「幸福の科学に入ってよかった」―あの世を知って、死別の苦しみを乗り越えた

(最終更新:

大正時代に生まれ、第二次世界大戦を生きぬき、80代半ばで長男との死別を経験した藤田さん。さまざまな困難が、黄金色に変わるまでの道のりをたどります―。
(藤田喜美子きみこさん・東京都・96歳・女性)

戦火をくぐった青春時代

私は、今から96年前の1923年、中国の旅順(当時・関東州)で生まれました。父が日本と中国で事業をしていた関係で、私は女学校時代を大連(だいれん)で過ごし、その後、家族で神戸に転居。戦時中に見た真っ赤な火の海や黒煙の恐ろしさは、今も忘れられません。空襲では、多くの友人が亡くなりました。

玉音放送を聞いたのは、22歳のとき。敗戦後の混沌(こんとん)のなか、私は14歳年上の男性と知り合って結婚し、5人の子宝に恵まれました。主人は、建築業や工場経営などに携(たずさ)わり、私は主人を手伝いながら子育てをしました。毎日毎日、目が回るほどの忙しさ。そんななか、10代のころから宗教や真理を求めていた私は、叔母の勧めで入った「生長の家」という宗教を心の拠(よ)り所(どころ)にしていました。

働き通しだった、中・高年期

5人の子供が成人すると、私は50代で看護助手の仕事を始めました。主人は、私が60歳のときに病気で他界。悲しむ間もなく主人の工場の整理に追われ、その後は東京の杉並区で、蕎麦屋(そばや)を営んでいた長男と暮らし始めました。60代から80代の間は家事をしながら家政婦として働きましたが、86歳のとき、思いも寄らない不幸が訪れたのです

黙って逝(い)った長男

それは、長男の55歳の誕生日が近づく、蒸し暑い8月のことでした。朝食ができても、息子が起きてきません。

(おかしいな、どうしたんだろう)

不思議に思って部屋を見に行くと、長男はまだ寝ていました。しかし、身体は温かいのに、いくらゆすってもぴくりともしません。異変を感じ、すぐに救急車を呼びました。すると駆(か)けつけた救急隊員の方は…。

「残念ですが、4、5時間前に亡くなっています。睡眠薬を大量に飲んでいます」

(…な、なんで? どうして—)

私は言葉が出ませんでした。息子は突然、自らの命を断ってしまったのです。

長男の店の従業員に話を聞くと、長男はしばらく前から目が不自由になっていて、身体も思うように動かなくなり、病院では「原因不明」と言われたそうです。薬も効かず、よほど思い詰めていたようですが、私は気づきませんでした。長男は私に心配かけまいと、病気のことを黙っていたのだと思います。

(昌彦(まさひこ)…)

悲しみは、日に日に募っていきました。やはり、自分の身を分けた子ですから、いとおしくて、忘れることはできません。

(昌彦はどこに行ったの? 会いたい…)

人は、死んだらどうなるのか―。いろいろな宗教をあたってみましたが、私の問いに答えてくれるところはありませんでした。長年通った生長の家も、代替(だいが)わりしてから、宗教というより道徳のようになって、足が遠のいたきり。答えは見つからず、悲しみを抱えたまま、3年の月日が流れました。

運命を変えた一冊の布教誌

私が間もなく90歳になるころ。ある日、自宅のポストに小さな冊子が入っていました。開いてみると、「幸福の科学」の教えが紹介されていました。

(良いことが書いてあるわ。もっと学んでみたいな)

期待を胸に、「書籍プレゼント」に応募し、届くのを楽しみにしていると、数日後―。

「藤田さん、こんにちは。書籍をお届けに来ました」

優しそうな好青年が、大川隆法総裁のご本を手渡してくれました。ありがたくいただき、さっそくその日から読み始めました。

「私たち人間は、はるかむかしから、永遠の生命をもって生きております。そして、何度も何度も、地上に生まれかわっては、人生修行を積んでいるのです」(※1)

(人は、何度も生まれ変わる…? )

その本には、「人は”死んだら終わり”ではなく、死後は心境に応じた霊界(天国や地獄)に還(かえ)ること」や、「人間は魂修行を積むために、この世とあの世を何度も生まれ変わっていること」が説かれていました。今まで学んだどの宗教とも比べられないほど教えに深みがあって、心から感動しました。

(これが、私が長年求めてきた教えだ! )

私は、夢中で何冊も読み進めました。

「不幸体験や幸福体験、人間関係も含めた、さまざまな出来事は、すべて、自分自身の魂を磨くためのものであり、この世には『魂の学校』としての意味があるのです」(※2)

私は今まで、戦争や貧しさ、主人や長男の死など、さまざまな悲しみを体験してきましたが、大川総裁の教え(仏法真理)を学んで、人生のすべてに意味があると分かったのです。本当に、救われる思いがしました。

