不登校からの復活―いじめ―「ネバー・マインド」で宝物に出会えた【体験談】

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「ネバー・マインド」で宝物に出会えた

小学校・中学校でいじめを受けたTくんは、高校入学直後、ついに不登校に。絶望の淵から彼を救ったのは、幸福の科学の不登校児支援スクール「ネバー・マインド」でした。ネバー・マインドを通して、人生に希望を見出すまでの体験をお伝えします。
(T.Mさん/東京都/男性/ 「ザ・伝道」 第191号より転載・編集)

真っ暗だった世界が、光り輝くとき 真っ暗だった世界が、光り輝くとき

誰にも言えない

体が弱く内気な性格だった僕は、幼稚園のころからいじめにあっていました。いじめが本格化したのは、小学校4年生のころ。不良グループのリーダー・Sくんに目をつけられた僕は、むりやり彼のグループに入れられました。
「あいつ気に入らないから、殴ってこい!」
S君は、いつも僕に理不尽な命令をしてきます。もちろん、人を殴ったりはしませんでしたが、彼の命令に背くと、暴力をふるわれることもあったので、僕はいつもビクビクしていました。そんな僕を見て、他のみんなも、「あいつは弱い」と思ったのか、僕は、いじめのターゲットにされるようになったのです。ひどいあだ名で呼ばれ、「近寄るな」「臭い」などと言葉によるいじめはほとんど毎日。ときには数人に取り押さえられて殴られたり、ランドセルをトイレに投げ込まれたりもしました。でも、学校でいじめられていることは、両親にも先生にも言えませんでした。母を悲しませたくなかったのです。学校で殴られて怪我をして帰ると、「○○くんと遊んでて、転んじゃったよ」などと嘘を言い、家ではいつも弟とふざけ合い、「明るいキャラ」を演じ続けていました。

前髪で顔を隠して

いじめを隠し通していたために、僕は、いやでも学校に行くしかありませんでした。勉強は大の苦手。いじめによるストレスもあって、授業中はいつもボーッとしていました。当然、成績はオール1に近い最悪の状態でした。Sくんや他の何人かからのいじめは、6年生までずっと続き、僕は、ますます内にこもるようになってしまったのです。人と目を合わせるのが怖くて、前髪を長く伸ばし、顔を隠して、見た目もどんどん暗くなっていきました。そんな僕にとっての唯一の楽しみは、大好きなガンダムのゲームをすること。家族と過ごす時間と、家でゲームをする時間だけは、誰からも害されない心安らぐ時間でした。こうして僕の灰色の小学校時代は、ただ、ただ、虚しく過ぎ去っていったのです。

中学でもいじめに

僕は、Sくんが進学する中学校を調べ、彼とは違う地元の中学校に進学しました。僕は、二度といじめられないように、できるだけ無口でいようとしたのですが、それがかえって災いし、次第にクラスのなかで浮いていき、「お前の顔、キモいな」などと、言葉の暴力を受けるようになったのです。また、クラスメートから僕の携帯に「あいつ、ウザくない?」というメールが回ってきたことがあり、僕が「そうは思わない」と返信すると、呼び出されて殴られました。女子の6~7人のグループにも、ターゲットにされました。
「何でしゃべんないの? キモいよね。」
「アンタが触ったとこ、ちゃんと拭いといてよ。汚いから!」
そんな悪口を言われました。いじめは日常的に続き、僕は、だんだん対人恐怖がひどくなり、たまに誰かに話しかけられても、「はい」か「いいえ」しか答えられなくなってしまったのです。あまりにも学校がつらく、仮病を使って早退し、家でゲームをしたり、ひとりで川へ行ってボーッと座っていたり。テレビドラマなどで、楽しい学校生活のシーンを見ると、とても落ち込みました。勉強も運動もだめ。性格も暗く、人とふつうに話すことすらできない――。心を開いて話せる友達もなく、僕は、たったひとりで耐えるしかありませんでした。

