父親の暴力、家庭崩壊…幼少時の心の傷を癒した、幸福の科学の信仰【幸福の科学 信者体験記】

(最終更新:

幼少時の暴力 憎んでいた父を許せた奇跡

父親の暴力が原因で家庭は崩壊し、たった1人の弟とも生き別れに。幼少時のつらい思いや、自分の境遇へのやり切れない思い、父親を恨む苦しみを、いかに手放すことができたのでしょうか。家庭内暴力を受けて育った女性の体験談とともに、人生のヒントをお届けします。

(H.Tさん/女性/北海道/「ザ・伝道」第200号より転載・編集)

家庭内暴力の苦しみが癒されるまで 家庭内暴力の苦しみが癒されるまで

漬物で飢えをしのいだ中学校時代

中学校2年生の春のことです。私たち家族は、札幌市清田区のアパートを出て、市内北区に引っ越しました。調理師の父が、仕事を転々としたのち、北区のほうで居酒屋を始めることになったのです。母は、私が3歳のころ、父と離婚して家を出ていったので、家族といっても父と2つ下の弟と私の3人です。引っ越し先の狭いアパートには、風呂も電話もありません。転校後、担任からクラスの電話連絡網を渡されると、私の番号のところだけが空欄で、恥ずかしくてたまりませんでした。
父とは、ほとんど言葉を交わすことはありませんでした。ろくに食費ももらえず、おかずはいつもキュウリの漬物だけ。幸い学校で給食が出たので、私たち姉弟は、それだけを楽しみに毎日学校に通いました。
「ねえちゃん、どうやったら”アイツ”と離れられる?」
「こんな貧乏な家、私もお金さえあったら、すぐに出ていきたい」
幼いころから父の暴力に怯えながら育った私たちは、父を”アイツ”と呼んで、いつも2人で家を出る相談ばかりしていました。
ある日のこと。年頃の弟が、髪の毛を少しだけ茶色く染めてきました。それを見た父は激怒し、すぐにバリカンを買ってきて、有無を言わせず、弟の髪の毛を全部剃り落としたのです。弟の頭には、何カ所も父に殴られたときの傷があり、髪の毛が生えなくなっていました。バリカンで丸坊主にされたらその傷も丸見えです。父になされるがまま、悔しそうにうつむく弟の両眼から、ポロポロ、ポロポロ、涙がこぼれました。

幼い姉弟を折檻する父

父の暴力は、私たちが物心ついてすぐのころから始まりました。父は怒ると、木刀のようなもので容赦なく私たちを叩きました。弟が、「これは僕がやったことにしておくから」と私をかばい、身代わりになったこともありました。隣室で折檻され、「やめてー! やめてー!」と泣き叫ぶ弟。動くことも、助けることもできない自分――。
私も、お金を盗んだと疑われ、めった打ちにされたことがありました。
「私じゃない! 私じゃない!」
当時、家に出入りしていた父の愛人が、盗んだとしか思えません。けれど、言っても無駄です。私は頭から滴り落ちる血をぬぐうことすらできず、父の許しを請うために、なけなしの小遣いを差し出しました。
「そんなんで、足りるか!」
そのときの父の恐ろしい形相は、深く私の心に焼きつきました。

