「伝道」とは、仏法真理を学んで幸せになった方が、自らも教えを弘(ひろ)め、幸福な人を増やそうとする愛の行為です。今回は、ご近所づきあいを通して伝道された女性の体験を紹介します。
H・Hさん(兵庫県)
(
月刊「幸福の科学」
374号より転載・編集)
人生変わった!私が伝道された理由(わけ)
今から15年前、私はうつ病を患(わず)らい、肉親を頼って兵庫県に越してきました。そこで、ご近所に挨拶に伺った際にKさんご夫妻と知り合い、言葉を交わすうち、お2人が 幸福の科学 の信者で、教えを勉強していると聞いたのです。
しかし、「私には関係ない」と思いました。というのも、私は他宗の信者の家に生まれ、うつ病になるまで数十年間、そこの信者としてバリバリ活動していたからです。
「私は、他の宗教を信じとるから」
そう告げた後も、お2人は私の病気を気遣(づか)って、毎週、わが家を訪ねてくれました。他愛のない世間話をするだけでしたが、兵庫県にあまり知り合いのいない私にとって、それはとても楽しく、元気をもらえるひとときでした。
そうして1年が経ったころ。ある日、ご主人のKさんが、「幸福の科学の 支部 に行ってみないか」と誘ってきたのです。
間違いを指摘するつもりが…
私は気が進まなかったのですが、実は内心、「いつか幸福の科学の教えの間違いを見つけて『ここがおかしい!』と指摘し、Kさんに”ギャフン”と言わせたい」と思っていたのです。
そこで、Kさんと一緒に支部に行き、『仏陀再誕』という本を入手。自宅に帰って読んでみました。すると……。
「諸々(もろもろ)の比丘(びく)、比丘尼(びくに)たちよ。私の声を憶(おぼ)えているか―」
読み始めると、思いがけず涙があふれてきたのです。間違いを指摘するつもりだった私は、逆に心を惹(ひ)きつけられてしまい、他の本も読んでみることにしました。また、時々、支部に顔を出すようになりました。
「反省」の教えで自己変革
大川隆法総裁の本で、私は「反省」の教えを知りました。反省とは、自分の思いや行いを振り返って、間違っていたら素直に改めていくことです。
私が信仰していた宗教には反省の教えがなく、私は人の欠点をズバズバと指摘する癖があったのです。相手と口論になることもしばしばでした。
(私は言葉で人を傷つけてきたんだ。申し訳なかった……)
それに気づいてから、毎晩、その日自分が発した言葉を点検して、「言い過ぎたな」と思ったら、その人に電話をかけて謝るようにしました。また、悩みが解けないときは、いつもKさんご夫妻が相談に乗ってくれて、私を励(はげ)ましてくれました。
そうするうちに、私は気持ちが安らいでくるのを感じました。キツイ言葉が減り、周囲の方から「優しくなった」と褒(ほ)められることも。そして、気がつくと、うつ病の症状もすっかり治っていたのです。
私を幸福の科学に導いてくれたKさんご夫妻に、心から感謝しています。
Hさんが笑顔になって、ホッとしています
お会いした当初、Hさんは他宗の信仰を持っておられたので、いきなり幸福の科学の教えを伝えるよりも、「まずは、信頼関係を深めよう」と思いました。そして、Hさんが幸福の科学に少し興味を持たれたころに、教えを伝えていったんです。今、Hさんはすっかり元気になり、支部で皆を迎えてくれる”お母ちゃん”的存在です。
(伝道した人、Kさん)
信じられる世界へ
『伝道の法』 (大川隆法 著/幸福の科学出版)第6章 信じられる世界へ/4「信じ切る」という最終点を目指せ
最も尊い愛は「真理を伝える」という愛
確かに、世界には飢えている人がいるでしょう。病気で苦しんでいる人もいれば、さまざまな苦労のなかにいる人もいるわけです。
しかしながら、そうした苦労や苦難、逆境があるから、神がいないということではありません。そのような苦難のなかを、多くの人々が生きているからこそ、神は必要なのです。
そして、神は実在します。どうか、もう一度、初心に戻って、信じるところから始めてください。スタート点は、「信じる」ことです。そして、最終点は、「信じ切る」ことです。信じるところから始まって、信じ切るところが、あなたがたの最終点になります。
あなたがた一人びとりに、光が与えられています。私から受けた光は、あなたがたに必ず点火されているのです。その松明を頼りに、闇夜のなかを、ただひたすらに行進してください。全世界の闇夜を照らし切るまで、あなたがたの仕事に終わりは来ないのです。
この日、このとき、この夜に聴いた言葉を、どうか忘れないでください。私は、今しばらく、あなたがたと共に、この地上にあり、この地上を照らし、法輪を転ぜんとする者でありますが、わが説く法は、五百年たっても、千年たっても、二千年たっても、三千年たっても、滅びてはならない「永遠の法」であるのです。
どうか、この「永遠の法」を聴いた者として、その誇りを胸に刻み、日々の生活を切り拓いていってほしいと思います。そして、みなさんが理解した真理を、どうか周りにいる人たちへ、手の届く人たちへ、声の届く人たちへ伝えてください。伝え切ってください。それが、「愛」なのです。
人々に対する愛として、いちばん尊いものは、「真理を伝える」という愛です。真理を伝えることが、最も尊い愛であるのです。