2020.07.28

Y.Mさんの長女・Mさんは、生まれてすぐ、脳性麻痺(のうせいまひ)という障害があることが分かりました。Yさんは大きなショックを受けるも、わが子の力を信じて、子育てをしていこうと決意します。しかし、ハンディのある娘をどう育てたらよいか分からず、苦しみが募る日々・・・。そんなある日、Yさんは、人生を変える教えに出合います—。

Y.Mさん(福岡県・41歳・主婦)/夫 Hさん(41歳)/長女 Mさん(8歳)

隔月刊「ザ・伝道」240号より転載・編集

命の危険を感じた出産

「Yさん、緊急帝王切開をしましょう—」

8年前の3月、出産を2週間後に控えていた私は、産婦人科で、赤ちゃんに胎動がなく、危険な状態であると診断されました。すぐに救急車で大きな病院に運ばれ、帝王切開をすることになったのです。私は、麻酔で意識が遠のいていきました。

その日の夕方、ベッドの上で目を覚ますと、主人が私の手をにぎってくれていました。

「Y、無事に産んでくれて、ありがとう」

主人の優しさに、涙があふれました。

後から知ったのですが、主人は私が麻酔から覚める前に、医師から「赤ちゃんの命は、明日まで持つか、3日持つか・・・」と告げられていたそうですが、出産直後の私を気遣って、黙っていてくれたのです。

Mは、呼吸がほとんどできない「重症新生児仮死」という症状に加え、酸素が不足して脳に障害をきたす「低酸素性虚血性脳症」という危険な状態で生まれました。新生児の集中治療室で治療を受けていて、面会もできない状態だったため、私が先に退院することになりました。

小さくて、可愛いわが子

私たち夫婦と、同居している義母の3人家族は、以前から幸福の科学の会員だったので、娘の無事を祈って、『強力・病気平癒祈願』をさせていただきました。また、お世話になっている幸福の科学の飯塚支部の皆さんが、Mを応援するメッセージカードをくださいました。みんなの祈りが通じたのでしょうか、産まれて1週間後には娘の容体が安定し、ようやく面会が許されたのです。

Mちゃんに綿棒で母乳をあげるYさん
Mちゃんに綿棒で母乳をあげるYさん

待ちに待った、わが子との初めての対面—。主人と、集中治療室の保育器をのぞきこむと、小さくてとっても可愛いMが、私たち夫婦を見つめてくれました。まだ苦しそうでしたが、私はやっと娘に会えた喜びと、母親になった実感がこみあげてきたのでした。

それから主人と、医師の診断を聞きました。「出産が半日遅れていたら、お子さんは亡くなっていたでしょう。・・・Hさん。お子さんは、脳性麻痺になる可能性があります—」

(・・・え?どういうこと?)

脳性麻痺は、脳への損傷による、運動機能の障害のことです。Mは知的障害も伴いました。今後リハビリが要ることや、てんかん発作が起こる可能性、自力でご飯が食べられなければ胃ろうになることなど、不安な未来の話が次々に出てきます。さらに、「心室中隔欠損」と言って、心臓の壁に穴が開いているため、薬で治療する必要もあるというのです。

(そ、そんな・・・。これからどうなるの?)

自宅に戻った後も、Mの障害について主人とずっと話し合いました。

私たちは幸福の科学で、人はこの世とあの世を何度も生まれ変わり、人生修行を積んでいることや、誰しも一度は、人生修行として障害や病気を計画してくること、障害があっても、心は健全であることを学んでいたため、「夫婦で乗り越えていこう」と励まし合いました。

それから私は、Mと1週間入院して、家で育てるための準備を整えました。この子は母乳を吸う力がほとんどなく、鼻にチューブを通して胃に母乳を入れていました。でも、直接母乳をあげて愛情を伝えたかった私は、看護師さんにお願いして、少しずつ口から飲む練習をしました。無事にチューブは取れて、1週間後に退院が決まり、今後は毎週、病院での検診や、リハビリも始めることになりました。

「私、“ダメママ”だ・・・」

念願の、Mと私と主人、義母の4人での生活が始まりました。みんなで毎日Mを抱っこして、わが家に笑顔が溢れました。

ところが、Mは母乳を飲む練習をしていたものの、少しずつしか飲めないため、お腹がすいて10分毎に起きてしまいます。

その度に抱っこしてあやし、私も毎晩眠れません。家族にとって、家事も育児もこなす“良き妻・良き妻”でありたかった私は、家族にあまり相談することもなく、泣き続ける娘に対し、不満とイライラが募っていきました。

