この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第145号より転載し、編集を加えたものです。

Mさん(60代・女性)

なんで私がこんな目に—? この10年間、認知症の義母の介護をしながらも、私の頭からこの思いが完全に消え去ることはありませんでした。しかしそんな私も、心の中によどんでいた苦しみが一気に洗い流されていくという体験をしました。自分がそんな心境になるまでの長い道のりをお話ししたいと思います。

“まだらボケ”に?

「やだ、おばあちゃん、こんなおにぎりいっぱい買ってきて! どうするの?」。10年ほど前のことです。義母が近くのコンビニに行っては、度々、大福やおにぎりを山のように買ってくるようになりました。

当時わが家は、夫は東京に単身赴任、3人の子供は独立していて、2人で食べきれる量ではありません。私は仕方なく、ご近所に配りに歩きました。「おや?」と思うことはそれからも頻発。ある時など、近所のお寿司屋さんで、4人前のお寿司を買ってきたこともありました。「妹の所に届けるから」とおばあちゃんが言っていた、とお寿司家さん。ここは群馬県、妹さんは東京に住んでいます。いよいよ、おかしいと思いました。

普通の生活ができている中に、こうしたおかしな言動が混じることを、”まだらボケ”というのだそうです。その時初めて知りました。

認知症と診断

病院に行くと、案の定、認知症と診断されました。まめに短歌や俳句を作ったり、帽子一つにもこだわるおしゃれな人だったのに、なぜ—。私の動揺をあおるかのように、症状は日増しに進んでいきます。日中はおばあちゃんが散歩に出掛けた後、消防署や遠くの交番から迷子の連絡を受けるようになりました。夜は夜で、うなり声をあげて騒ぎ続けるおばあちゃん。私はなすすべもありません。

心に降る雨

幸福の科学の教えでは、嫁と姑は深い縁があると学んでいます。しかし私は、「本当にそうかな?」と、ずっと思っていました。大雑把なおばあちゃんに比べ、私は何でもきちんとしなければ気がすまない正反対のタイプ。ある時など、おばあちゃんが衣類とトイレのスリッパを一緒に洗濯機で洗っているのを見て、「おばあちゃんは、下の物と上の物を一緒に洗って平気な人なんだ」と思ったものでした。

そんなおばあちゃんの介護をしなくてはならない自分。複雑な気持ちでした。でも、長男の嫁として務めは果たさなければなりません。この夫と結婚していなければ、世話をしなくてすんだのではないか、という思いまでよぎり、そんなことを考えてしまう自分がまたいやでした。

夫は、化学品メーカーの営業マン。海外出張も多く、あれこれ話して心配をかけるわけにもいきません。孤独感と心の葛藤に苦しんでいた私は、時間さえあれば仏法真理(幸福の科学の教え)の本を手にとっていました。

「人生における嵐の渦中にあると、『なぜ自分がこうした苦悩や災難のなかにあるのか』と思うものです。しかし、そのなかにも何らかの学びがあることは事実です」「魂の糧という観点から見たときには、人生に無駄なものは何もないのです」(『不動心』より)

ただただ仏の言葉を頼りに、私は現実を受け入れようと必死でした。

ショックな出来事

私は当時、県の児童相談所に勤めていたのですが、週2日勤務の、市の臨時職員に変えてもらい、おばあちゃんの世話をする体制を整えました。

しかし、現実は想像を絶しました。

ある時、リビングの絨毯(じゅうたん)の上に、おはあちゃんが何かをボトボト落としていました。近づいてみると、便をもらしながら歩いていたのです。また、台所のゴミ箱に、中途半端に紙に包まれた便が入っていたことも。「弄便(ろうべん)」というのでしょうか、私はショックで、気が休まらなくなっていきました。そんな日々が数カ月続き、睡眠不足と心労で気が変になりそうでした。

クマのようなおばあちゃん

「これは私の試練なのでしょうか。どうかこの試練を乗り越える力をお与えください—」。祈ると、仏が、私の苦しみやつらさをすべて受け止めてくださっているようで、心が安らいでいきました。

それから間もなく、おばあちゃんの状態に変化が起こりました。ふとした時に転んで骨折し、3カ月間入院することになったのです。車イス中心の生活になり、食事の介助が必要な、「要介護5」の認定を受けました。私は昼食の介助のために、来る日も来る日も病院に通いました。

退院後は、今度は徘徊(はいかい)が始まりました。同じ所を行ったり来たりして這い回るおばあちゃんを見ていると、まるでクマのように見えてきます。寝る前にオムツを換える時も、ちっともおとなしくしてくれません。それどころか、私に向かって「バカ!」と言い、叩いたり、つねってきたりするのです。

「おばあちゃんは、ひとりで何もできないじゃない!」思わず、声を荒げてしまいます。介護虐待が問題になっていますが、虐待する側の気持ちも分かる気がしました。

私がわからないの?

