天国地獄は本当にあった 私が視たあの世の世界

天国から地獄まで、実録・臨死体験

瀕死の状態のときに起こった不思議な体験。意識を失くした体から魂が抜け出し、「あの世」の世界を見て、再び「この世」に戻ってくる、「臨死体験」と呼ばれる出来事です。ある男性が実際に経験した臨死体験とともに、人生のヒントをお届けします。

(H.Fさん/男性/京都府/「ザ・伝道」第199号より転載・編集)

体験談天国から地獄まで、実録・臨死体験

不思議な体験のはじまり

私が世にも不思議な体験をしたのは、今からもう50年以上も前の、22歳のときのことです。当時、私は、京都市の南の小さな集落で、家業だった玉露の製造・販売の仕事をしていました。
ある日のこと、私は仕事中に大量の血を吐いて高熱を出し、すぐに自宅に戻って布団に横になりました。意識がもうろうとするなか、その体験は、はじまったのです。
私は、スルスルと自分の体を抜け出し、天井近くまで浮かび上がり、布団に寝ている”もう1人の自分”の姿を見下ろしていました。
(いったい、何が起きているんだろう?)
訳が分からずに驚いていると、上のほうから声が聞こえました。
「お前、もう死んだんやで」
それは、男性の声のようでした。
(そんな! 自分はちゃんとここにおる。こんなにピンピンしているじゃないか!そうだ、墓を見にいって確かめてみよう)
当時は土葬だったので、もし自分が死んだのなら、墓穴が掘ってあるはずです。不思議なことに、墓地に行こうと思ったとたん、私の体は家の襖や障子をスルリと通り抜け、アッという間に墓地まで移動していました。
(体が通り抜ける……! いったいこれは何なんだ?)
墓地の様子はいつもと変わらず、私の墓穴らしきものは見当たりません。私は、再び一瞬で移動し、自分が寝ている部屋へと戻りました。

自分の人生を走馬灯のように見せられて

部屋には医師が駆けつけており、私に注射をしていました。強心剤のようでした。そのかたわらで、母が泣いています。
(やっぱり私は死んだのか……)
と、突然、私の体が、トンネルのようなところを上昇しはじめました。ゴーッという音とともに、ものすごいスピードで昇っていきます。何が何だか分からぬうちに、私は「別世界」に行き着きました。
そこには大きなスクリーンがあって、私のそれまでの人生の映像が映し出されています※1。自分がすっかり忘れてしまっていることまで、つぶさに映し出されるので、作り話ではないことはすぐに分かりました。
顔や姿は見えないのですが、私の背後には大勢の人がいて、一緒に映像を見ているのが分かりました。学校で友達の悪口を言っている自分。喧嘩している自分……。私が悪さをしたり失敗したりすると、その人たちもクスクス笑い、何事かを話し合っています。
私は自分の人生を走馬灯のように見せられて、いろいろなことを反省しました。また、両親の有難さにも深く気づかされました。
(そうだ……。小学生のころに亡くなった父には、何の恩返しもできなかった。両親のおかげで、自分は幸福に生きてこれたんだ……)
※1:人は死後、あの世で、走馬灯のように自分の人生の映像を見せられ、生きていたときの思いと行いを反省する。臨死体験の際に同様の体験をする人も多い(大川隆法著/幸福の科学出版 『死んでから困らない生き方』第1章参照)。

まばゆいばかりの光の世界

199-1

“人生の映画”の上映が終わると、私は景色のとても美しいところにいました。空はどこまでも青く広がり、明るい太陽に照らされた山々の緑は、まばゆいばかりに輝いています。美しい渓谷もあります。
「別世界」に来るまでは、頭痛で頭が割れそうだったのに、それが嘘のように消え、心も体も晴れ晴れとしています。私は、それまで一度も味わったことのない安らぎと幸福感に満たされていました。
(これが極楽……?)
突然、上のほうに、白い衣を身にまとい、杖を持った男の人が現れました。その人は私に、「上に上がってきなさい」と促しています。すると、フッと私の体が軽くなり、スーッと空中に上がっていったのです。私はその人に導かれ、空を飛んでいきました。
しばらく飛んでいくと、大きな川に行きつきました※2。川の水はとても透き通っていて、川底には気味の悪いものがたくさん沈んでいます。それらが何であるのかは、はっきりとは見えませんでしたが、とにかく、あまり見たくはないような醜いものでした※3。
川の真ん中くらいまで飛んでいくと、私を導いてくれていたその男の人が、忽然と姿を消してしまいました。取り残された私は、
(川に落ちる!)
とパニックになり、必死に手足を動かしました。
次の瞬間、私は、あたり全部が真っ赤な世界にいました。
(ここは地獄か……? そういえば小さいころ、両親が私を叱るとき、「悪いことをしたら地獄に行くよ。地獄は、針の山や血の池がある怖ーい世界なんだよ」と言っていたが、地獄って本当にあるんやろか?)
※2:「あの世を見てきた」と言う人の多くが、川を見ている。その川は、古来より「三途の川」と呼ばれている。
※3:人は死後、三途の川を渡る際に、この世の「執着」を落としてあの世の住人となる。よって川底には、名刺や金銭など、この世の執着を象徴する物が落ちている(大川隆法著/幸福の科学出版『永遠の生命の世界』第1章参照)。

