阪神・淡路大震災から22年。被災地支援をふり返って

1995年1月17日に兵庫県南部を襲った阪神・淡路大震災。当時、幸福の科学は「神戸を救え」を合言葉に、迅速かつ大規模な支援活動を行いました。被災地の35カ所に拠点を作り、水、食料、トイレットペーパー、生理用品などの生活必需品を配給したほか、1日3万食に相当する炊き出しを実施。また、1月26日には仮設浴場を設置しました。

阪神大震災HS救援活動(救援センター)画像

〈被災地の拠点の様子〉

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〈1日3万食に相当する炊き出しを実施〉

被災地救援に向かった信者によるボランティアは延べ2万人。全国の医療関係者による医療チームも編成され、被災者の診察にあたりました。こうした、地域のニーズにきめ細かく対応した幸福の科学の活動に対し、被災地の連合自治会からは感謝状が贈られました。

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〈医療関係者のボランティアによる診察の様子〉

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〈被災地の連合自治会から贈られた感謝状〉

第一に迅速な初動対応、第二に現地のニーズに応えた物資

21世紀に入り、東日本大震災や熊本地震など、日本は断続的に大規模災害に見舞われていますが、被災地での救援活動の原型の一つが、阪神・淡路大震災における救援活動です。

幸福の科学では、まず、全国に救援物資を呼びかけ、善意はすべて受け入れた上で、それらを各支部(救援活動の基地)で保管。支部前で物資の配給を行い、被害の激しい地域にはテントを張り炊き出しを行いました。第二陣以降の救援物資を送る際には、現地のニーズを本部に報告し、トイレットペーパーや生理用品といった必需品が加えられました。

今、必要なものを現地に届けるための正確な情報収集に加え、物流の確保と全国からの圧倒的な人員投入により、効果を上げることができた幸福の科学の救援活動。さらに特筆すべきは、被災者自身がボランティアに回っていたということ。

「どんな立場にあっても愛を与える側に立つ」という 「与える愛」の教え を実践し、家を失い、家族を失った方が、自分のことは後回しで救援活動に参加していました(詳しくはこちらの記事「 阪神・淡路大震災被災者からの勇気のメッセージ 」をお読みください)。人を助けたい、困った人は放ってはおけないという純粋な宗教心が、献身的な活動を支えていたのです。

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