姑への葛藤を抱えていたMさん。 幸福の科学 の教えを学び、自分を変える努力を重ねるうちに嫁姑関係にも変化が……。今回は、家庭の問題を克服した体験談を紹介します。
M・Kさん(広島県・60代 女性)
ザ・伝道 226号より転載・編集

体験談 家庭円満の秘訣

「良い嫁」になりたい

私は、愛媛県の小さな島で、生まれました。両親と5人のきょうだいのほか、祖父母が同居していたので、忙しく働く両親に代わり、祖父母が孫たちの面倒をみてくれました。私は祖父母からの愛をたくさん受けて育ったのです。
島には中学校がなかったため、私は小学校卒業と同時に親元を離れ、松山市で寮生活をしました。高校卒業後は、広島で就職。そして、23歳のときに知人の紹介で出会った夫と結婚しました。夫は一人息子だったこともあり、結婚と同時に義父母と同居することになったのです。
私自身、祖父母と同居してきたので、夫の両親と一緒に暮らすことに抵抗はありませんでした。
(お義母さん、お義父さんにも慕われる”良いお嫁さん”になろう― 。いつか生まれてくる自分の子供には、おじいちゃん、おばあちゃんに可愛がってもらいながら育ってほしい)
そんな希望を胸に、私は広島の地に嫁入りをしました。

突然始まった義母のいじわる

最初はおだやかな結婚生活が続き、同居の両親とも仲良くやっていました。
ところが、結婚して1年が経(た)ったある日のこと。義母が「死にたい……」と言い出したのです。
義母の表情は暗く、元気がありません。心配になって、近くの病院に連れていくと、医師から告げられたのは、躁(そう)うつ病という心の病でした。
(お義母さんがうつ? どうして?)
私たちの結婚以来、義母はたまに家でふさいでいることがありましたが、まさか躁うつ病だとは思ってもいなかったのです。義母の心の状態はどんどん悪化し、躁状態のときには、私に”いじわる”をするようになりました。
「お義母さん、おはよう。今日もいい天気よ」
「………」
朝、あいさつをしても、ちらっとこちらを見だけで無視して行ってしまうのです。また、私が一生懸命作った料理を食卓に出すと―。
「今日は、天ぷらを作ったんよ」
「私はこんなの食べん」
(え……?)
義父に「そう言わずに」と、説得されて、やっと口に入れてくれます。私の料理は食べたくないということは度々ありました。
当時は、私自身、長女を出産したばかり。初めての子育てで自分もいっぱいいっぱいでした。それなのに、家事も子育ても手伝わずに寝てばかりいて、しまいにはいじわるをしてくる義母を見ると、なんとも言えない悲しみと、モヤモした思いがわいてきます。
私の実家は、女がせっせと働く家でした。母も祖母も一緒になってこまやかに家事を行っていましたし、祖父母は親代わりとなって孫たちをとても可愛がってくれました。
(実家(うち)とぜんぜん違う。理解できん……)
義母のことを夫に相談しましたが、一人息子の夫は「母さんは躁うつなんだ。死んだら困る」と、義母を心配するばかり。
(「嫁に来て欲しい」って言われたから嫁(とつ)いできたのに、なんで私がこんな目に遭わにゃいけんの― )
私は心労とストレスで、結婚当時より体重が10キロ以上も落ちてしまいました。頬(ほほ)はこけ気力も出なくなっていったのです。
(お義母さんは自分のことしか考えんのよね。心がすさんでしまっているから、しょうがない)
そうやって自分に言い聞かせ、義母との間に見えない壁を作るようになりました。そうでもしないと、私の心が守れなかったのです。表面的には仲良くして何年も過ごしていました。

