~土曜[祝日を含む]10:00~18:00
※相談料は無料です。別途、通話料・通信料がかかります。
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