自分が自分でないような心に少しでも平安を取り戻そうと、私は週1回は必ず、支部に行くようにしました。「Mさん、本当によく頑張ってるね」と、支部の仲間がいつも励ましてくれました。そして礼拝室でしばらくの間、仏と対峙(たいじ)すると、心に光がチャージされたように、また頑張ろうという力をいただけるのです。

ある日のこと、仕事を終え、夕方6時頃、家路を車で走っていると、家の近くの通りで、おばあちゃんがポツンと立っていました。私の帰りを待っていたのです。どれほどの時間待っていたんだろうかと思うと、切なくなってしまいました。

いつしか、おばあちゃんは私のことを、以前のように「Mさん」と名前で呼ばなくなりました。ある日、車で出掛けた時など、横に座っている私に、「あなたの住所を教えて。私、手紙を出すから」などと言い出しました。

「愛してあげなさい」

その後、私は、自らの新生の願いを込めて、総本山・正心館で「仏説・起死回生経」(※)を受けました。儀式中、心の中に、光の奔流(ほんりゅう)のような大河が現れました。そしてその中に自分が入っていく感覚に打たれたのです。そして流れていく先には、何とおばあちゃんがいました。寂しそうな顔で立っています。

30年前に同居してから、ずっとおばあちゃんのグチばかり聞かされてきました。生い立ちの不幸、そして結婚生活でのおじいちゃんへのさまざまな恨み・・・。誰からも愛されなかったという人生—。

「愛してあげなさい」

仏がそうおっしゃっておられるように思えました。儀式を終えた後、どうしてこんなに泣けるのかと思う程、みぞおちのあたりからこみあげるように嗚咽(おえつ)し続けました。

※「仏説・起死回生経」・・・奇跡的・劇的に、人生の大転換・大変換を招来し、運命変更を成し遂げる秘法

一緒にお風呂

総本山・正心館を後にした私は、あることを心に決めていました。それは、おばあちゃんと一緒にお風呂に入るということです。早速1人用の浴槽を、2人用のものに変えました。それまでは体を洗ってあげるだけでしたが、すっかり小さくなったおばあちゃんを、抱きかかえるようにして湯船に浸かると、心なしかおばあちゃんの顔も優しくなっているように見えました。
また、介護は長丁場ですから、全部自分でやろうと思わずに、介護施設のデイサービスなども利用し始めました。

するとおばあちゃんに対して、以前より心を込めて介護できるようになりました。定年退職して帰ってきた夫も介護に参加してくれ、負担も軽減。おばあちゃんもだんだん穏やかになっていきました。

おばあちゃんはその後2回肺炎になりました。高齢者なら、そのまま亡くなってしまうケースが多いのですが、その度に支部で「病気平癒祈願(びょうきへいゆきがん)」をし、おばあちゃんはまた元気に持ち直していったのです。

つらかったね、おばあちゃん

しかし、そんなおばあちゃんも、ある年の暮れ、高熱が続き、ものが全然食べられなくなってしまいました。お正月を迎えられないのではと、夫も私も覚悟しました。

ある夜、おばあちゃんのベッドの横に座って、おばあちゃんの顔に刻まれたしわを見ていたら、ふいにこみあげてくるものがありました。

「おばあちゃん、私はおばあちゃんを幸せにしてあげられなかったかもしれないね。ごめんね、つらい人生だったね・・・」

幼少期は母親から冷遇され、結婚後はおじいちゃんから何かと亡くなった先妻と比較されてつらかったといいます。私は、真っ白になったおばあちゃんの髪をなでてあげました。

「今、こんな体になってまで、生きてくれているのは、私の魂修行のため? 付き合ってくれているの?」。

これまで、おばあちゃんに対してそれなりに介護してきたつもりでした。でもそれは、義務感でやっていたのでは—と、その時初めて反省の思いが湧いてきたのです。おばあちゃんは家にいる時もずっと、私を目で追っています。その視線が時にうるさくて、おばあちゃんを見ないようにしたこともありました。おばあちゃんには頼る人間は私しかいないというのに・・・。

湧いてきた感謝

しばらくおばあちゃんの横に座っていると、いろんなことが思い出されました。同居した頃、子供たちは全員小学生で、食事はグラタンなど子供の口に合う洋風のものばかり出していました。おばあちゃんは口に合わなかったかもしれないのに、何でも食べてくれました。

また、子供の教育についても、躾(しつけ)についていろいろ言うおばあちゃんに、「干渉しないでください」と言ったら、その後は何も言いませんでした。嫁として至らない点もいっぱいあったでしょうに、一度も叱られたことはありません。思えば、3人の子供を抱えながら仕事に出られたのも、おばあちゃんがいてくれたからこそです。

結婚する前、初めて義母に会った時、なぜか懐かしい感じがしたことも思い出しました。本当に縁の深い人だったのです。

翌日、びっくりするようなことが起きました。おばあちゃんが元気になり、食事がとれるようになったのです。驚いている夫に、私は、「おばあちゃんに、魔法をかけたの」と言いました。おばあちゃんと私は心でつながっている、約束してきたソウルメイトなのだと、心から実感しました。

心に寄り添うということ

おばあちゃんは私に「愛」について教えてくれたんだと思います。他の方の心に寄り添うこと。何をしてほしいのか、関心を持ってまっすぐ向き合うこと。それが愛なのだと—。
以前の私は、考え方の違う人に会うと、つい裁(さば)いてしまいがちでした。でも今は「ちょっと待てよ。この人にも何か事情があるかもしれない」と思える余裕が心に生まれています。

もう、私の魂修行だとか、試練だとか、そういうことではなくて、「おばあちゃんの残された地上での生命をお預かりしているんだ、かけがえのない時間を過ごさせてもらっているんだ」、とそんな気持ちでおばあちゃんに向き合っています。

自らの体を張って、私に「愛」の大切さを教えてくれた義母に、感謝の思いでいっぱいです。そしてつらい時、いつも共にあってくださり、尊い魂の糧をお与えくださった仏に、心より感謝申し上げます。

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