結婚、出産、そして転機が

結局、居酒屋はたちゆかず、父は再び転職し、一家はスキー場のあるニセコに引っ越しました。弟は、中学校を卒業すると、ある日突然、黙って家を出ていきました。「元気でね」というたった一言すらかけてやれないまま、生き別れになってしまったのです。
私も、家に女性を連れてくる父が嫌でたまらず、卒業目前で高校を中退し、友人とルームシェアをして、札幌で暮らしました。
私は、飲食店などで働きながら自活を目指しましたが、19歳のとき、別の友人の紹介で結婚し、3年後には長女・Rを出産しました。
出産の翌年、転機は訪れます。ある日、高校時代からの親友・Sさんの家に遊びにいくと、部屋に、たくさんの書籍が大切そうに並べられているのが目に留まりました。本の背表紙に書かれた著者の名前、「 大川隆法 」という文字が、光って浮き出ているように見えます。私はSさんに何冊かを借りて帰宅し、さっそく 『愛の原点』 という書籍を開いてみました。
「愛の意味とは、結局のところ、本来、一つであったものが、お互いを呼び合い、結びつけ合い、さらに大きな幸福を生み出そうとしていくところにあるのではないかと思います」
それまで、一度も読んだこともないような言葉の響き。なぜだか分かりませんが、私は感動のあまり、声をあげて泣いていました。Sさんに連絡すると、数日後、当時、 支部 のあった札幌まで連れていってくれ、私は、その場で幸福の科学の信者となったのです。

シングルマザーの孤独

Rが3歳になったころ、私は離婚してシングルマザーになりました。夫が手を上げたから、と、私から一方的に離婚を申し出たのです。実は、私は父の虐待が原因で、電車などで近くに男性が立つだけで、(早くあっちへ行って)と思うほどの男性恐怖症でした。「夫は、そんな私を承知で、「一緒になろう」と言ってくれた。でも、叩くなんて”アイツ”と同じだ。もう、無理……」。
離婚したあと、一緒に暮らした男性は、とても優しい人でした。けれど、少しして、彼が薬物中毒だと分かったのです。働けない彼の代わりに、私が一人で昼も夜もパートに出て、Rと彼を養いました。
ある法友※が心配して、「Hさん一人に働かせるなんて、そんな関係は絶対におかしい」と一喝してくれ、私は初めて目が覚めたのです。今思うと、「自分がこの人を救うんだ」と思うことで、私は自分自身の不安定な心を、何とか保っていたのだろうと思います。
29歳のとき、その男性との間に長男・Tを授かりましたが、Tが1歳になる前に、泣く泣くその男性とも別れました。
私は、Tを保育園に預けて、2人の子供を育てるために必死に働きました。父とはずっと音信不通。頼れる親戚もいません。ある寒い冬の日。保育園でTを迎えてバスに乗ると、Tが嘔吐してしまいました。私はやむなくバスを降り、Tを抱いて雪のなかをトボトボと歩いて帰りました。病み上がりのTの顔は真っ青です。不安と緊張で張りつめた糸が切れ、涙がこぼれました。
そんな私にとって、支部の法友のあたたかさは救いでした。毎月ポストに月刊誌を入れてくれる近所の女性。父親のいないTをいつも肩車してくれる中堅の男性。多くの愛に支えられていました。
また、自宅に拝受した幸福の科学の御本尊※の前で、親子3人でお祈りすると、仏のあたたかい光に包まれ、しあわせな気持ちになれました。

※法友:信仰を同じくし、共に学び合い高め合う仲間のこと。
※御本尊:寺院などに安置される信仰の対象。幸福の科学では主エル・カンターレを表している。

“アイツ”に感謝なんて無理

私は、結婚のことも、子供たちのことも、一切、父には知らせませんでした。祖母の話では、その後、父は結婚して子供も生まれ、道内のある町に家も建て、しあわせに暮らしているということでした。
Tが2、3歳のころの、ある日。突然、父が私の家を訪ねてきました。祖母に、「たまには父親らしく、Hのところに寄ってあげなさい」と言われたらしいのです。父と会うのは、十数年ぶりでした。私はとても緊張し、まともに父の顔を見られませんでした。けれども子供たちの手前、平静を装いました。もともと寡黙な父は言葉少なです。会話らしい会話もなく、帰り際、父は私の連絡先を手帳に書き留め、そそくさと帰っていきました。心がドッと疲れました。
大川隆法総裁は、「人は、天上界で自分の人生計画を立て、親になる人とも約束して生まれてくる」と、説かれています。私は、「そうなんだ」と驚きつつも、一方で、あんな酷い人と約束してきたなんてありえない。離婚したのも何もかも、”アイツ”のせいだと、心から納得はできませんでした。父のことを考えただけで、憎しみでいっぱいになるのです。
私は法友に、「心が楽になるよ」と勧められ、幸福の科学の 総本山・正心館 で、「両親に対する反省と感謝」の研修を受けることにしました。研修では、両親からしてもらったことを、一つひとつ思い出し、感謝を深めていきます。周りの人が涙をすすり、嗚咽して感謝するなか、私は何も思い出すことも、感謝することもできませんでした。母については、その面影すら思い出せません。
幼いころ私は、アルバムで母の写真を捜したことがありました。けれど、母の写真は、すべて顔の部分が切り取られていたのです。長じてから祖母に、離婚の原因は母の浮気だったと聞きました。きっと、母に裏切られたと感じた父が、切り抜いたに違いありません。
(父のことも、母のことも、何も思い出せない。やっぱり両親に感謝するなんて、私には無理だ。うちは、ふつうの家庭ではないもの……)

