宏洋氏と(株)幻冬舎の虚偽を明らかにする 『神になりたかった男 回想の父・大川隆法』宏洋著(幻冬舎刊)に対する 幸福の科学グループ見解

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はじめに―宏洋氏並び幻冬舎の「信教の自由」への侵害と発刊に至る経緯

主なる神に弓を引いた男たち

詳しくは、新刊『主なる神に弓を引いた男たち 』をご参照ください。

2023年9月28日、宏洋氏は自著『神になりたかった男 回想の父・大川隆法』のなかで、大川隆法総裁やその説かれる教義、ご家族、教団運営の実際について、300カ所以上に上る虚偽や誹謗中傷を公表しました。

幻冬舎に対しては、発刊に先立つ2023年8月31日、教団弁護士名義の申入書を発送し、大川隆法総裁は、「幸福の科学」教団の教祖にして「御本尊」であり、幸福の科学の数多くの信者の「信仰の対象」であり、裁判所にも、「大川総裁の全人格に対する社会的評価は、幸福の科学の社会的評価に大きく影響するものである」と認められていることや、宏洋氏は、幸福の科学側を原告とする名誉毀損裁判で、合計12か所の名誉毀損により、合計671万円もの損害賠償が認められており、その発言に多くの虚偽が含まれていることが、判決により繰り返し明らかにされている人物であることを注意喚起いたしました。

また、その中では、宏洋氏著の書籍を発刊するにあたっては、相応の裏付け取材と内容の検証が必要のはずであることや、幻冬舎が十分な裏付け取材を行うことなく、宏洋氏が一方的に記載した虚偽事実に基づき、幸福の科学の「信仰の対象」である大川総裁と幸福の科学を誹謗中傷する記述が存する書籍を発刊し、大川総裁と幸福の科学の社会的評価を低下させたような場合には、同社は著者である宏洋氏と連帯して法的責任を負うことになりかねないと同時に、このような誤った情報の流布は多くの信仰者の心を傷つけるものでもあることを指摘いたしました。

その後、幻冬舎は大川総裁のイラストを用いた表紙を公開しPRを始めたため、当教団は出版差止めの仮処分命令申立てを行いました。しかし幻冬舎は、あえて発売時期を遅らせ表紙を差し替えることで、内容を変更せず発売を強行しました。

こうした申し入れを無視して、今回、幻冬舎が宏洋氏著の書籍を発刊したことは、出版社としての道義に反する行為です。ここでは、その主要な誹謗中傷を取り上げ、宗教的真理の観点から、その過ちを正します。

「自己愛が強くて傲慢」な人間として成長したという虚偽

本書では、大川総裁が「傷つきやすい」、「卑屈」で「いじけた青年」だったとし、その性格のまま、「自己愛が強くて傲慢」な人間として成長したかのように記述されていますが、全く事実に反します。大川総裁が青春期の苦悩を経験されたのは事実ですが、こうした蹉跌は、青年期の深い自己省察を経て完全に昇華されています。書籍『大川隆法初期重要講演集 ベストセレクション②』や自伝的小説である「鏡川竜二シリーズ」の『小説 永遠の京都』などで明かされている通り、大川総裁は、挫折経験のなかで、自らの心を、火を通し、水を通して鍛えられた鋼鉄のように高めていかれました。こうした経験は、「平凡からの出発」や「常勝思考」(成功からも失敗からも教訓を学びとり、人びとを導いていける人間へと成長していくための方法論)などの教えとして結実しています。当時経験された精神的葛藤は、人の心に届く「情」のある宗教である、幸福の科学を生み出すための跳躍台だったに過ぎません。

旧版『太陽の法』の自伝的部分に対する邪推

宏洋氏は旧版『太陽の法』の自伝的部分が大幅に書き換えられていることを、挫折などの「事実を隠すようになった」などとしています。しかし、旧版は、立宗前でまだ1名も会員がいなかった、退社直後の準備期間に書き下ろされたものであり、ご自身のエピソードについても、かなり謙遜されて語られていたということが真実です。