恐ろしい地獄界

そう思ったとたん、何と私は、「針の山」に立っていたのです。山というよりも、坂道のようなところに、大きな針がたくさん突き出ています。歩くたびに、その針が私の足に刺さり、足を突き抜け、血が流れ出すのです。けれど、不思議と痛みはまったくありません。
(もう、かんべんしてほしい! )
恐怖に震えていると、突然、また場面が変わり、今度はたくさんの木々が立ち並ぶ薄暗い森にいました。よく見ると、木の一本一本には人が閉じ込められていて、動けずに苦しんでいます。一本の木の上のほうに人影が見え、「こっちへいらっしゃい」と手招きするので、私は、その人のところへ行こうと木を登りはじめました。しかし、登ろうとすると、木の葉の一枚一枚が、剃刀のような鋭い刃物に変わって私の体を傷つけるので、上へ進むことができません。
ふと耳を澄ますと、どこからか、「助けてー!」という声が聞こえてきます。私は、その人を助けようと、声のする地面の下のほうに向かって、無我夢中で飛び込みました。そして、真っ逆さまに、何百メートル、いや、何千メートルも落ちていったのです。
ようやく行きついた先は、まさに奈落の底でした。漆黒の世界。圧迫されるような闇――。
その暗闇たるや、針の山や、先ほどいた森よりも、ずっとずっと深く恐ろしいものでした。
一寸先も見えないのに、どういうわけか私には、そこにお坊さんがいるのが分かりました※4。そのお坊さんが、私に助けを求めていたのです。けれども、助けようにも、私には、その人を助ける術もなく、ただ、ただ、(神様、仏様、助けてください!)と、祈るばかりでした。
祈りは通じ、天の一角から光が漏れてきて、私は天使たちに助けられ、再び光り輝く世界に救い上げられたのです。
※4:間違った思想によって多くの人を惑わした思想家や宗教家は、「無間地獄」という深い地獄に隔離される。誤った思想の害毒を、それ以上、広げないためである( 大川隆法著/幸福の科学出版『霊的世界のほんとうの話。』Part1 参照)。Fさんが見たお坊さんは、僧侶の身でありながら、思想・信条を誤り、無間地獄に堕ちたと推定される。

仏様に会って、再びこの世界へ

そこは、前に見た”極楽”の世界よりも、さらに光り輝き、美しい花々が咲き乱れていました。花の一本一本には、それぞれ違う衣装をまとった、羽の生えた小さな妖精が棲んでいます。
そこに、突然、まばゆい光に包まれた大きな大きな仏像が現れました。そのあまりの神々しさに、私はその場にひれ伏すことしかできませんでした。圧倒的な光。一切の言い訳を許さないような威厳。これは本物の仏様に違いない――。
私は、頭を地面につけたまま、尋ねました。
「あなた様は、どなた様でしょうか? お名前をお聞かせください」
「私が誰であるかを明かすことはできない。しかし、あなたは、ここにいてはいけない。元の世界に戻って修行しなさい」
荘厳な声が響いたかと思うと、大きな仏像は、ものすごいスピードで上昇し、アッというまに姿を消してしまいました。
気がつくと、私は、再び自宅の部屋にいました。そして、布団に横たわる自分の体に戻っていったのです。そのとき、私の頭からは、長い紐のようなものが出て、ゆらゆらと揺れているのが見えました。
「生き返りよった!」
母と誰か親戚の人が、驚いてざわめいている声が遠くに聞こえました。