「アダルト・チルドレン」

その後、私は支部で、大川隆法総裁の「家族問題解決のヒント」という法話のDVDを拝聴しました。そのなかで総裁は、父親がアルコール中毒で暴力をふるうなど、ひどい家庭環境で育って大人になった人を「アダルト・チルドレン」と呼び、父親を嫌っていながら似たような男性と結婚して離婚するなど、さまざまな問題を起こすことが多い、と話されたのです。アダルト・チルドレンは、自分に自信が持てず、自虐的傾向がある、とも説かれました。
思い当たることばかりでした。私は、テレビでスポーツ中継を見ていても、応援していたチームが負けると、「私が応援したから負けたんだ」などと、異常なまでに自分を責める傾向があったのです。両親との関係に、問題の根っこがあると確信した私は、その後も何度か、「両親に対する反省と感謝」の研修を受けました。しかし、何の進展もないように思え、あきらめかけていたとき――。
私は体調を崩して出血し、病院に行くと、数年前からあった子宮筋腫が、かなりの確率でがん化している疑いがあると診断されたのです。幸福の科学では、「子宮の病気は、夫婦や親子関係の葛藤が原因であることが多い」と説かれています。私は、今度こそ、父とのことをしっかり反省したいと、強く思いました。ちょうど転職を考えていた私は、思い切って休職し、 北海道正心館 で雲水修行※をしながら、心を深める決意をしたのです。
北海道正心館の職員は、「Hさんは、お父さんへの恐怖心が強いようですね。すぐに感謝できなくても、『自分を見捨てずに、育ててくれた』だけでもいいので、毎日、御本尊の前で、お父さんのことを思い出すようにしてください」と、アドバイスしてくれました。
その通りに実践していくと、「忙しいなか、お風呂に入れてくれた」「お弁当を詰めてくれた」など、父にしてもらったことが、少しずつではありましたが、心に浮かぶようになりました。

※雲水修行:幸福の科学の精舎に住み込み、掃除や行事運営補助をしながら心を磨く修行。

無言で土下座した父

毎日続けていると、さらに、いろいろなことが思い出されました。高校生のころ、父が体調を崩して入院したことがありました。修学旅行の小遣いがなかった私は、父の病室へ行って、「お金をください」と言いました。父は、「お前にやれる金なんか一銭もない!」と言い、私は、(ひどい父親だ!)と思って、病室をあとにしました。
そのとき私は、自分の小遣い欲しさだけで病院に行ったのです。それに、ふだんも、仕事から疲れて帰宅する父に、何のねぎらいの言葉もかけることなく、いつも逃げるように隣室に去っていました。
(「お帰りなさい」もなく、入院しても優しい言葉1つかけてくれない娘。父にすれば、どんなにか寂しかったろう)
私は心のなかで、初めて父に詫びました。
もう1つ思い出したのは、中学2年生のとき、転校する前の学校で、私が親友を殴り、大怪我を負わせてしまったときのことです。その親友は、家が裕福で、いつも可愛い服を着ていました。優しい両親に大きな家。私にないものを全部持っていた彼女。2人はいつも一緒でした。けれど、私は些細なことから彼女を殴ってしまったのです。父に伴われ、自宅に謝罪にいくと、彼女の父親は、すごい剣幕で怒りをぶつけてきました。すると、父は黙って額を地面に押しつけ、土下座したのです。
私は、帰宅したら、父にめった打ちにされると覚悟しました。けれど、父は殴るどころか何も言いませんでした。引っ越しが決まったのは、その事件の直後。仕事のこともあったのでしょうが、父は、私が同じ学校に通い続けるのを不憫に思い、転校させてくれたのではないかと気づいたのです。