新版の改訂は、そのまえがきで記されている通り、「この国のジャーナリストや宗教学者には、謙譲の美徳が理解できないようなので、飾らずに率直に書いてみた」にすぎません。また、青春期の出来事は、書籍『青春マネジメント』『知的青春のすすめ』や会内経典『若き日のエル・カンターレ』、「鏡川竜二シリーズ」の『小説 竹の子の時代』『小説 若竹の時代』『小説 永遠の京都』『小説 内面への道』『小説 遥かなる異邦人』『小説 とっちめてやらなくちゃ』などを通じて詳細に書籍で公開されています。

宏洋氏は、このような新しい書籍を きちんと読みもせず、大川総裁の謙譲の美徳を理解せず、新版のまえがきを無視し、旧版の記述を邪推して、「友達がいなかった」「大学生活は悲惨だった」などといった表現で、大川総裁を意図的に貶めようとしています。

「内気で暗い性格だった」「人間嫌い」という虚偽

宏洋氏は大川総裁の少年期・青年期について「内気で暗い性格だった」「人間嫌い」などとしていますが、全く事実と異なります。書籍『夢は叶う』や青少年期を描いた「鏡川竜二シリーズ」の『小説 若竹の時代』にも記されている通り、大川総裁は中学時代には生徒会長を務め、テニス部でもキャプテンでした。書籍『世界に羽ばたく大鷲を目指して』にも記されている通り、徳島城南高校時代は、剣道部で活躍しつつ、高1年生時の文化祭では、女装で『シンデレラ』を主演し、高2生時は木下順二の戯曲『おんにょろ』の超野人の主役を演じ、多くの演劇部の女子が“追いかけ”を始めたといいます。このように、大川総裁は青少年期から最優秀の成績を維持しながら、明るく快活な性格でした。人を喜ばせ、多くの人々から信頼を寄せられる徳望ある人物だったというのが事実です。また、本書では、大川総裁が実兄への劣等感を抱えて育ったとしていますが、そのような事実はありません。

「兄への劣等感は、浪人中にさらに膨らんだ」などあり得ない

宏洋氏は本書のなかで、「兄への劣等感は、浪人中にさらに膨らんだ」などとしていますが、ここで宏洋氏は、実は自分が大川総裁の兄弟関係について全く知らないことを露呈しています。大川総裁の兄は、当時、京大の哲学科に通っていましたが、夏目漱石のいう高等遊民風に生きていくつもりで、結局30才近くまで大学生をしていました。そのような兄に対して、さらに劣等感が膨らむことなどあり得ません。

東大に助手として残ろうとしたが、成績が悪かったという虚偽

東大法学部生時代についても、宏洋氏は、「助手として残ろうとしたが、成績が悪かった」、「超一流企業への就職にも失敗」などとしていますが、全く事実に反します。大川総裁が助手を断念したのは、友人が同じ教授のもとで「助手」に本心ではなりたがっているのを知って、身を引くことにしたためです。また、大学時代の成績も、当時の東大法学部生の平均として「優」が2個半のところ、20個以上ありました(「鏡川竜二シリーズ」『小説 内面への道』や会内経典『「小説 内面への道」余話』より)。当時、受験者の8分の1程度しか合格しなかった司法試験の短答式についても、9割正答して一回で合格しています(2022年4月6日の大川隆法総裁先生との鼎談や「鏡川竜二シリーズ」『小説 遥かなる異邦人』より)。また、就職に際しても「ある総合商社の人事担当者から「『三顧の礼』をもって迎えるから是非とも当社に」と懇願され、東大の先輩で、スタンフォード大学でMBAをとった常務から、「ウチに来てくれませんか」と頭を下げられて、男の心意気で、入社を決めました」(『太陽の法』より)というのが偽らざる真実です。