「自分は天国に還りたいと思うならば、笑顔を絶(た)やさず、素直な心で生き、多くの人びとに好かれ、多くの人を愛することができる人物になればよいのです」(※3)

(あの世の世界はあるのね。この教えを信じて守っていたら、天国に行けるんだ―)

私は、最寄りの杉並東支部に行き、幸福の科学に入信させていただきました。以来、毎週支部に通い、支部長や法友(ほうゆう)(※4)の皆さんと活動することが、何よりの楽しみになりました。

※1:『太陽の法』 第1章より。
※2:『未来の法』 第2章より。
※3:『釈迦の本心』 第5章より。
※4:共に仏法真理を学ぶ仲間。
(※1〜3の書籍はすべて、大川隆法 著 幸福の科学出版)

昌彦も幸せにしてやりたい

ずっと気がかりだった、自殺した長男のことを打ち明けました。すると支部長は…。

「藤田さん。実は、苦しみのなかで自殺を選んだ方は、スッと天国には還れないことが多いんです」

支部長は、自殺者の魂を救うには、遺族が仏法真理を学んで正しく生き、その姿で故人に真理を伝えていくことが大切であると教えてくれました。

また、幸福の科学には霊園があり、迷っている諸霊を救うための供養や祈願が行われていることも話してくれました。

(幸福の科学の供養なら、昌彦もきっと救われるはず—)

私は、わが家のお墓を幸福の科学の那須の霊園(幸福園)に移させてもらうことに決め、長男の供養もお願いしました。

(良かった…。これで安心だわ)

支部長の夢に現れた長男

後日、いつものように皆と談笑していると、支部長がこんな話をしてくれました。

「この前、なにか不思議な感じがする夢を見たんですよ。眼鏡をかけて、うぐいす色の服を着た男性が出てきたんです。40~50代の、真面目そうな方で…」

「…え! 支部長、それ、昌彦だわ」

私はすぐに、長男が供養のお礼を伝えに、支部長の夢に出て来たんだと分かりました。支部長は長男を見たことがありませんが、その特徴を見事に言い当てていたのです。

(昌彦も喜んでいるのね—)

この出来事があって、私自身、あの世の世界が本当にあり、死後も神仏が導いてくださることを確信できました。もう、死が怖いとも思いませんし、むしろ、先に逝った息子や主人に会えるのが本当に楽しみです。

人生で、今が一番幸せです。

私は今、朝起きると、今日も命をいただいたことに感謝して、御本尊にお祈りします。

(今日も、神仏のお役に立てますように)

お祈りの後は、総裁先生の書籍を読んでお勉強をします。以前は本を読みませんでしたが、総裁先生の教えは、読むたびに感動するので、毎日読まずにいられません。

毎週金曜日には、地域で布教誌配布をしています。私が布教誌で救われたので、一冊でも多くお配りし、教えをお伝えしたいんです。

また、昨年は思いがけず、幸福の科学のドキュメンタリー映画(※5)への出演のお話をいただきました。私でお役に立てたか分かりませんが、撮影では、大川総裁の創られた学園 HSU (※6)に行き、たくさんの学生さんとお会いしました。皆さん本当に輝いていて、こんな学生を育てておられるなんて、大川総裁は本当に神様だと思います。

私は"人生の終着駅"で真実の教えに出会い、今が一番幸せです。命ある限り、この教えを弘めて、幸せになる人を増やしていきたい。それが私のただ一つの願いです。

※5:8月30日に公開の「光り合う生命。—心に寄り添う。2—」 のこと。
※6:学園とは、幸福の科学のこと。徳力と学力を兼ね備えた人材育成を目指している。
HSU(ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ)とは、幸福の科学が運営する高等宗教研究機関。

【支部長の話】

藤田さんのまごころがご長男に届いたのだと思います

藤田さんのご長男の夢は、とてもリアルで印象的でした。綺麗なモスグリーン色の和室に、真面目そうな男性が正座してこちらを見ていたんです。 藤田さんの熱心な供養の心や素直な信仰心があの世に届いて、私の夢に出てこられたのだと思いました。(元杉並支部 支部長 山本弥須子さん)

主エル・カンターレの救いの光―幸福の科学の「供養」

故人を偲び、来世の幸福を祈る供養の心は尊いものですが、その一方で、迷っている故人の霊を成仏へと導くには、正しい霊的知識を知らなければ難しいのも事実です。

主エル・カンターレ、大川隆法総裁は、「どのような心で生きた人が、天国に還るのか」「地獄から天国に上がるには、どうすればよいのか」など、私たちが、この世でもあの世でも正しく幸福に生きるための教えを、数多く説いてくださっています。

すべての人の幸福を願われる、主エル・カンターレの教えから、「正しい供養」のあり方を学んでみませんか?

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