新しい資本主義は、信仰から生まれる

神の心に適う「新しい道徳」が、新しい資本主義を生む

『減量の経済学』/第1章 新しい資本主義の風景

「新しい資本主義」の前に、「新しい道徳」が必要だと思います。道徳の確立なくしての資本主義は、単なる「欲望の自由」であるし、「金儲けの自由」だし、「金を使う自由」でしかないので、それは精神的にそうたいした、大きな値打ちを持つものではないと思います。

ですから、「新しい道徳」が必要です。「新しい道徳」は、すでに失われた道徳をかなり復権させつつ、現代に合うようなものでなければいけないし、「新しい道徳」は、その上にやはり神仏から発信される考え方を反映しなければいけないと思います。

「勤勉の精神」による”善の循環”が「資本主義の精神」

『メシアの法』/第2章 今、メシアが語るべきこと、なすべきこと

各人に自由を与えた場合、自由に努力すると勤勉な者も怠ける者も出てきます。そうすると、結果には明らかに差が出てきます。一代のうちに結果が出てきます。あるいは、早ければ一年や三年の間にでも差が出てきます。

「その差がいくら出ても、これを大きな権力が必ずすり潰して、全部を一緒にする」ということになった場合にはどうなるかということです。そうすると、結局、「勤勉の精神」そのものは失われるのです。

「勤勉の精神」から「資本主義の精神」は成り立っているので、「まともな方向に志を持って勤勉に働くことにより、貯蓄に励み、その貯蓄が大きな資本となって、さらに大きな投資を生んで大きな事業ができるようになり、だんだんに社会的にも富んで、国も富んでくる」という、そういう“善の循環”が資本主義の精神です。

政治と宗教が補い合って初めて、「弱者救済」は成り立つ

『政治の理想について』/第3章 政治経済学入門

宗教は一つの大きな「人のネットワーク」です。このネットワークのなかには、あらゆる産業、業種の人々が参加しています。

そのため、いざというときには、国家という、上から来る垂直権力、つまり、法律や行政命令等で物事を動かせる垂直権力とは違った意味での「水平権力」として、お互いの出身や業種、立場などを超えて助け合えるネットワークをつくれると思っています。宗教と政治の両者が補い合わないと、弱者の救済は十分には成り立たないと思います。(中略)

私は、垂直権力と、水平権力とでも言うべき「横のネットワーク部分」とがかみ合わさって初めて、理想的な社会、理想的な国家が成り立つのではないかと考えます。

人と人との優しい「結びつき」や「助け合い」の部分なしに、すべてを国家の予算だけで片付けようとするのは無理でしょう。「何か不都合なことがあれば、補助金を増やしましょう。病院を増やしましょう」などという対応だけでは不十分であり、やはり、その根底には、「人間同士の助け合い」というものが流れていなければいけないと思います。

人の温もりがない機械だけの経済学には、限界がある

『人の温もりの経済学』/第1章 人の温もりの経済学

人の温もりがなくなった経済学は、機械だけの世界でしかありません。それは、「人間がこの世に生きることの意味を見失った経済学」にほかならないのです。

その意味では、人間性がもっと高まるようなものをやらなければいけません。ある温泉旅館は、「部屋にいてスマホを見れば、大温泉に今何人入っているかが分かるので、空いているときに入れます。そういうサービスを開始しました」と言っていましたが、いいかげんにしないと駄目なのです。

そういう、「人間の顔をしていない経済学」のようなものをやり、それで人を呼ぼうというのは間違いです。これには限界があります。

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