会社勤めが嫌だったという虚偽

本書で宏洋氏は、商社マン時代の大川総裁について、「サラリーマンとして過ごした数年間がいかに辛かったか、繰り返し聞かされた」、「会社勤めが嫌で嫌でしょうがなかった」などとしていますが、これも全く事実に反します。商社の同僚や寮の寮母の方々は、宗教活動開始のための退社独立を知った際、「人の十倍、仕事をして、人の十倍、利益を出して、会社に貢献して、まだこんな仕事までしていたとは」という趣旨のことを言ったといいます。商社マン時代から、将来を期して、全身全霊で仕事に打ち込んでおられたというのが真実です。また、入社約1年でニューヨーク本社の研修生に抜擢され、さらにその1年後、先例のない実績が評価され、「研修生からニューヨーク駐在員に切り換えたいのだが」と異例の打診をされたこと自体、大川総裁の熱意ある仕事ぶりを証明しています。

「GLAから強い影響を受けている」という虚偽

宏洋氏は、大川総裁が「GLAから強い影響を受けている」としていますが、そのようなことは全くありません。旧版『太陽の法』にGLA教団の高橋信次氏が登場するのは、当時の幸福の科学に同教団の出身信者が多くおり、高橋氏のことを話して欲しいという彼らの要望に応えたまでです。父親である善川顧問自身、高橋信次氏が徳島に来た際、講演会と霊道実験をやったのを見て、「サクラだろう」と懐疑的でした(『宗教学から観た「幸福の科学」学・入門』『小説 若竹の時代』より)。

霊的に見ると、「生前の高橋信次を指導し、釈尊の真似をしていたのは、アーラーラ・カーラーマという仙人」で、「GLAは、仏陀教団の真似をした「偽装した仙人教団」であったことははっきりしています」(『宗教選択の時代』より)。大川総裁は、高橋信次の著作を読んではいましたが、釈迦の再来を自称していた割には、仏教哲学の思想性が皆無に近いことが気になったという程度です。

教団設立の経緯にかかわる虚偽

本書で宏洋氏は、大川総裁による幸福の科学設立は、失恋の相手を見返すためだったとしていますが、完全な事実誤認であり、全くの作り話です。

幸福の科学設立は、大川総裁の天命であり、霊天上界からの高級霊の霊示によって始まりました。「当会の教えは、もともと、『イイシラセ』という言葉から始まりました。1981年3月23日に、私が、天上界から、『イイシラセ』『イイシラセ』という言葉を自動書記で受けたところから始まっているのです」(『宗教としての包容力』より)とあるように、霊界からの啓示なくして宗教は始まりません。この基本中の基本を外してしまっている宏洋氏に、大川隆法総裁や幸福の科学について語る資格がないのは明らかです。

失恋が人生に大きな影を落としたのは宏洋氏のほう

宏洋氏は本書において、失恋によって、「会社にいる最後の理由が消えた」、失恋が「人生に大きな影を落とした」、「政治家になり、日本国総理大臣になれば、自分をあっさりフッた彼女たちを見返せるかもしれない」など、大川総裁の人生の節々で「失恋」が影響を与えているという“失恋史観”を振り回していますが、これは、宏洋氏自身が多くの失恋と離婚で、その都度、精神的に疲弊してボロボロになってきたことを言っているにすぎないのではないでしょうか。

神聖なる霊言を貶める宏洋氏

本書の中で「大川総裁が失恋してから霊言が下りてきた」「僕にはいっこうに霊は降りてきてくれない」などと霊言を貶めています。

そもそも、霊言とは失恋したらできるようになるものではなく、自分自身の自我や、思い込み、刷り込みが入らないように、絶えざる精神修行を必要とします。大川総裁は最高の霊能者であり、その霊言は本物です。大川総裁の降ろす霊言は、霊界の存在証明であるのみならず、人間は死後も個性ある霊としてあの世で存在し続けるという真実を教えていることを明らかにしています。本物の霊言ができず、信仰を失った宏洋氏が勝手に誹謗中傷することは許されないことです。宏洋氏のように、信仰心が薄く、教学もせず、社会的教養もないような人物に高級霊が下りるわけはなく、自身の霊言がインチキであることを自らが露呈しています。