ついに不登校に

夢も希望もないまま、一応、高校に進学はしたものの、同じクラスに態度が悪い生徒がいるのを見て、(だめだ、また、いじめられる!)と、恐怖心でいっぱいになりました。結局、入学後1週間足らずで、僕は、不登校になってしまったのです。しかし、家にいても、何もする気力が起きません。大好きなゲームすら、やる気になれないのです。生きているようで、死んでいる、そんな感覚でした。
(僕は、このまま引きこもって、ニートになってしまうんだろうか……。堕ちるところまで堕ちていくんだろうか……)
将来への不安で、胸が押しつぶされそうになりました。

初めて 「ネバー・マインド」へ

心配した母は、母が信仰している幸福の科学の 支部 に相談に行きました。
「幸福の科学に、『 ネバー・マインド 』っていう不登校の子を支援するスクールがあるんだって。行ってみる?」
幼いころ、母に連れられて、支部や講演会に行ったことはありましたが、幸福の科学については、あまり詳しくは知りませんでした。けれど、(さすがにこのままじゃまずい)と思っていた僕は、母といっしょに見学に行ってみることにしたのです。母の後について、おそるおそる部屋に入っていくと……。 ネバー・マインドの室内には、 太陽の光が差し込んで、とても明るく見えました。数人の生徒が、和気あいあいとカードで遊んだり、話をしたりして、くつろいでいます。
「ネバー・マインドっていうのは、『気にしなくていいよ』っていう意味なんだ。 大川隆法総裁 先生、 主エル・カンターレ は、不登校でも、気にしなくて大丈夫だよって、ネバー(ネバー・マインドの略称)を与えてくださったんだよ」
ネバー・マインドのスタッフの方が、各部屋を案内しながら、そう説明してくれました。この日は一言も話せませんでしたが、ネバーの平和で安らいだ雰囲気が、僕にはとても心地良く、「ここなら大丈夫かもしれない」と思っていました。ネバーを後にし、母に通ってみることを告げました。母の安心した笑顔を見て、僕もホッとしました。

仲間の優しさにふれて

以来、火・木・土の週3回、僕はネバー・マインドに通うことになりました。ネバーには、小学生から高校生まで7~8人の生徒が通って来ていました。暴力的なものでなければ、ゲームも持ち込み可能。「自分を高める時間」には、各自、勉強をしますが、読書をすることもできます。夕方になると、ボランティアの人たちが、おにぎりやみそ汁を手作りしてくれて、みんなでテーブルを囲んで食べました。僕は、あたたかくアットホームなネバーでは、ほどなく他のみんなとも、ふつうに話せるようになりました。けれど、僕の口をついて出るのは、過去の不幸な体験ばかり。みんなは、「それはつらかったね」と、親身になって聴いてくれました。涙を流して聴いてくれる子もいました。
(こんなに優しい子たちがいたなんて……。やっぱり信仰を持っているからなのかな)
幸福の科学の信仰を持つと、まず、「与える愛」が大切だと学びます。見返りを求めずに、他の人に愛を与えよう、優しくしようという教えです。 ネバーのみんなは、心から「与える愛」を実践していたのです。僕は、たったひとりで抱え込んでいた心の苦しみを、初めてほかの誰かと共有できた嬉しさでいっぱいになりました。それに、スタッフのTさんは、いつも僕のことを褒めてくれました。
「君は、気遣いができて、素晴らしいね」「本当に君は優しいよね」
すべてに自信がなかった僕にとって、そうした心からの言葉は、どれほど励みになったことでしょうか。数週間もすると、僕の閉ざされた心は、少しずつ少しずつ解けていきました。

かけがえのない友達

ネバーに来ている生徒のなかで、ひとり、とても不思議な子がいました。誰とも話さず部屋の片隅で「体育座り」をして、ずっと膝に顔をうずめているのです。僕と同い年のHくんでした。Hくんとは家が近く、帰りはいつもいっしょになりました。携帯アドレスの交換はしたものの、話しかけようとすると、彼はサッとイヤホンをしてしまいます。お互い、もともとコミュニケーションが大の苦手。なかなか話すきっかけがつかめません。そんなある日のこと。ネバーからの帰りの地下鉄で、何気なく彼の見ていた画像に目をやると、それはガンダムのアニメでした。僕はHくんの肩をポンと叩いて言いました。
「ガンダム、見てるんだ。僕もずっとガンダム見てるよ」
「そうなんだ。どれを見た?」
「全部」
「僕も、全部見た」
Hくんが、初めて心の鍵を開けてくれた瞬間でした。その日、Hくんと別れたあと、僕は彼にメールしました。「もっとお互いのことを話そう」と。僕たちは、学校でのつらい体験を暴露し合いました。女子のグループに悪口を言われてつらかったこと、顔がキモいとばかにされ、とても傷ついたこと。Hくんも、ある女子に嫌われて、その女子のグループを敵に回してしまい、クラスのなかで孤立してしまったことなどを話してくれました。やがてHくんは、僕にとって、かけがえのない存在となっていったのです。