死ぬのが怖くなくなった

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実は、このとき私は、結核にかかっていたのです。息を吹き返した私は、すぐに入院し、1年半の療養生活を強いられました。退院後は、お茶の仕事は辞めて、会社勤めをはじめました。私は、職場でも、どこでも、会う人ごとに、自分の体験を話して聞かせました。「死んだら、おしまいじゃ!」とバカにする人や、「あいつは頭がおかしくなった」と陰口を言う人もいましたが、私は、何を言われても平気でした。
なぜなら、私が見てきた世界は、この世の何よりも色鮮やかで存在感があり、誰に何と言われようとも、「現実」そのものだったからです。
私は、この体験をしてから、死ぬことが怖くなくなりました。それどころか、死後もあんなに素晴らしい世界があるのなら、この世のどんな苦労も乗り越えられると、人生に希望が持てました。そして、「人に優しく、誠実に」という「よい生き方」をしていくことの大切さも教えられました。それまで、「自分は何も悪いことはしていない」と思っていたのに、あの世で見せられた人生の映画では、たくさん恥ずかしい思いもし、後悔もさせられたからです。 
何度かの転職ののち、私は資格を取り、自動車会社に就職しました。お酒も飲めないので、毎日まじめに仕事をこなし、人と争いごとを起こすこともなく、規則正しい日々を重ねていきました。

幸福の科学との出会い

私は、自分の体験したことが何だったのかを知りたくて、書店に足を運んでは、あの世について書かれた本を探し求めました。体験から何年かのちには、スウェーデンボルグ※という人の本や、浅野和三郎※さん、丹波哲郎※さんなどの本を読んで、私が体験したものは「臨死体験」と呼ばれるもので、古今東西、多くの人が、同じような体験をしていることが分かったのです。
(日本の人も外国の人も、みんなが同じ嘘をついて本を書いているとは思えない。これだけ多くの人が同じような体験をしているということは、やはり、あれは「事実」なんだ)
私は、ますます自分の体験について、確信を深めていきました。そして、月日は流れ、54歳のとき。ある日、書店で、いつものように本を探していると、大川隆法総裁が書かれた、『太陽の法』『黄金の法』『永遠の法』という本が目にとまり、さっそく購入して読ませていただきました。
「人間は、心です。魂です。ですから、死んであの世に持って還れるものは、あなたがた自身の心以外にはないのです。心がすべてなのです。(中略)心しかもって還れないならば、せめて美しい心をもって還るしかないでしょう」(書籍『太陽の法』より)
どのご著書も、力強い言霊に満ち満ちており、この世では、いろいろな苦しみも悲しみもあるが、どんな環境にあっても、努力して心を美しく磨いていけば、天国に還ることができる、と説かれていました。
あの世のことや魂のことも、それまでに読んだどの本よりも克明に書かれていて、本当に驚き、感銘を受けました。
私が見た、魂と肉体をつなぐ紐は「霊子線」といい、それが切れたときが「死」の瞬間であること。あの世は「思いの世界」であり、思った瞬間に思った世界に移動できること――。
(そうか……。それで、両親から聞かされた「針の山」のことを思った瞬間、針の山に立っていたんだ。大川総裁は、何でこんなことまで書けるのだろう? きっとこの方は、すべてをご存知の方に違いない)
私は大川総裁についていこうと決心し、ほどなく幸福の科学の信者となったのです。
※エマニュエル・スウェーデンボルグ(1688 – 1772):スウェーデン王国出身の科学者・神学者・神秘主義思想家。
※浅野和三郎(1874- 1937): 日本の心霊主義運動の中心人物。霊界についての著作も多数。
※丹波哲郎(1922 – 2006):俳優・芸能プロモーター・心霊研究家(参考:大川隆法著/幸福の科学出版『丹波哲郎 大霊界からのメッセージ』)。