私は望まれて生まれてきた

そして、数週間後。私は、満を持して北海道正心館で、再び「両親に対する反省と感謝」の研修を受けました。大川隆法総裁の、『大悲・父母恩重経※』講義のDVDを拝聴したのち、礼拝堂で心を鎮めていると、ある情景が鮮明に心に蘇りました。
それは、私が保育園のころのことでした。当時、洞爺湖湖畔のホテルで料理人をしていた父は、保育園が休みの日には、私を連れて仕事にいっていました。その日、私は、ホテルの庭を散歩したり、湖の白鳥を見たりして、父を待っていました。
そこへ父が、焼き上がったばかりのチキンレッグを、「食べなさい」と、私に持ってきてくれたのです。「おいしい!」と、1口食べた私は、満面の笑みで父を見上げています。私は本当に嬉しくて、食べきれないチキンレッグを、ずっと手に持って離しませんでした。その姿を見ている嬉しそうな父の笑顔……。熱い思いが込み上げ、涙がこぼれました。
さらに、父の顔を心に思い浮かべていると、その横に、母らしき女性の顔が浮かんできました。母らしきその女性と若き日の父は、生まれたばかりの私を見つめ、微笑んでいます。
(お母さんだ……)
私は、写真でも見たことのない母の顔を、はっきりと心のなかで見たのです。仏の慈悲によって見せていただいたのだと思いました。
「私は誰にも望まれずに生まれた子。私は要らない子。ずっとそう思ってきた。でも、私は、父と母に望まれて生まれてきたんだ」
ありがたくて、嬉しくて、涙が、あとから、あとからあふれました。

※「大悲・父母恩重経」:父と母への恩を説いた幸福の科学の経文のこと。

父の手

その後も私は、雲水修行の合間に、反省を深めていきました。ある日、北海道正心館の礼拝堂で瞑想していると、父が突然、私の家を訪ねてきた日のことが、ふっと心に浮かびました。あの日、父が私の電話番号をメモしようと手帳をめくったほんの一瞬、私はあるページに、私と弟の、名前と生年月日が書かれているのを見逃しませんでした。そのとき、「私たちを子供と思ってくれていたんだ」と、嬉しい気持ちになったのです。そのことを思い出しました。
さらに――。あの日、緊張している私をよそに、Tは無邪気に、あぐらをかいた父の膝の上にちょこんと座りました。そして、父の手を見て「きちゃない(汚い)」と言ったのです。
その一瞬、目にした、父の大きくてゴツゴツした手。大柄で骨太の父の、そのゴツゴツした手が心に浮かんだ瞬間、私は号泣していました。私がずっとずっと、考えてあげようとも、分かってあげようともしていなかった、父の苦労や本当の心が分かったのです。
父は寡黙で、愛情表現も下手だった。男手一つで、たった独りで何もかもこなすのは、どんなにか大変だったろう。それでも精一杯、私や弟を養ってくれた。感謝されることもなく、見えないところで、黙って私たちに愛情を注ぎ続けてくれていたんだ……。父の手は、私たちをいつも見守り続ける仏の慈悲のようでした。私は、深い深い感謝の思いが魂の奥からあふれ出るのを感じました。