明るい自分を心に描こう

ネバーでは、毎回必ず「信仰教育」の時間がありました。幸福の科学の信仰について学び、みんなで話し合うのです。
「人間はみな、『仏の子』。素晴らしい存在なんだよ。不登校になったからって、だめな人間っていうわけじゃない。いろいろな苦労を経験したみんなは、それだけ多くの学びを得られるのだから、むしろ『魂のエリート』なんだよ」
スタッフのTさんは、いつも僕らをそう励ましてくれました。また、「主エル・カンターレは、苦しいときや悲しいときも、いつも、みんなを見守ってくださっている。主は、どんな人をも愛し、そして決して見捨てないんだ」、とも教えてくれました。
(こんな僕でも、主は愛してくださっているのかな……)
正直言って、当時の僕は、主に愛されているという実感は持てませんでした。そのころ勧められた『「幸福になれない」症候群』という書籍には、次のように書かれていました。
「みじめな自己像をいくら見つめても、よくなることは決してありません。考え方の根本を変えて、自己イメージを輝かせることが大切です」
(確かにそのとおりだ……)。主にも、みんなにも愛される資格などない、孤独で何のとりえもないだめ人間……。それが僕の自己イメージでした。そんなネガティブな自己イメージを、僕は、明るく積極的なイメージへ変えていこうと決意しました。

幸福の科学学園受験

ネバーに通い始めて、約2カ月がたったある日のこと。Tさんが「 幸福の科学学園 」のパンフレットを見せてくれました。幸福の科学学園は、栃木県の那須の広大な自然のなかにある、男女共学、全寮制の中高一貫校です。「同じ信仰を持つ子ばかりならいじめもないだろうし、楽しそうだな」と、僕の胸は高鳴りました。けれど、もう一度、高校受験をやり直すにしても、小学校・中学校とほとんど勉強していない僕には、ハードルが高すぎます。 母に相談すると、「目標を持って頑張るのはいいことだから、チャレンジしてみたら?」と言ってくれました。ネバーの中学3年生の女子2人、それにHくんも学園受験を希望していると知り、僕も受験を決意しました。Hくんも僕も、1年留年しての受験です。夏休みには、中学の英語を一通りやりきると、ほとんど何も分からなかった英語が、どんどん分かるようになって、成績も伸びました。
(僕でもやればできる!)
それは、僕にとって、大きな自信となりました。僕たち4人は、幸福の科学学園受験に向かって猛勉強を続けていきました。

信仰を語り合える仲間として

初めて持てた目標、共に励まし合える仲間の存在。僕は、日に日に心が明るく元気になるのを感じていました。けれども、過去のトラウマからか、ときどき、仲間を疑う気持ちがわいてきます。
(ネバーのみんなも、本当は 僕のこと暗いと思っているんじゃないのかな……?)
メールをしても、すぐに返信がないと、(やっぱり嫌われてるんだ)と、不安になります。Hくんも、「ネバーの女子からあいさつされると、どう返していいか分からない。やっぱり女子は信じられない……」と、僕に相談してきました。
「僕も同じだよ。でも、お互い、もっと仏法真理(幸福の科学の教え)を真剣に学んで、心から主を信じ、人を信じられる僕らになっていこうよ」
最初は「傷のなめ合い」のようにも見えた僕たちの関係は、やがて信仰を語り合える「法友(ほうゆう)」へと変わっていったのです。