命あるかぎり、真実を伝える

その後、私は、自動車会社に定年まで勤め上げ、退職しました。現在は、毎日のように、生まれ育った地元の集落や、近隣の地域を一軒一軒まわって、幸福の科学の布教誌をお届けしています。持病の糖尿病はありますが、よく歩くおかげで、前よりも元気になりました。
「『死んだら、終わり』じゃないんやで。この世できれいな心で生きたら、天国に行ける。悪いことをしても、この世でしっかり反省すれば、天国に還れるんや。仏は何もかも見ておられるんやで」
「ほうか。ほんなら、いい心で生きることが大事なんやな」
私が真理をお伝えすると、そんなふうに答えてくれる人もいますが、「また、あんなこと言うとる」と笑う人もいます。けれども、私は、ひるむことなく教えを伝え続けています。
幼いころからずっと世話になってきた家族や親類、一人暮らしの私をいつも陰で支えてくれる集落の仲間たち。縁あるすべての方々に、素晴らしい天国の世界に還ってほしいと、心から願うからです。幸福の科学で教えていただいている通り、この世で出会う人は、みな深い深いご縁があって、あの世で約束し合って生まれてきます。この集落で暮らす一人ひとりも、「一緒に頑張ろう」と、あの世で約束して生まれてきたソウルメイト※に違いありません。年を取ると、昔の記憶はどんどん薄れていきます。けれど、あのときの、あの体験だけは、いつまでも色あせることなく鮮やかによみがえります。私が見てきた、まばゆいばかりに美しく輝く、喜びに満ちあふれた世界。それは、とても言葉では言い表せないほどの素晴らしさでした。
苦しいこともあるこの世のなかで、私は頑張って、あの世の光の世界と同じ心で生きていきたい。そんな生き方で、縁ある方々の心を照らしたい。そして、いつかまた、あの素晴らしい世界に還り、先にあの世へと旅立っていった両親や友人、そして、この世で生き別れた懐かしい方々とも再会して、この仏法真理※を伝えたい。そう願いながら、私は、この命を使って、一筋に、「真実」を伝え続けてまいります。
※ソウルメイト:いつの時代も一緒に生まれ変わって共に魂修行をする、深い縁のある魂のこと。
※仏法真理:大川総裁が説く、すべての人が幸福になるための心の法則・考え方を示す教え。

書籍で学ぶ人生は一回かぎりではない。魂には永遠の生命がある

『永遠の法』 (大川隆法 著/幸福の科学出版)より抜粋したメッセージ

永遠の生命

永遠の法

人間にとって、「自分はどこから来て、どこへ去っていくのか」ということは重大問題であり、これが心の底から離れることはないでしょう。
人生は一回かぎりであり、人間は、わずかな期間だけしか生きていない、線香花火のような存在だとするならば、人生には重大な意義も目的も見いだせないのではないでしょうか。
その短い期間を線香花火のように燃え尽きるために、人間はさまざまな快楽に耽り、物質欲におぼれ、放恣な生活をしてしまうのではないでしょうか。また、誰もが個人主義に陥っていくのではないでしょうか。わずか数十年の人生であるならば、「自分が楽しまなければ損だ」という考えになってしまっても、おかしくはないかもしれません。
しかし、永遠の人生であれば、「人のために奉仕したことが、やがては必ず自分自身の魂の糧となって戻ってくる」と考えられるのではないでしょうか。

真実の世界の姿を知ったなら

魂というものは永遠です。魂には永遠の生命があるのです。永遠の生命があるということは、調和された生活をして生き、心が美しく、死後は天国に還った人たちにとっては、このうえない福音です。なぜなら、素晴らしい世界のなかで、生命を全うしていくことができるからです。
しかし、地獄に堕ちた人たちにとっては、永遠の生命があるということ自体が、一つの罰、懲罰なのです。生命がひと思いになくなってしまえば、地獄で苦しむことはないのですが、生命はなくなりません。このこと自体が彼らを罰しているのです。
人間は、こうした真実の世界の姿を知ったならば、「地上に生きているときに、悪いことを思うことも、悪いことをすることも、ほんとうに割が合わない」ということが分かるはずです。「永遠の生命などなく、この世かぎりの人生だ」と思っているからこそ、やりたい放題のことをし、人を傷つけ蹴落としてでも偉くなろうとしているのです。
また、生前、ささやかな善意のなかに生きていたことが、あの世での至福の生活、これ以上ない素晴らしい生活へと展開していくならば、「なぜ、地上にいたときに、よいことをもっとしておかなかったのか」と誰もが思うはずです。
この世で1個よいことをすると、あの世で10個よいことをしたくらいの価値があります。
この世は非常にむずかしい世界であり、魂は”目隠し”をされた状態で修行しているのですから、そうした手探り状態のなかで天国的なる生活を展開することには、あの世での修行の5倍10倍の値打ちがあるのです。
しかし、この世で、「このくらいのことはいいだろう」と思って犯してきた悪の数々も、あの世では5倍10倍となって返ってきます。こうした厳しい事態が待っているのです。
したがって、「よいことをすれば、ほめられるのだから、よいことをせよ」「悪いことはいけないから、してはならない」というのではなく、ほんとうの意味で自分を大切にする人間ならば、悪いことはできなくて、よいことしかできなくなってくるはずです。ほんとうの人生観、ほんとうの世界観を知ったときには、そうせざるをえなくなってくるのです。

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