乗せられ、建設会社を辞めたというウソ

また、「まんまと隆法に乗せられ」、建設会社を「辞めてニュースター・プロダクションの社長の座に収まった」というのも事実に反します。事実としては、宏洋氏は「このまま建設会社にいても、地方に飛ばされる」などといった愚痴を言い続け、辞めたいとごねているのを見かねて、大川総裁の温情で芸能部門に配属されたにすぎません。また、芸能の仕事については、自分のほうからやりたいと言ってきていました。本書で宏洋氏は「映画事業をやらせて客寄せパンダにするくらいの価値はあると思っていたのかもしれない」などとしていますが、そのような事実は全くありません。

裁判で否定されている学歴信仰に関する発言を繰り返す宏洋氏

本書では、大川総裁が「宏洋は麻布高校から東大法学部に入らなければいけない」と述べていて、「東大・早慶以外は大学じゃないという立場」であったなどとしていますが、このような事実はありません。

この点について、宏洋氏と文藝春秋社を相手とする裁判の地裁判決でも、大川総裁が「そのような教育方針をとっていたという記載と(客観的事実が)整合しない」と認定され、完全に否定されています。

また、大川総裁は御法話『苦しみの世界』のなかで、他大学も公平に評価されています。また、むしろ東京大学では、実社会で必要とされていることを教えておらず、商社などの実力主義社会では、必ずしも成功するとは限らないとも語っておられます。宗教的には、謙虚さや地道な修行に耐える雑巾がけ根性や、人が感動して涙を流し、信仰に入るような言葉を使えなくてはならず、情緒など、受験とは別の種類の実力を必要とするとも指摘されています。

宏洋氏が正式に後継者だったことは一度もない

本書で宏洋氏は、自身がさも後継者であったかのように述べていますが、これも事実に反します。宏洋氏が、正式に当教団の後継者であったことは一度もありません。

裁判で虚偽だと判定された「結婚強制」を再び持ち出す悪質さ

宏洋氏は、本書の中で「結婚させられそうになった」などとしていますが、この“結婚強制”について東京地裁は、「真実であると認めることはできない」とし、宏洋氏と文藝春秋社の共同不法行為であるとして、330万円の損害賠償を命じています(東京地裁令和5年5月24日判決)。

このように地裁で判決が出ているにもかかわらず、さも真実であるかのように同じ虚偽を持ち出してくるところに、明白なウソでも100回繰り返せば事実になるとうそぶいたナチス政権にも通じる宏洋氏の悪質さがあります。また、このような虚偽まみれの人物を持ち上げ、300カ所にも上る虚偽・誹謗中傷に満ちた書籍を出版した幻冬舎も共同不法行為責任を免れ得ません。

「オンラインサロン」そっくりという虚偽

本書中、宏洋氏は、1986年の幸福の科学発足当初、「『学習会』とか『学習の場』という位置づけ」であり、「知的に背伸びしたい会員があつまって」開く「『オンラインサロン』にそっくり」「宗教っぽくないところが新しかった」などとしていますが、これも虚偽です。

幸福の科学が発足当初の3年間を「人生の大学院」として学習に重きを置いたのは、1987年の幸福の科学発足記念第1回講演会『幸福の原理』において、大川総裁が「探究・学習・伝道の順」を重視され、「まず最初の2、3年の間に、仏法真理の知識を、ある程度体得して、人々に法を説ける人をつくりたい」「小乗あってこその大乗」と語られているように、「講師の養成」、「伝道の核になる人の養成」を進めるためでした(『幸福の科学・十大原理(上巻)』第一章より)。

それは、将来の全国伝道、海外伝道を見据えた基礎づくりのためであり、当初から、人類幸福化運動として純粋な使命感をもとに集っていた宗教的な団体だったことは明らかです。

宏洋氏は幸福の科学の信者について「大川隆法ファンクラブみたいなもの」「行き場のない承認欲求を抱えている主婦」などと揶揄していますが、一時期でも籍を置いたものとして恥ずかしくないのでしょうか。