父を責める思いが解けて

父への感謝が深まるにつれ、父を責める思いがうそのように消え、何ともいえない、しあわせな気持ちが心に広がっていきました。心配していた子宮筋腫も、7月に診察を受けると、がんではないと、はっきり診断されました。
雲水修行を通して、たくさんの心の気づきもいただき、いつも、どこか寂しく重苦しかった私の心が、毎日毎日、軽くなるのを感じています。男性に対する恐怖心も、すっかりなくなりました。そして何よりも、自分の未来を悲観的にしか考えられなかった私が、「未来は明るい」と、心から信じることができるようになったのです。大川隆法総裁が教えてくださったとおり「思いの力で未来は拓ける」ということを実体験したからです。
私は、次に父に会ったら、心から、「ありがとう」を言いたい。弟とも必ず再会して、この真実の教えを伝えたい。私の心を覆い苦しめ続けた、父への憎しみという巨大な黒い雲。私はそれを、幸福の科学の教えによって、感謝に変えることができました。教えがなければ、私は今でも父を憎み続けていたと思います。

information
「両親に対する反省と感謝」の研修は、全国の幸福の科学の精舎で受けることが
できます。通常は信者を対象として開催していますが、ご希望の方は 幸福の科学
サービスセンター ま でお問い合わせください。

家庭も一冊の「人生の問題集」 家庭も一冊の「人生の問題集」

悩み苦しみの根っこは子ども時代にある

「子ども時代に、家庭内で、さまざまな問題が起き、それを充分に乗り切ることができず、大人になり社会人になってから、うまくいかなくて困っている」という人は、数多くいるようです。その問題の根っこは家庭のなかにあり、また、子ども時代の考え方、生き方が、その人の出発点として大きな意味を持っているのです。
したがって、大人の問題を考えるにつけても、あるいは、大人自身が自分の人生を振り返り、反省するにつけても、やはり、折に触れ、子ども時代に遡って自分自身を見つめてみなくてはなりません。根っこは、意外に、小さいころ、子ども時代にあります。「子ども時代の自分の苦しみや悩みなどに根っこがあり、大人になって、それを忘れているけれども、実は、それが原因で、いま、そのように考え行動している」ということが数多くあります。

理想の家庭に育つことだけが幸福ではない

そして、ともすれば、「自分の家には、こんな悩みがある。こんな秘密がある」ということを、人に打ち明けることもできず、苦しんだり悩んだりして、「こういうことがなく、理想の家庭だったら、どれほど自分は幸福か」と思うのです。
しかし、現実には、1点の非の打ち所もない理想の家庭というものは、日本中を探しても、おそらくないでしょう。もちろん、問題のほうが非常に大きくなってくると、家庭のなかが地獄化してくることもあります。家庭のなか自体が生き地獄になり、「どうやって、ここから逃げ出すか」ということで苦しむ人もいます。
そのように、人生の早い時期から厳しい試練が襲ってくる人もいます。気の毒といえば気の毒です。しかし、確かに、赤ちゃんとして生まれてきたとき、体は小さいし、魂も、それ相応に縮まってはいますが、もともと、その赤ちゃんに宿って生まれてきた魂自体は、大人の魂なのです。みんな、天上界においては大人の魂であって、「今世、立派に生ききろう」と思って生まれてきているのです。
その意味で、「人間として生まれ、『楽をして、楽しかった』というだけの一生を送ろうと思っているわけではないのだ」ということを知らなければいけません。「『さまざまな苦難・困難、試練のなかをくぐりながら、自分の魂を鍛え、心を鍛えて、立派な人格をつくる』という目標を持って生まれてきて、現実に努力しているのだ」ということは忘れないでいただきたいのです。

家庭も一冊の「人生の問題集」

幸福の科学では、「人生は一冊の問題集である」と説いていますが、家庭もまた一冊の問題集であるわけです。当会では、「人のせいや環境のせいにしてはいけない」ということを、繰り返し説いていますが、現実には、人のせいも環境のせいもあります。ただ、それもまた、「悟りを得るための、人生の試練として、それぞれの人が、あるいは環境が、存在しているのだ」ということなのです。

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