仲間の優しさ

年が明けて、いよいよ受験本番です。僕なりに全力を尽くしたものの、結果は不合格。結局、4人のなかで、Hくんだけが合格しました。
「おめでとう! Hくんは、努力も実力も、ズバ抜けていたもんね」
みんなでHくんの合格を心から祝福しました。そして、受験後の3月。ネバー・マインドのみんなと、幸福の科学の 箱根精舎 で2泊3日の研修を受けたときのこと。研修のなかで、「○○さんのいいとこさがし」という企画がありました。配られた用紙に、一人ひとりの良いところを見つけて書き込んでいくのです。
「いつも優しくて、悩みごとなどを真剣に聴いてくれる」
「自分のことより人を思って行動しているところが素晴らしい」
「正しいことをはっきり言えるところがすごい! 君はリー ダーの素質あるよ!」
みんなは、僕の長所を、そんなふうに書いてくれました。
(僕のこと、こんなに良く思ってくれていたなんて……)
嬉しくて、心があたたかくなり、涙があふれました。僕は、いつのまにかネバーのなかで、悩み相談役のような存在になっていたのです。

世界が輝いて見えた

(僕を変えてくれたのは、信仰と仏法真理の力だ。この体験を話すことで、多くの人を幸せにできる。こんな僕でも人のお役に立てるんだ!)
研修の最後に、「気づき」を発表する時間がありました。「誰か、発表したい人?」という問いかけに、僕は真っ先に手を挙げました。
「僕は、将来、カウンセラーになって、僕のようにいじめや不登校に悩む子の話を聴いてあげ、助けてあげたいです」
拍手がわき起こりました。このとき僕は、生まれて初めて、将来の夢をはっきりと心に描くことができたのです。その翌日から、世界がまったく違って見えました。うす曇りの暗く寒い冬景色が、明るい太陽が輝く春の景色に変わったように、明るく輝いて見えたのです。

僕が伝えたいこと

その後、僕は、通信制高校に通い、大学進学を目指して勉強しながら、ネバー・マインドのボランティアとして活動しています。その合間に、幸福の科学の 精舎 に行って書籍を開き、仏法真理を勉強しています。昔では考えられないほど充実した毎日です。僕の過去は暗く、つらく苦しいものでした。すべての自信を失った僕は、心が病んでいました。そんな僕が、どん底から立ち直れたのは、ネバーのみんなから、たくさんの愛をもらったからです。ネバーを通して信仰に出会い、「魂の親、主エル・カンターレに愛されていた!」と、気づくことができたからです。学校では、まったく活躍の場がなかった僕。でも、主は、そんな僕をも決して見捨てることなく、ネバー・マインドという活躍の場を与えてくださったのです。僕が、今、伝えたいこと。それは、「主エル・カンターレは、すべての人を、いつも見守り愛している」ということです。いじめや不登校に苦しんでいる子どもたちは、本当につらく、そして孤独だと思います。僕は、そういう子どもたちみんなの力になれるような人間になりたい。心からそう願っています。そして、苦しんでいるみんなに伝えたい。「大丈夫、君はひとりじゃないよ」と。

自分を憐れむ(あわれむ)気持ちと決別する 自分を憐れむ(あわれむ)気持ちと決別する

『不動心』 (大川隆法 著/幸福の科学出版)より抜粋したメッセージ

自己憐憫では幸せになれない

「自分がかわいそうだ」と思って自分を愛している人は、いつまでたっても、豊かで素晴らしくはなれません。何かきっかけを見いだしては、自分をかわいそうな立場に追いやり、悲劇の主人公にまつり上げて、その傷口をなめているこうした傾向のある人は数多くいますが、そうした人たちは、「自己憐憫(じこれんびん)では決して幸せにはなれない」ということに気がつく必要があります。

日はまた昇る

結局、日を再び昇らせるための方法は、夜というものをあまりつかみすぎないことです。「夜は去っていくものだ」ということを知らなくてはなりません。すなわち、自分を憐れむ気持ちと早く訣別しなければいけないのです。「この世から捨てられたような自分」という考えを、早く捨てなければいけません。「自分も素晴らしい仏の子なのだ」という自覚を持ち、その自覚に支えられて生きていくこと、とにかく前に進んでいくことが大切です。
したがって、自分をそう弱く見せないことが大事です。そして、決して自己憐憫はせず、たんたんと自分の王道を歩んでいくことです。ここに、日がまた昇っていくための秘訣があるのです。

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