考えることをやめなさいという曲解

本書のなかで宏洋氏は、考えることをやめなさいというメッセージが幸福の科学の教えの根底にあり、信者は「思考停止して生きられる」としていますが、これは、その前提部分を無視し一部を切り取った悪質な曲解であり印象操作です。

幸福の科学の基本教義は、「正しき心の探究」であり、「探究する」ということは「自ら考える」ことに他なりません。反省法の一つである「八正道」においても「正思」の項目があり反省を通じて智慧を得るには正しく考える必要があります。自らの不幸や苦しみの原因を自ら探究し、その原因を自己の思いと行動の過ちのなかに探り当て、自ら修正していくことが信者の日々の務めであり、「シンカブルマン:Thinkable Man(考える人)」になることが勧められています(『政治哲学の原点』より)。

また、宏洋氏は、大川総裁について「反省できない」「足ることを知らなかった」などと本書で虚偽を繰り返していますが、反省できなかったのは、信仰や教えを理解できない宏洋氏であったことは明らかです。

教義に関する誹謗中傷

宏洋氏は、幸福の科学の教義にある多次元世界の構造について、「メジャー宗教とSFとオカルトをミキサーで混ぜて発酵させたよう」「誰も理解なんてしていないと思う」などとし、さらに「七次元世界は……なんだっけ、忘れた。歴史上の偉人がいるんだったかな?」と全く理解できていないことを自ら露呈しています。

しかし、幸福の科学の基本教義は、「正しき心の探究」と「四正道(愛・知・反省・発展)」という分かり易い教えであり、基本書『太陽の法』では、愛の段階、悟りの構造についても、「愛の発展段階説」で架橋される形で、現代人に分かり易く説かれています。

宏洋氏は「幸福の科学が信者を増やせた理由のひとつは隆法の「東大法学部卒」という肩書にあったと考えている」などとしていますが、ここに宏洋氏の学歴コンプレックスが垣間見えます。

「金集め」が目的で宗教化したという虚偽

本書で宏洋氏は、大川総裁が商社財務部で「金の貯め方を学んだ」「お金への志向は、宗教へのこだわり以上に強かった」などとしていますが、そのような事実はなく、世界を代表する宗教家に対する侮辱です。

そして、大川総裁が商社時代に財務部で担当していたのは、外国為替と全社的な資金計画であり、「金の貯め方」ではありません。宏洋氏は、当時の総合商社の財務部門は金融の世界のトップランナーで、優秀な人材が集まっていたことを知らず、そもそも財務部門の仕事への無知が表れています。

宗教の布施は、神仏に対する感謝と報恩の心でもって捧げられるのが本来のあり方です。神仏やその代理人としての存在に対する感謝の心、真心の表れであるとともに、信者としては一つの修行と位置づけられるものです。

宏洋氏は「教団へのお布施は税務上の寄付扱いになるので、節税にもなる」とし、まるで経営者が節税目的でお布施をしているかのように事実に反することを述べていますが、信仰心の侮辱以外の何物でもありません。

また、お布施が税務上の寄付扱いにならず、節税にはならないという事実を知らずに述べている点、余りにも無知です。

聖なる宗教儀式の尊さを穢す宏洋氏

宏洋氏は祈願についても「紙っぺらを導師と呼ばれる職員さんが読み上げて、場合によっては簡単な儀式もやる」などとしていますが、祈願文は神仏より地上に降ろされた聖なる経文です。また、祈願は神仏の光をいただき、聖なる霊域で行われる厳かな宗教儀式であり、その尊さを穢すことは到底許されないことです。

袈裟や時計などに関する悪質な虚偽

大川総裁が行事の際に身に着ける袈裟などについて、一回しか使わないものにお布施を無駄に浪費しているなどと批判していますが、全く事実に反します。

大川総裁が身に着ける袈裟などは何回も使用していますし、使われている装飾は主にビーズや人工石などガラス製のもので、決して高価なものではありません。また宏洋氏は「スーツは特注だ」としていますが、これも事実ではなく、一回しか使わないということもありません。