「ママだって、泣きたいんだからね!」

そうつぶやいて、娘と一緒にえんえん泣きました。心を乱して怒るような自分は、私の“理想の母親像”とは正反対。心の中はぐちゃぐちゃした感情でいっぱいになっていきました。

(・・・私、“ダメママ”だ—)

奇跡を感じよう

寝不足が続いていたある日のことです。

私のつらそうな様子を察してか、義母が、幸福の科学の月刊誌(※)を持ってきてくれました。

「ねえYちゃん、ちょっと聞いてね」

義母は、私がまだ読んでいなかった、月刊誌に収録されている大川隆法総裁の論考「奇跡を感じよう」を声に出して読んでくれました。

「『主よ、私が苦しんでいるのは、決して、他の人のせいでもなく、自分自身のミスでもなく、仏が意地悪をしようとしているからでもありません。これは、今世、私がこの世に命を享(う)けた意味を教えるためのものです。私は、このことを受け入れ、悟りたいと思います。だから、主よ、御心(みこころ)にお任せします』という気持ちが大事なのです。

そのように、じたばたするのをやめ、判断を下すことをやめて、静かに受け入れてください。

受け入れたときに、浮力が湧いてきます。生きていく力がグーッと湧き上がってきます。そのときに奇跡が訪れます」

義母の朗読を聞きながら、涙があふれてきました。「自分の力では、障害があるこの子を変えることはできないし、どう育ててあげたらいいのかも分からない—」。そんな苦しみから、心が解放されていくのを感じました。

(自我力だったことが間違いだったんだ。この子の障害も、子育てが上手くいかないことも、まずは、ありのままを受け入れよう—)

それまで私は、「この子の障害を少しでも軽くして、生きやすくしてあげたほうが絶対いい」と思っていました。しかし、障害をなくすことがMの人生の本当の目的ではないし、障害を持って生きることは、悲しいことやマイナスなことではないんだと感じたのです。

そして、Mが障害を持って生まれてきたことには必ず意味があり、それは、私たちの魂を磨く人生修行でもあるんだと、心から思えました。

(この子が毎日、少しずつでも成長してくれることが、何よりもうれしくてありがたいことだ)

素直な心で、神様にすべてをゆだねたその日から、肩の力が抜けて気持ちが楽になりました。私の心が変わると、不思議とMの母乳を飲む力もついてきたのです。私も夜眠れるようになり、イライラも減って優しくなれました。

その後、Mは、健常児よりも2、3カ月ほど遅くはありましたが、生後6カ月のころに首がすわり、その後おすわりもできて、離乳食も食べられるようになりました。言葉も話せるようになるなど、少しずつ成長する娘を見て、リハビリの先生は、「こんなに成長を著しく見せてくれた子は初めてですよ!」と、泣いて喜んでくださいました。

幼稚園に入園する前に受けた検査では、Mの知能は1歳ほどと診断されましたが、私はありのままのわが子を受け入れていたので、(この子は大丈夫)と心を強く持てました。

※月刊「幸福の科学」という小冊子のこと。大川隆法総裁の論考や、教えを学んで人生が拓けた体験談などが掲載されている。

義母 T・Fさん
何気なくYちゃんに音読した教えが、助けになって本当に良かったです。Yちゃんが産んでくださったMちゃんは、私たち家族の宝です。

障害への“特別視”に気づいて

そんなある日、幸福の科学の障害児支援団体「ユー・アー・エンゼル」 の合宿が、湯布院正心館 で行われることを知り、主人とMと参加してみることにしました。

そこに集まった障害を持つ子どもたちは、初対面なのに私たちを受け入れて、「Yちゃんって呼んでもいい?」と、心の距離なく話しかけてきてくれます。また、スタッフの方々も、障害がある子に対して、外見ではなく内面の魂の輝きを見つめ、ともに神仏の教えを学ぶ仲間として接しておられました。Mも楽しそうで、うれしさ全開です。

(私、Mの障害を受け入れているつもりだった。でも、実は障害を“特別視”してたんだ・・・)