暗闇に差した一筋の光

そして1995年、わが家にさらなる苦難が降りかかりました。夫が経営する工務店が不況のあおりを受けて仕事が激減し、収入がほとんどなくなってしまったのです。
(私の人生、どうなっとんかね。お義母さんはうつだし、お金もない……。なんでこんな苦しいことばかりなんじゃろ)
義母だけでなく稼ぎがない夫にまで不信感が募り、心が苦しくなってしまった私は、友人のSさんに相談しました。幸福の科学の会員であるSさんは、私の話にとことん耳を傾け、そして幸福の科学の教えを紹介してくれたのです。
「Mさん、幸福の科学では『人生は一冊の問題集』だって教えられているんじゃよ。生まれる前に、自分で人生の課題を決めてきたの。あなたなら絶対大丈夫じゃけん」
「問題集?」
Sさんの話に興味を持った私は、「信頼する彼女の勧めなら……」と、幸福の科学の会員になることにしました。
それからというもの、私は現状を打破したい一心で 大川総裁 の書籍を読みあさりました。そして 「人間はこの世とあの世を何度も生まれ変わりながら魂を磨いている存在で、この世での苦難困難は、自分の魂を磨く砥石になる」 という真理に励まされて、どんどん前向きな自分を取り戻すことができたのです。
そんな私の変化をみて驚いた夫も、ほどなく会員になりました。
夫婦で仏法真理を学び、「こんなときだからこそ一緒に頑張ろう」と心を一つにできたことで、商売の方の状況も好転していきました。
(仏法真理を学んだおかげじゃ)
この経済的な危機を乗り越えたことで、私たち夫婦は信仰への確信を強めたのです

義母との魂の縁に気がついて―

2003年5月のことです。(※)法友に勧められ、幸福の科学の 中部正心館 で『イエスの霊訓・十箇条』研修を受けることにしました。研修では、瞑想に取り組みながら自分の人生について振り返っていきました。
すると、普段、考えないようにしている義母のことが、ふと心に浮かんできたのです。そのとき、私に不思議な体験が臨みました。生まれる前の天上界の様子がありありとみえてきたのです。
目の前に、美しい着物に身を包んだ義母が立っています。
(お義母さん……?)
私と義母はあの世で、「一緒に生まれてこよう」と約束をしていました。
幸福の科学では、夫婦や親子など家族になる人は生まれる前に決めてくると教わっています。そして、嫁姑は血の繋がった母娘以上に縁が深いことが多いと聞いていました。
しかし、義母に葛藤を抱いていた私は、このときまで本当の意味で腑(ふ)に落とすことができていなかったのです。義母との魂の絆を実感して、自然と涙が溢(あふ)れてきました。
義母と「馬が合わない」と距離を取り続けてきましたが、私は義母のことが本当は好きで、ずっと仲良くなりたいと心の底では思っていたのです。

(そうやね、私が自分でお義母さんと家族になることを決めたんよね)
冷静になって振り返ってみれば、義母が躁うつになったのは、私が妊娠、出産した時期と重なります。そのころの私は、自分のことで手一杯で、義母に対してそっけなくしていたように思います。
あるとき、義母が「Kちゃん、こっち来んさい。一緒にお茶飲もうや」とお茶を入れてくれたのに、「私は水でいいけえ」とはね返していたことを思い出しました。
(お義母さんは私と話がしたくてお茶を入れてくれたんじゃな。歩み寄ろうとしてくれたお義母さんの気持ちに気づかなかった)
可愛がってきた一人息子は嫁に取られ、その嫁からはそっけなくされて、義母もさびしくなってしまったのだと思います。
それに私は、実母や祖母がそうだったようにチャキチャキと働く性格で、家事でも何でも自分でどんどん進めていました。
よく考えれば、義母が「何もしない」と心で責めていましたが、そもそも義母に相談したり協力をあおいだりせずにいたのは私の方でした。
何年か前の夕食で、夫や子供たちに「今日のごはんおいしい?」と聞く私に、義母が「私には何も聞いてくれん」と、ぼそっとさびしそうに言った言葉が思い出されます。
(お義母さん、本当にごめん。このままの関係ではいけん― )
私は、義母と関係を立て直すことを誓い、中部正心館をあとにしました。