また、スーツやジャケットについても、年間30着程度を組み合わせることで、年200回から300回程度の説法に対して、同じ衣装を何度も着ているように見えないよう工夫されています。

こうした、教団内の基本的な常識すら知らないということは、教団職員当時の宏洋氏が、いかに大川総裁との関わりが薄かったかを示すものです。

大川総裁のテレビ出演に関する虚偽

宏洋氏は、「1991年に『サンデープロジェクト』(テレビ朝日)でジャーナリストの田原総一朗さん(以下「田原氏」という)と対談をしたんだけれど、これがひどかった。」としていますが、全くの虚偽というほかありません。

事実はその反対であって、大川総裁の自在な切り返しは見事だったというのが当時の評判でした。ちなみに同番組では、田原氏の希望で行われ、生放送中に視聴率が上がってきたため、「後の企画を潰してもよいので続けてください」との要望で大川総裁は最後まで出演し続けることになり、大川総裁の出演場面で、17.6パーセントと、当時の「サンデープロジェクト」としては過去最高の視聴率でした。

「アクティブな信者は1万3千人」という虚偽

信者数についても宏洋氏は、前著とまったく同じ虚偽を平然と述べています。2017年には東京ドームの大講演会を、参加者5万人、全世界3500箇所同時中継で行っているにもかかわらず、当時の幸福の科学のYouTubeチャンネル登録者数を根拠に、「信者の実数は1万3千人しかいない」などとしています。教団収入や財政事情についても当教団の実態と全く異なる発言をしています。

幸福の科学の信者数は年々着実に増え続けています。公益財団法人庭野平和財団が「世論調査:日本人の宗教団体への関与・認知・評価の20年」として、2019年に日本人の宗教観調査の実施結果を公表した中で、新宗教の中では、幸福の科学のみがここ20年で知名度を上げている、とする結果も出ており、発展し続ける当教団の状況が第三者機関の調査でも明らかになっています。

自分が総理大臣になるための政治進出という虚偽

宏洋氏は、幸福の科学の政治進出について、大川総裁が「総理大臣になって日本を動かす」ためとしていますが、このような発言をされたことはありません。

宗教家として全人類救済を目指しておられる大川総裁が、この世の権力や地位を望むことなどありえません。

また、幸福実現党は、「神仏の存在を認め、正しい仏法真理を信じる人々の力を結集して、地上に現実的ユートピアを建設する運動を起こす」ために設立されたことは、当初から明言されていますし、「宗教活動が届かない範囲までも、具体的に人々の幸福を実現していくため」であると語られています。

数百億円の赤字を出しているという虚偽

宏洋氏は幸福の科学が、「近年は、多いと数百億円単位の赤字をだしていたはず」などとしていますが、これも前述の文藝春秋社から出版した著作で、裁判所の認定が最高裁で確定した虚偽のなかの一つです。最高裁で負けても平然と同じ虚偽を述べるという違法行為を繰り返す宏洋氏は、遵法精神に欠けている人物と言わざるを得ません。

間違いだらけの組織図

宏洋氏は、当教団の組織図を掲載しておりますが、多数の間違いがあり、実際の組織とは全く違うものです。

また、宏洋氏は、大学を出た妹について、「その後教団の副理事長兼総裁理事長に就任した」としていますが、当教団には、副理事長兼総裁理事長なる役職は存在しません。いい加減な記憶で、勝手に間違った組織図の掲載や存在しない役職を記載することは、宏洋氏の他の記述もいかに間違いだらけのものであるかを示す証左です。

家族の過去世が変えられているという虚偽

本書では、家族の「過去世を妖怪に変えられてしまった」などとしていますが、そのような事実はありません。妖怪「お多福」は、天照大神の恐怖の変化身がそうなる場合があるというもので、宏洋氏が言う「設定変更」ではありません。