よく考えると、私は普段、近所の方と接するとき、「この子は麻痺があって・・・」と話していることに気づきました。障害を持つ子を育てていることの大変さを分かってほしいという思いがあったのです。さらに、Mや他の子どもたちに対して、「私が何かしてあげないと」といった、どこか上から目線のような傲慢(ごうまん)さがあったことも反省しました。

(たとえ身体が不自由でも、みんな、魂は尊くて輝いているんだ—)

この日を境に、私たち夫婦は、「障害があっても魂は完全」という真理が腑に落ちて、「どんな人も、心の持ち方次第で変われる」と一層信じることができました。Mは、「歩けるようになりたい」という意欲を見せていて、リハビリにも毎週通い続けました。娘は本当に頑張り屋さんで、できることも少しずつ増えていきました。そして私は、娘を授けてくださった神様への感謝を込めて、Mの誕生月に毎年祈願を受けました。

毎日が奇跡の連続

Mは、天上界のご支援もいただきながら、すくすく成長していきました。4歳のときには、わきを抱えてやっと歩けていた状態から、手をつないで歩けるようになりました。そして、小学校の支援級に入った後、なんと生まれたときに開いていた心臓の穴がふさがったのです。小さいころに穴が閉じなければ、自然に閉じるのは稀(まれ)で、医師は「この年齢でふさがるのはめずらしいね」と驚いていました。

そして、Mの人生が、愛と調和に満ちた素晴らしいものとなるよう祈って、家族で『最高発展祈願』を受けようと決意しました。そのころ、Mはまだ自力では立ち上がることも、一人で歩くこともできなかったため、歩行器を作ろうと考えていました。それが、祈願を受けると決めた直後、自宅のリビングで遊んでいたMが、なんと一人で立ち上がり、スタスタと歩き出したのです—。神仏のご指導が臨んでいるとしか思えない出来事でした。

「Mちゃん今、自分で歩いたよね!」

Mは、「Mちゃん、立てた!」と、あふれんばかりの笑顔を見せてくれました。後日、家族で祈願式に参加し、奇跡をいただいたことへの感謝を深めました。

昨年冬、2年生のMは、小学校の持久走大会に参加しました。走る距離は800メートル。前年は、先生にわきを抱えられながら、やっと400メートルを走りました。

(Mちゃん、今年は大丈夫かな・・・)

「よーい、どん!」

同級生が次々とゴールしていくなか、Mは誰の手も借りずに、一生懸命走っています。途中から歩きになっても、あきらめません。

私は主人と、祈るような気持ちで「Mちゃんなら、できるよ!」と応援しました。先生方やお友達みんなも声援を送ってくれました。その場に、「Mちゃん、がんばれー!」の声が響きました。

そしてついに、ゴールイン!Mが自分の足で長い距離を走り切ったのです。私はMをぎゅっと抱きしめ、泣いて喜びました。

夫 Hさん

娘が脳性麻痺と聞いたときはショックでしたが、夫婦で乗り越えられないことはないと信じて支え合ってきました。できなかったことができるようになっていくMちゃんを見て、毎日、小さな奇跡が起きているんだと気づかされました。子育てや家事を笑顔でこなす妻のことを心から尊敬していますし、いつも最高の笑顔で純粋な愛を与えてくれる娘にも、とても感謝しています。

Mちゃんは、“天使”

Mは、昨年は慢性腎臓病(まんせいじんぞうびょう)と診断されましたが、治療の努力をしながら、祈願『スーパー・ベガ・ヒーリング』を受けた直後、腎臓の数値が正常値に戻るなど、日々、奇跡をいただいています。また、娘のおかげで、苦しみは自らの魂を磨くための“神様からのプレゼント”であることや、周りに応援してくれる人が数多くいることにも気づけました。

Mの生きざまは、多くの人たちに、愛と感動を与え続けています。私は、Mと歩む人生が誇りです。Mという素晴らしい天使を授けてくださった神様に、心から感謝しています。

【体験談のMさんが登場!】ドキュメンタリー映画『奇跡との出会い。─心に寄り添う。3─』

【STORY】

幸福の科学のドキュメンタリー映画第3弾となる本作では、2人の若者がレポーターを務め、「なぜ、幸福の科学で奇跡が起きているのか」に迫る。末期ガンや白血病、心筋梗塞などの宣告を受けた人々に起きた奇跡とは—。さまざまな事例を取材するなかで、2人は「ある秘密」を見つける。

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