※同じ法を学び、学びについて語り合える仲間のこと。

「お義母さんは私の自慢じゃよ」

それからというもの、私は毎朝毎晩のお祈りの時間に、義母に対して感謝を心の中で伝えるようにしました。
夫を産み、育てたのは義母です。義母のおかげで私の今の幸せはあるのです。
(お義母さん、私を嫁に迎えてくれて本当にありがとね)
すると翌朝、不思議なことに、義母の私への態度が柔らかく変わるのです。
「Kちゃん、おはよう」
「お義母さん、おはよう!」
(わあ! やっぱり、思いって相手に通じるんじゃな)
改めて祈りの力を実感しました。

また、大川総裁は、相手に見返りを求めずに愛を与えることが大切だと説かれていたので、私は心で感謝するだけでなく、「お義母さんが笑顔になることをしよう」と、接し方も変えました。
義母と話す時間を一日に1時間でも2時間でも取るように努力し、家事の一つひとつにも心を込めます。
また、義母に「お義母さん、何が食べたい?」とこまめに聞くようにしました。さらに、今まで素直に言えなかった、義母の素晴らしいところを伝えるようにしたのです。
「お義母さん、私はね、美人で料理上手なお義母さんのことが自慢なんじゃよ」
「……ありがとう」
言葉に出すと、義母への尊敬の思いが不思議と強くなっていきます。
義母はうつになる前、日舞や民謡の教室を開いていたので、義母の所作はいつも優雅で美しく、そんな義母に私はあこがれていました。
私の心の変化と呼応するように、義母の様子も変わっていきました。いつも険(けわ)しかった顔に、目の輝きと優しい笑顔が戻っていったのです。
そしてある日の昼下がりのことです。
義母といつものように台所でお茶を飲みながら会話を楽しんでいました。
「Kちゃん」
「お義母さん、なに?」
「私は、あんたがおったら嬉しい」
突然、義母の口から出てきた思いがけない言葉に、熱いものがこみ上げてきます。義母の目にも涙が浮かんでいました。
「お義母さん……。私もお義母さんがおったら嬉しい。いつまでも元気でいてね」
このとき私たちは本当の母娘になれた気がしたのです。二人で泣きながら笑っていました。

恩返しの人生を歩んでいきたい

今では義母も幸福の科学の会員です。躁うつもすっかり治り、87歳にして心も身体も元気で暮らしています。
義母と一緒に大川総裁の経典を読んで語り合う、母娘の穏やかなひとときは、何にも代えがたい幸せな時間です。義母が私に毎日、「あんたのごはんはおいしい。ごちそうさま」と言ってくれるので、私の料理にも熱が入ります。
これまでの人生、大変だったことは数え切れないほどたくさんありました。でも、今思えば、その苦労はすべて私の宝物です。
嫁姑の葛藤があったからこそ、人の心の痛みを理解することができるようになり、たくさんの方が私に家庭のことや仕事のことで相談してくれるようになりました。
そう思うと、嫁の私を厳しく鍛え、導いてくれた義母に、改めてありがたいという思いが湧いてくる毎日です。
何より、幸せな人生を歩み始めることができたのは、幸福の科学と出合い、この教えにもとづいて自分を変えていくことができたからです。仏に心から感謝しています。
私は困っている人がいると、自分のことのように思えて放っておけない”おせっかい者”。愛する地域に、笑顔と幸せの輪を広げることができるよう、これからは「恩返しの人生」を歩んでいきます。

書籍で学ぶ 家庭は「鏡」のようなもの

『ティータイム』 (大川隆法 著/幸福の科学出版)「Chapter1 家庭は「鏡」のようなもの―新しい自分が見えてきます/1 家庭を幸せにする”近道”とは」より抜粋したメッセージ

家庭を幸せにする”近道”とは

「立ち向かう人の心は鏡なり」といいますけれども、そういうところは、やはりあるのです。

人間は、親切な人と会うと親切になります。

ところが、棘(とげ)がある人と会うと棘が出てくるのです。これは一つの法則です。

したがって、自分が周りの人に優しくしてもらう方法は、自分自身が優しくなることです。これが、いちばんの近道なのです。

夫婦げんかや嫁姑の問題などで、「相手がひどい。相手が悪い」と言っている人が、ものすごい善人で、相手だけが一方的に悪いということは、普通はないわけです。

なかに、限りなく愛を込めていくことが大切なのです。

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