また、大川紫央総裁補佐が、子息に「悪魔の血が半分入っている」などと言っているという事実はなく、全くの作り話です。

重要な情報が偽装されているという虚偽

宏洋氏は、大川総裁の周囲の人々が信者数などの重要情報を偽装しているかのように述べていますが、全く事実に反します。大川総裁には毎月の伝道数や信者実数などが正確に報告されており、宏洋氏が言う「重要な情報を偽装」することはありません。

また、大川総裁が決めたノルマがトップダウン式に全国にある支部に下りてくるというような事実もありません。

手術していないのに、「手術に成功して一命をとりとめた」とする虚偽

宏洋氏は、大川総裁が「心不全」等で入院された際(2004年)のことについて、「手術に成功して一命をとりとめた」としていますが、全く事実ではありません。当時、大川総裁は、手術を受けることなく回復されています。ここにも、宏洋氏がいかに大川家で起きていることの真実を知らず、虚偽ばかりを述べていることの証左があります。

哀れで孤独な老人という虚偽

宏洋氏は、大川総裁が「人間を信用できない」性格で、幹部を「どんどん切り捨てていった」などとしていますが、そのような事実はありません。また、「哀れで孤独な老人」などとしていますが、全くのいいかがりです。

大川総裁は子息にも、親として、してやれることを最大限されましたが、その本来の使命は、やはり世界の人々に、救世の言葉を残し続けることであり、その公的使命を果たし続ける大川総裁に対する教団信者の信仰心は一層揺るぎないものになっています。

一方の宏洋氏は、育てて頂いた感謝の気持ちもなく、遺産相続のみを求める親不孝ぶりです。

「人は神にはなれない」という宗教的無知

宏洋氏は本書の最後で「人は神にはなれないらしい」と締め括っていますが、これは「人間の本質には神仏と同質のものが内蔵されているため、修行をしていったときには人間は神と一体になっていくことができる。神仏そのものに人間が変わっていくことができる」という考え方を持つ、仏教をはじめとした「神人合一型宗教」全てに対する否定です。

大川総裁はイエス・キリストやモーゼ、孔子らの救世主を地上に送り出した地球神であり、人類史上最高の悟りを開いた覚者、大救世主です。その人生は、すべて全人類に捧げられており、今後数千年にわたって人類が手本とする究極の理想像です。世界の人々が地球神エル・カンターレとして全身全霊で祈りを捧げる「信仰の対象」に対して、「自己愛が強くて傲慢」「人は神にはなれない」などという全く誤ったレッテルを貼ることは、無知に基づく侮辱であるとともに、尊い信仰を傷つける許しがたい行為です。

宏洋氏の虚偽を鵜呑みにする小川寛大氏の罪

巻末の解説を執筆している宗教ジャーナリストの小川寛大氏は、「卑屈で、いじけた青年」だというのが、大川総裁の「本質だった」などと、宏洋氏の虚偽・誹謗中傷を鵜吞みにしていますが、前提となる事実の確認を怠っている点で、失格です。いいわけの様に、小川氏は、教祖の素顔は「容易にうかがい知ることができない」とし、宏洋氏の虚偽を「極めて貴重な記録」などと持ち上げていますが、これでは、かつてオウム・麻原に騙された宗教評論家と同じ失敗を繰り返していると言わざるを得ないでしょう。

その宗教の本質は、その信者たちに結実します。「麻原彰晃ほど大それたことができず、幸福の科学もどこか半端な形で残ってしまった」という論評は、世界169カ国に広がっている幸福の科学に相応しいものなのか。"宗教ジャーナリスト"としての資質を疑われるような文章だと言わざるを得ません。

憲法では「言論の自由」が保障されていますが、間違った言論で多くの人を不幸に陥れ、間違った結果に導いていくようなものであれば、当然ながらその責任は著者のみならず、編集者や本書を発刊した出版社のトップにも生じます。幻冬舎代表取締役の見城徹氏は、これを機に、出版人が本来果たすべき社会的使命について真摯に思いを巡らせ、本道に立ち返るべきではないでしょうか。

幸福の科学グループ広報局

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